転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昼の部を観劇。
ドラキュラが普通に男性だったら、
これほど面白くはならなかっただろう、と思った。

詳細は後ほど

今日の私の痛恨のミステイクは
カーテンコールで周囲がババババとスタンディングオベーションになって焦り、
ドラキュラ伯爵の、世にも優雅なお辞儀を半分見逃したことだった(爆)。

さてこれから松竹座へ急がなくては。
二本目の「勧進帳」には間に合うだろう。

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イーヴォ・ポゴレリチのことを書いたドイツ語の某新聞記事の見出しが
Dieser Mann ist ein Rätsel(この男は謎である)だったのだが
そっちの内容はあとで検証するとしてだ、
私にとっては当面、佐山サトルのほうがよほど謎だ。

タイガー「10対10の合コン」に大激怒(日刊スポーツ)
『初代タイガーマスクが「10対10の合コン」に大激怒した。15日、初代タイガーマスクと小林邦明(55)がそろって都内で会見、23日のレジェンド名古屋大会で行われる2人の最後のシングルマッチについて発表した。30年に及ぶ因縁の対決のフィナーレとあって2人とも感慨深げ。タイガーは「体の調子が非常にいい。ファンの目に焼きつく、いい試合がしたい」。小林も98キロの体重を91キロまでに減量。「当日までに90キロに落として臨む。フィッシャーマンスープレックスを1発だけじゃなく、連発する」と話した。』『だが、最近の世相の話になるとタイガーのマスクの下の表情が一変。「変な世の中だ。具合が悪いと仕事をサボって、10対10の合コンに出たやつがいる」と激怒。「仕事をサボった」「10対10は多すぎ」「合コンに呼んでもらえなかった」と、どれが原因か分からないが、テレビのコメント収録が始まっても「10対10の合コンはいけない」とおかんむりだった。』

小林邦じゃなくて小林邦だろう、
……じゃなくて、おいっ、この記事、なんの話なんだよ(--#)。
10対10なんか、けしからん、というから
私は最初、プロレスのバトルロイヤルのことでも言っているのかと思った。
初代タイガーの佐山にとって、シングルマッチこそ真骨頂、
という話の枕かと思って読み始めたのに、最後まで本当に合コンの話か!
しかも「呼んでもらえなかった」って、結局自分の恨み辛みかよ!

小林の体重のことばかり書いてあるが、佐山は減量できたのだろうか。
いや、おまえに言われたくないと責められれば私も一言もないでブヒ。
しかし佐山は、甘いものの食べ過ぎだとかねて評判だった。
羊羹をやめたから、体の調子が非常に良いということなのか?
それとも低血糖でラリって、こんなワケのわからないコメントをしているのか?

一方、小林のほうは減量を自慢しているくらいだから、健康状態は良いのだろう。
タイガー×小林のアングルは勿論、私も知っているが、
30年経った今でも、まだ終わっていなかったとは意外だった。
どんなけんかも、そこまで長いと、もう発端が何だったか、
本人らも観客も、思い出せないのじゃないか(^_^;?

それにしてもこの9月23日レジェンド名古屋大会というのは、
私のような往年のプロレスファンにとってはなかなか豪華なカードが揃っている。
この初代タイガー×小林邦昭のほかに、藤波辰爾×長州力もある。
二代目タイガーの三沢光晴がもう居ないことが、
こういうとき、本当に身にしみて悲しいと思うのだが、だからこそ、
今もリングに上がることのできるレスラーには、良いファイトを見せて貰いたい。

休日だし、名古屋だし、行っていけないことはないのだが、
しかしなぁ、今週末、イナズマなんだよ……(殴)。
さすがに二週連続、道楽で県外遠征というのは、どうもね……。

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言うまでも無いことだが、10日(土)11日(日)と週末二日間を費やして、
私は岡山にサンテレビを観に行っていたわけではない。
『小学校英語指導者育成講座』を受けに行っていたのだ。
二日間、両日とも6時間ずつ、講義とワークショップがあった。
まるまる二日間を自分の勉強のためだけに費やしたのは二十年ぶり?で、
不慣れなことをして疲れたけれども(笑)、素晴らしく充実した時間だった。
こういう機会を与えられたことに感謝しなくてはならないと思った。

講義の部分で、中山兼芳氏と松香洋子氏とが、異口同音に、
「日本語を喋るときと英語を喋るときには、大なり小なり別人になる」
という意味合いのことを仰っていたので、私は我が意を得たりの心境になった。
中山氏は「英語を使うときは、自分はanother personになる」、
松香氏は「大和撫子のまま自分をどこも変えずに英語を話すことは無理」、
という言い方をなさっていた。
お二方とも英語ではいわゆる第一人者の方々だが、帰国子女ではない。
日本にいて日本語で生活している児童生徒たちに英語を指導する場合、
この「別人になる」感覚は、かなり意味のあるものではないかと私は改めて思った。

