転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日はライブ配信で、雪組全国ツアー版『ヴェネチアの紋章』を観た。
1991年の、花組大浦みずき(なーちゃん)の退団公演となった芝居の再演。
併演は『ル・ポァゾン 愛の媚薬』で、これまた、
なーちゃん同期の剣幸(ウタコさん)が90年に月組で主演したショーで、
私のような「この道30年超」のオバ(あ)さんファンには
コタエられない演目設定だった。

しかし、『ヴェネチア――』については観てビックリしたのだが、
台詞や歌詞がほぼ初演通りだったにもかかわらず、
謝珠栄による新演出となって、結末を含む何カ所かが全く別のものとなり、
更に、全編通して、音楽が一新されていたのだった。
主人公コンビが踊りで魅せる『モレッカ』の場面だけ、
初演同様、チャイコフスキー『イタリア奇想曲』が使われていたのだが、
そのほかは、主題歌も劇中歌も知っている旋律がひとつもなく、
玉麻尚一による全曲書き下ろしであった。

新生雪組の初々しいトップコンビ彩風咲奈×朝月希和の持ち味を思えば、
この作品が新しいかたちで生まれ変わったこと自体は、
とても良かったと私は思っている。
脚本的にも、初演時にわかりにくかったところが丁寧に改善されていたし、
新しくなった楽曲はどれも洗練されており、演出の変更点も含めて、
全体に「今どき」の感性に合ったものになっていたと思った。

何より私にとって大きな変化だと感じられたのが、
今回の『ヴェネチア――』が首尾一貫した悲恋ものになっていたことだった。
主人公アルヴィーゼが破滅に向かって進むしかないことが、
もう、ほの暗いプロローグで暗示されていた。
楽曲もマイナー(短調)で、ゆったりとした味わいのものばかりだった。
初演を観ていなくて、今回の『ヴェネチア――』だけを観劇したのだったら、
この、しっとりと心に染みる大人の物語を私は大いに気に入っただろうと思う。

しかし、私は、歌舞伎の團菊じじぃみたいな人間なのであった(汗)。
十一代目の華が云々、六代目の踊りがどうのと、
過去の俳優の話ばかりしている、昭和の化石みたいな爺さんたち。
「そんなに死んだ役者がいいなら、オマエも一緒に死んどけ、っつんだ!」
と、あらしちゃん(松緑)がいつぞや言ってたような。違ったっけ?
私は、なーちゃんをリアルタイムで、旧大劇・旧東宝で、観ている。
その退団も見送った。ちょうど30年前である。
初演の脚本演出の柴田先生も、音楽の寺田先生も、
それどころか、なーちゃん御本人さえも、既に故人だ。

当時「30年前の宝塚はねぇ…」などと言い出すババァが身近に出現したら、
20代の私は必ずや「うざっっっ!」と思ったに違いないので、
以下に書くことは、年寄りの繰り言であると最初にお断りしておく。
昔を知っていることなんか、ファンとして別に偉くもなんともない。
今回の『ヴェネチア――』に較べて、初演のほうが優れていた、
という話がしたいのではない。新生雪組は全然OKなのだ。
私は彼女たちの成果を心から認め、その船出を手放しで祝福している。
ただ、私は今回の上演を(配信で)観たことにより、遠い昔を思い出し、
かつて自分が良い舞台を観て幸せだったことを、
この機会に、書き留めておきたいと思っただけだ。
現在の雪組には全然関係のない、主観的思い出話をこれから書きますので、
要らない人はここまでで終了されてください。

***************************
『ヴェネチアの紋章』の設定や背景については、
宝塚歌劇団公式サイトに解説がある。
91年の初演では、主役のアルヴィーゼを大浦みずき、
ヒロインのリヴィアをひびき美都、
語り手のマルコを安寿ミラが演じた。

初演『ヴェネチアの紋章』の魅力は、プロローグに集約されていた。
短い前奏のあと、さぁっと幕が上がると、そこはきらきらと光が溢れ、
人々の思いが交錯し、生命力と活力の漲るヴェネチアの街!
物語の登場人物が次々と舞台に現れて、華やかな群舞とともにソロを歌うのだが、
その楽曲がもう、色とりどりの魅力に満ちて、これぞ寺田瀧雄ワールドであった。

彼らによって矢継ぎ早に歌い継がれる楽曲はどれもアップテンポで、
たたみかける付点リズム、三連符、シンコペーション、
めくるめくアルペジオの反復、躍動的な上昇音型、
そうして最高潮に盛り上がった舞台に、主人公アルヴィーゼが登場するとき、
曲想は、初めてスケールの大きな、スローテンポのものになり、
……イントロが、ほんのり『港町ブルース』風味なのが気になりはしたが(爆)
「ヴェネチアの空は青く ヴェネチアの水は豊か」という歌詞にぴったりの
悠々としたメロディラインで、胸のすく爽快さであった。

アルヴィーゼとマルコが再会を喜び合う場面の曲が三拍子なのも好きだった。
三拍子は基本的に舞曲なので、リズムが難しいことが多いのだが、
なーちゃん(大浦)とヤンちゃん(安寿)はダンサー同士だったのもあってか、
歌うときも、この曲がなんとも愉快で小気味よかった。

音楽が生き生きと明るいのは、そもそも、初演版の根底にあるのが、
決して、「不幸な悲恋の物語」のみではなかったからだ。
初演台本の柴田侑宏先生は、この作品を輝きに満ちたものとして構成した。
物語の展開としては、アルヴィーゼとリヴィアの恋は決して実らず、
運命にあらがおうと、もがいた彼らの奮闘は報われることなく、
アルヴィーゼと周囲の青年たちは皆、戦場に散り、
リヴィアも彼を追って、その若い人生を無残に終えることになるので、
悲劇以外のなにものでもないのだが、それでもなお、エピローグもまた、
冒頭と同じく、明るい、光降り注ぐ『海の祭』の場面なのである。

そこで初演版のマルコは、アルヴィーゼとリヴィアに生き写しの、
若い恋人たちを偶然に見かける。
ふたりは手を取り合い、はじけるような笑顔で幸せそうに踊り、
やがて祭の雑踏の中に消えていく。曲は『モレッカ』。
賑やかな踊りの人波に遮られながら、ただ一人佇んで見送るマルコ。
彼が救い得なかった親友の恋の、絶望的な終焉と、
今、目の前を遠ざかって行く若者たちの、光麗しく照らされた前途。
そのコントラストが美しく鮮烈であればあるほど、
ラストシーンの余韻も印象的なものとなっていたのだった。

今回の雪組版では、このラストシーンが大幅に改編されていて、
「アルヴィーゼとリヴィアに生き写しの若いふたり」は全く登場しなかった。
これの直前、マルコは、ある少女に会いに、とある尼僧院を訪ねている。
その子というのは、アルヴィーゼとリヴィアの間に生まれた女児であり、
彼女が大人になったら妻に迎えよう、とマルコは心に決める。
海の祭の場面はその後にあり、かつてのアルヴィーゼを思い出させる、
黒衣の男性が一瞬登場するが、すぐに人違いとわかって終わり、
最後の場面は、アルヴィーゼとリヴィアのデュエットダンスになっている。
尼僧院と女児の逸話は、塩野七生の原作に書かれているものであり、
この世で結ばれなかった二人が、魂のダンスを踊るというのも、
宝塚的なラストシーンとしては美しい定番のひとつで、
雪組編は、やはり首尾一貫した悲劇として幕を閉じるようになっているのだ。

しかし私は、大浦みずきの演じた、ラストシーンが本当に好きだった。
アルヴィーゼに生き写しの若者の名は「フランチェスコ」で、
それは同じくリヴィアに生き写しの少女がその名を呼ぶからわかるだけなのだが、
私は当時、このフランチェスコの笑顔を観るために、
毎回(←何回観たんだ)劇場に行っていたと言っても過言ではなかった。
たった一場面しか出ない青年フランチェスコ、
おそらくアルヴィーゼよりもっと若く、まだ少年の面影さえある彼の笑顔は、
みじんの陰りもなく光り輝き、あの瞬間の幸福のために、この一編の芝居があった。

フランチェスコの出て来ない新版『ヴェネチア――』は、
少なくとも私にとっては、全く別の作品だった。
謝先生は初演に感動したと語っていらっしゃるようなのだが、
こういう改編になったということは、
同じ作品を観て、同じように感動したと言葉では言っていても、
全く、人それぞれ心の琴線に触れる箇所は異なるものだなと
今回のことで私は改めて悟った。
それほどに様々なものを内包した作品であり、
多くの可能性を持つ題材であると再認識できたことは収穫だったが、
私にとっての『ヴェネチア――』は1991年11月に
フランチェスコとともに完結していたのであった。
納得した。見届けました。

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両親がお世話になっている某ホームより昨日電話があり、
ふたりのワクチン接種日が決まったとのことだった。
一回目が6月23日、二回目が7月14日。
両名の当日の体調の問題や、ワクチン供給量の変更など、
現在の想定とは違う状況が出てきた場合には変更もあり得るが、
一応の予定は立った。

母とは先々週に二度、電話で話したのだが、
二度目のときは例によって「お腹の具合が悪い」と言っていて、
なんかもう長くない的なぐずぐずした話をしていたが、
92歳になって「長くなくない」としたらそのほうが異常事態なので
私は深刻に悩んでいる訳ではない。
ただ、私自身が肉体的な不調や苦痛については我慢強くないので、
母も気分不良であるなら、それは解決してあげたいとは思う、
が、母の胃腸の問題については中年期からこれで半世紀くらい、
もうずっとどうにもならずに来ているので難しいだろう。
薬や食べ物でたちどころにスッキリ、ということは期待できまい。

昨日の職員さんのお話によると、ふたりは健康面では特に変化はなく、
状況からは「お元気に過ごされています」とのことだったが、
「ですが、感染防止のためにお部屋で過ごして頂くことが多いので、
やはりストレスはたまりがちで、お食事もあまり進まず……」
という状況でもあるそうだ。まあ想定内か(汗)。
次の日曜には私が午後から神社に行く予定になっているので、
道すがら、昼御飯を仕入れて差し入れに寄ることにしよう、
とは思っているのだが、前回の感じでは食事を持って行っても、
受け取ったはしから忘れてしまうような感じだったので、
両親が、特に母が、主観的に満足するのかどうかは心許ない。
目新しいものが出されれば、その場では食べている筈だが(汗)。

ともあれ、ふたりがワクチン接種を二回目まで終えて半月経てば、
一応、コロナに関しては、心配がひとつ減ることになる。
変異株が流行し始めてから、ホームはいっそう厳重になり、
現在はオンライン面会も制限されているので、
両親とは電話で話す以外にできることがないのだが、
今年中には、直接顔を見て話す「面会」が再開できるだろうか。
少なくともオンライン面会の頻度は元通りになるだろうと期待している。

ちなみに私のほうの接種予定は、全く目処が立っていない。
広島県はPCR検査を集中的に行ったことで予算を使い果たし、
ワクチン接種率は全国でワースト6位、中国地方でワースト1位だ。
しかしなおも、PCR作戦はこれから再開されるとのことだ。
広島駅と流川で予約不要PCR、県内全事業所PCRも続行。
まだまだ……。

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コロナ禍の御蔭で私が手に入れたもののひとつが、
充実したライブ配信ラインナップであった。
有観客の公演が難しくなって以来、様々なジャンルで、
有料のストリーミング配信がなされるようになった。
地方在住の私にとって、あり得ないほどの天国がやって来たのだ。
たとえば、今月のこれから半月の私の予定は、以下の通りである。

6月13日(日)15:30 雪組全国ツアー『ヴェネチアの紋章』『ル・ポァゾン 愛の媚薬 -Again-』
6月13日(日)17:30 THE ARAKURE b.永井敏己 g.米川英之 dr.長谷川浩二
6月19日(土)20:00 紀尾井町家話 第三十九夜 尾上松緑・松本幸四郎・片岡愛之助・中村松江
6月20日(日)18:00 仲井戸"CHABO"麗市 無観客生配信ライブ「いわき再演の約束ライブ」
6月25日(金)19:00 ヒカシュー 20世紀の終りを超えて

コロナ以前のように、こうした公演がすべて「生」しかなかったならば、
私は決して、これほど多くのものを広島に居ながら楽しむことはできなかった。
前後の仕事の日程をやりくりし、新幹線を予約し、宿泊を確保すれば
どれかひとつくらいは行けただろうと思うが、
たった半月で、これらすべてを制覇することは不可能だった。
仕事帰りに地下鉄に乗って会場に行ける人たちとは全く違うのだ。
地方在住のハンデは、途方もなく大きい。

それを一気に解決してくれた「配信」は本当に有り難かった。
私の道楽人生に、これまでなかった可能性が開けたのだ。
コロナの御蔭で、こんな良いことがあるなんて!!
各方面、これをビジネスチャンスととらえて、
今後も継続してくれると良いのだが、
イベント関連の自粛がなくなり、会場を満席にできるようになったら、
もう地方で配信を頼りに楽しむ者のことなど、省みられなくなるだろうか。
配信があるとそれで済ませる人がいるから会場に来る人が減る、と見るか、
会場に来る人に加えて配信分の客も確保できるようになる、と考えるか。

ワクチンが一気に普及し始めた今、
コロナの問題にも出口が見えて来て、それは喜ばしいことなのだが、
そうなると、この夢のような配信ライブの世界も、あと僅かかもしれない。
今しかない(かもしれない)!と思いながら、
私は日々熱く、配信を満喫している。

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ヘアカットの予約をしていたので、朝から行った。
暑くなってきたので、耳を全部出して、襟足もほぼ刈り上げ、
フロントとトップはパーマの残った状態なので長さをキープし、
全体に夏向きのスタイルにした。
顔やその周辺に毛先があたらない髪型は、本当に快適だ。
女優の樋口可南子さんのような美貌とムードがあれば、
額も全部出したいところなのだが、
私は土台が悪いうえにナリフリ構っていないので、
攻めたショートはハードルが高すぎ、断念……orz

それから、運転免許証の更新手続のため、
広島県運転免許センターに出かけた。
やはり証明写真を撮るには、髪がマトモな日が良かろうと思って。
筋金入りのペーパードライバーなので、往復を路線バスで(笑)。
広島バスセンターから五月が丘経由で、片道50数分、
更新手続のたびに思うが、遠かった。

コロナ感染予防のため、入口でマスク着用を確認され、
手指消毒と検温があり、1階1番窓口の前の床にも
立ち位置のテープが貼られており、密にならないように誘導された。
私に関しては住所氏名なにも変更がないので、
流れ作業的に、支払いをし書類に記入し、視力検査をして写真を撮り、
優良講習の部屋に案内されて、講習開始まで待つこと30分。
講習会場の部屋にも「強制換気中」の貼り紙が。

そうそう、料金支払いのとき交通安全協会の会費も
すぐ隣の窓口で納めるようになっていて、私は抵抗せず払ったのだが、
今年はカープのステッカーを貰った(笑)。
ほかのアイテムも選べるようになっていたが、
特に欲しいものもなく(笑)。

滞りなく講習が終わり、新しい免許証を貰って、
めでたく、5年間有効の「写真つきID」を更新した。
帰りもまたバスだったが、結構、若い人たちが大勢バスを利用していて、
皆さん、自家用車を持っていないのか、もともとペーパーなのか?
午後から雨になるという予報だったので、
二輪車の人などは乗ってこなかったのかもしれないが。

ということで、終わって、スッキリした。
このまま順調に過ごせたとして、5年後にもう1回、この更新をやれば、
その次の更新のときはもう、免許の自主返納で良いだろう。
そのときこそ、運転経歴証明書を作成して貰って、
更新手続から解放され、タクシー1割引の恩恵に与る生活を始めるのだ!
その日を目標に、目下の隠居生活(笑)の日々を元気で頑張ろう。

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今年の前半はずっと実家の片付けにかまけていて、
本宅(笑)でインテリア趣味を発揮していなかったので、
思い立って先月、居間のカーテン用に
バランス(valance, 前飾り)をオーダーした。
前々から試してみたかった、緩やかなアーチ型バランス+フリンジ。
あまり大仰にしたくはなかったが、巾270の窓にストレートバランスでは、
直線一本引いたようになるので、やはり曲線が欲しいと思い……。
それをついに、きょうの午後、取り付けて貰った。

  

子供の頃、私は漫画やドラマで見かけるカーテンが、
自分の見慣れたものと全然違うことに、いつも興味を持っていた。
画面や絵の中にある「応接間」や「女の子の部屋」の窓は、
カーテンを左右に開いたときでも、上部には布の飾りが残っているのに、
家や学校の窓はどれも、いつでも銀色の金属レールが丸見えだった。
当時の私は、僻地の寒村に住んでいて、
近所には茅葺き屋根の家さえあり、村にはレストランも喫茶店もなく、
生まれて初めてホテル宿泊を経験したのは高3になる直前の春休み、
という育ち方だったから、
洒落た洋風インテリアの実物に接する機会など、皆無であったのだ。
ヒロイン○○ちゃんのお部屋のカーテンは、どういう作りになっているのか、
どうすれば、テレビで見たようなフリフリが、カーテンの上につけられるのか、
等と考え、仄かな憧れを抱きつつ、画用紙にカーテンの絵など描いたものだった。

成人してから、雑誌『美しい部屋』(主婦と生活社)を読んで知りました、
バランスレールという、別のレールが必要だったんですね(^_^;。
米国ではロッドポケットという、上部を筒縫いしたバランスが主流で、
以前、個人輸入でCountry Curtainsからそのタイプのを買っていたこともあったが、
日本のは面ファスナー(=マジックテープ)でレールに付着させるタイプで、
自宅マンションのカーテンをオーダーするようになってからは、
私も専ら、国産のバランスばかりを使っている。
何であれ、現在の私は、自分の考えひとつで
こういうカーテンバランスを買えるようになった。
「オマエのその夢は、およそ半世紀後に叶うから、気長に待ってな」
と、小学生だった自分に言ってやりたい気分だ(笑)。

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7月22日(木)と23日(金)が休日だった
昨日、久しぶりに会社に行って、来月の予定について話していたとき、
今年に限り7月22日(木)が「海の日」、23日(金)が「スポーツの日」で、
ここの週末は、東京五輪開幕に合わせた四連休になっている、
ということを、私は、初めて知った(爆)。
そういえば去年なんだかそんな話が出ていた記憶はあったのだが、
オリンピック自体が1年延期になって、祝日のほうはどうなったのか、
昨年秋頃に買った手帳やカレンダーにはその記載がなかったし、
私も浮世離れした生活をしていたものだから、全然気付いていなかった。
しかし、改めて考えてみると、そこが連休だろうとそうでなかろうと、
多分、今の私の生活には、あまり関係がなかった。
転夫ころもんが出勤しない、というだけのことであった。

免許証自主返納による特典について
今年は、私の運転免許証の更新の年で、更新連絡葉書が先日来た。
私は既に30年近く運転していないので、不動のゴールド免許なのだが、
こうなると免許証は、実質的にはただの「写真つき身分証明書」に過ぎない。
先日は岩手で、9歳男児が車を運転して衝突事故を起こした一件があったが、
私56歳主婦などはもう、エンジンのかけ方も忘れたレベルだ。
それで、最近、私は、免許の自主返納をしようかな、と思うようになっていた。
返納後に「運転経歴証明書」をつくれば、もう更新を気にすることなく、
写真つきIDとしてこれからずっと使用できるではないか。
確か、運転経歴証明書を提示すればタクシー料金が1割引とかなんとか、
特典があった筈。実家父が使ったことがあったぞ?
いっそ今回は、更新しないで返納にするか?と思いながら、広島県のサイトで
運転免許証を返納された方に対する支援について」を調べてみた。ら。
確かにタクシー料金1割引の特典はあったが、それらの多くは、
『運転免許証を返納された65歳以上の高齢者対象』となっていた。
自主返納も運転経歴証明書取得も、現在の私にとって何も悪いことはないが、
すぐに特典があるのでもないことが、わかった。
自主返納して褒められるのは、じーさん・ばーさん(爆)。

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今季、私なりにカープを応援していないことはないのだが、
さすがに優勝するとかどうとかのレベルでないのはわかるので、
きりきりした思いはなく、一試合一試合を緩くなんとなく楽しんでいる。

栗林のように見事なクローザーが居る年に、
よりによって得点力がないなんて、あまりにも勿体ない話だが、
点を取らずに勝つ試合はないので、どうしようもない。
栗林が未だに11セーブ止まりなのは、本人の責任は全くなく、
チームがそもそも彼を使うところまでたどり着けない日が多いのが理由だ。
登板するにしても、同点の9回をおさえて引き分けに持ち込むため
というのが結構あって(今季はコロナ禍のため延長戦が一切ない臨時ルール)、
栗林には、勝ち数どころかホールドにさえならないという無駄使いぶりだ。

加えて先月後半には、選手から次々とコロナ感染が出たのも痛手であった。
こればかりはいくら注意していたとしても、100%の対策はないし、
チームで動いているので、一度感染者が出るとクラスターになってしまうのは
誰の責任でもないと思うが、それにしても一時期は、
「陽性者だけで1チーム組める」
というほど各ポジションから万遍なく感染者が出て、圧巻であった(爆)。

しかし御蔭で、林や宇草、中村奨成など、若い選手に場が与えられることになり、
彼らがまた、予想以上のものを見せてくれたのは、思いがけない収穫でもあった。
思えば、「スタメンが全員2割切っとる」時代のマエケンじゃないが、
チーム状況が良くない時期に頭角を現した選手のことは、
案外、後々までも忘れられなかったりする。
今季は選手個人の記録を楽しみに、気長にテレビ観戦しようと思っている。

  

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きょうの広島の最高気温は29.7℃だったそうだ。
そろそろ暑くなって、生花には厳しい季節がやって来るが、
去年の記録では、6月29日に夏前の最後の花を飾っているので、
もうしばらくの間はできるかなと思って、きょうは新しい花束を買った。
トルコキキョウとスプレーカーネーション。

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夕べは腰が結構痛くて、これはマズいことになったかもしれない、
と暗澹とした気分だったのだが、ロキソニンで案外、楽になり、
そのままよく眠れて、朝起きても特に悪くなっていなかったので、
きょうは思いがけず元気で、良く動くことができた。
まだ体の角度によっては「腰が痛いんだったな(^_^;」と思い出すので
決して完全によくなった訳ではないのだが、
昨日の夕方以降の痛さや動きにくさを思えば、きょうは随分と具合が良かった。

一ヶ月に数日しか休日がなかった頃より、
最近はずっとゆったりとマトモな暮らしをしている筈なのだが、
それでも未だに、どこにも出かけない日は家での事務仕事や書類仕事が多く、
きょうも午前中からさきほどまでかかって処理していた。
会社関係もあれば神社関係もあり、実家関連もあれば自宅関連もあった。
とにかく一日があっという間に過ぎてしまい、
ついさっき起床したと思っていたのに、気付けばもう夕方だ。
私は成人後の毎日では、「時間がなかなか経たなくてつらい」とか
「ヒマを持て余してどうして良いかわからない」などという思いを、
ほぼ、ただの一度もしたことがない。
ほとんど常にケツに火がついている(汗)。

ただ、高熱があったりして身体的な苦痛が激しいときの夜間には、
どれほど時間が過ぎたかと思うのに、まだ10分しか経っていない、
ああ、朝は、まだまだ、遠い、どうやって耐えよう、
……という思いをしたことが過去に幾度かあるので、
「一日が長い」と訴える人は、心身どちらか、或いは両方が、
きっと、とてもつらいということなのだろうと、想像することはできる。
いやなことや面白くないことを我慢するときには、
その不快な時の流れを、ひどく遅く感じるものだ。

私は「忙しい」「腹立つ」「後悔に苛まれる」的な心の諸々は、
自分で気分転換をすることがかなりの程度まで可能だが、
身体的な苦痛については、全く堪え性がないので、
例えばちょっと頭痛がしても腰痛を感じても、すぐ鎮痛剤に頼るほうだ。
もしも、病気や怪我の苦痛からかたときも解放されないとなったら、
時間が経たなくてどうしようもない、
と大いに嘆くことになるだろうと思う。

今週は割と余裕のある一週間になるように、予定を空けてあるのだが、
そのあとは、7月4日が終わるまでは外に出る用事が断続的にある。
家にひとりでいて自由気ままに過ごしていると、安楽で愉快で1日が早いし、
出ずっぱりで無我夢中で用事をこなして過ごすと、これまた息つく暇もなく
1日が「~!」「~!!」の連続で終わってしまう。
そして、家で書類仕事をやっつけていても、
きょうのようにやはりすぐ夕方になる。
ホントに、私の一生はアっという間だと肝に銘じている。
だから、終活も急がなければ、残り時間はすぐ経ってしまう、と私は恐れている。

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昨夜から仰向けに寝ていると腰の痛みを感じるようになり、
さては一昨日の「1日Web仕事」が原因か、
と年齢を痛感しつつ、きょうも神社の留守番に行ったのだが、
夕食後からいよいよ腰がダル痛い感じになった。

グキっと痛みを感じるポイントが、体の動きに伴っていくつかあり、
それがないときでも、腰全体がモヤモヤとなんだか不快で、
これは2年前の腰痛と同じ種類のものかと、
ウンザリした思いになったが、夜では鍼治療などの選択肢もないので、
とりあえずロキソニンを飲んだ。
すると、有り難いことに良く効いてくれて、モヤモヤがなくなり、
体を動かしたときの痛みも軽快した。

助かった。もう寝よう(^_^;。

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