私自身は、「英語を始めるのは早いほど良い」とは思っていないし、
「日本にいても幼い頃から英語育児をすれば、苦労せずにペラペラになれる」
とも全く考えていないので、幼児や小学校低学年段階での英語教育には
今のところ、ほとんど意義を見出していない。
しかし現実問題として中学生になってしまうと、定期考査と高校入試に追われ、
音声指導にゆっくりと時間をかけていられないという問題は確かにあるだろう。
だから英語の聞き取りや発音に関する部分の学習を、小学校高学年で開始し、
英語の発想や考え方に体験的に触れておく、というのは悪くないとも思っている。

更に言えば、「日本人は英語が喋れない」「日本人はアジアで一番英語が下手」
などと、英会話がこれほど国民のコンプレックスになるのであれば、
中学卒業までの義務教育の英語は、いっそトラベル英会話に近いものとして割り切り、
口頭表現においての、度胸とコミュニケーション能力の育成のみを目標にする、
という考え方でも良いかもしれないし、そのための素地づくりならば小学校で可能だと思う。
旧来の、「フォーマルな」「正しい」英語を追求することは、一旦、脇において、
仮に大半がデタラメでも、英語を通じさせてしまう発想と根性を身につければ、
とにもかくにも、自力でのコミュニケーションが可能になる。
とりあえず「ガイジンだ!」と目をそらして逃げ出すような大人には、ならないで済む、
……はずだ(笑)。
日本の英語教育が、よりcommunicativeなものへと変わろうとすること自体は、
ひとつの見識だと思うし、世の中の要求でもあるのだろうと思う。

ただ問題は、義務教育の先にある、高校がどうするかということではないだろうか。
大学だけは学問研究の場なので、大学入試の英語が、英語論文を読むための能力を
問わないものになるとは思えないし、また、そうなるべきではないだろう。
研究者は、日常英会話はどうでもいいが、学術論文は読めなくてはならないのだから、
やはり英語の文献の読解ができて、それを自分の研究活動に反映させられる、
というのが、学部レベルであろうと大半の専攻において必要な能力だ。
そこを問わない大学入試は、普通に考えて、あり得ないだろう。
そうすると、大量の英語を読んで、一定量の文章が英語で書ける、
ということが、大学入試ではどうしても重要な得点能力になる。

高校は大学受験予備校ではないが、さりとて進路指導もしないわけに行かないので、
中学英語まで続けてきたコミュニケーション活動を受け継ぎつつ、
大学入試に対応できる方向の学力も、生徒達につけさせなくてはならない、
となったとき、高校英語はなかなか厳しい局面に立たされるのではないか、
と私は思っている。
2013年度から、高校の指導要領も「英語の授業は英語で行う」と改められるわけだが、
そうなると、生徒や保護者は、高校を英会話教室モドキと見なしておいて、
能力と経済力に恵まれた子だけが入試のために予備校に通い、
徹底的に、英文法と訳読を日本語を用いて磨こうとする、
という事態も、起こり得るのではないだろうか。
……これは私の、いささか悲観的な予測に過ぎないし、外れるかもしれないけれど。

いずれにしても、到達点である高校英語の行く末もまだ定かには見えない以上、
小学校英語自体が、当面は黎明期としか言いようがなく、
吉田博彦氏も仰ったように、現在既に50歳近い私などは、
仮に小学校英語に関わることができるとしても、完全な「捨て石」世代だ。
私たちの役目は、旧来の英語教育を肌で知っていた世代として、
新しい教育方法への橋渡しの時期を、試行錯誤しながら築いて行くことだ。
もっと言えば、失敗例を積み重ねて改善への土台を作るのが、私たち初代の役割だろう。
そもそもこの仕事の雇用自体が、現状では確立しているとは言い難く、
小学校英語指導者資格そのものも、国家資格ではなく民間資格に過ぎないから、
実際問題として私は、小学校英語に関わることなく終わるかもしれない。
しかしそれでも、この業界の動向は今後も見守りたいと思っているし、
もし機会が得られるなら、無償でも何かお手伝いができればと願っている。

……等々と、講義を聴きながら様々なことを考えた二日間だった。
一方、ワークショップでは実際に児童生徒たちを前にした授業だと考えて、
簡単な英語で自己紹介をしたり、英語で指示を出したり、絵本を読み聞かせたり、
といった活動を次々と要求され、休む間もなく、緊張したが張り合いがあった。
「簡単な英語」とは言うが、使って良い単語のレベルを極度に制限されると、
それはそれで英語というのはまた、やたらと難しいものなのだと実感した(汗)。
また、受験英語だと、与えられたものを英語に直す・日本語に直す等々の作業が中心で、
減点されないための緻密さが重視されるけれども、
小学校英語のようなactive(能動的)な語学をやる場合に必要なのは、
自由な発想や、即興でも堂々と何かをやれる舞台度胸、等々だとよくわかった。
英語学習活動を通して、教師のみならず児童のこうした面を開拓して行くことも、
彼らが「ガイジンだ!」と逃げ出すような大人にならないためには有効だろう(笑)。

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私はクラシックファンの風上にも置けない人間で、
基本的に一番大事なのがピアノで、オペラは全然わかっていない。
だから夏前のメトロポリタン・オペラ来日の時だって、
その意義は重々認めつつも、自分の眼中にはなかった。
しかしそのような私でさえ、今回のボローニャ歌劇場にはビックリした。
三人いた主役テノールが、全員次々とキャンセルになったからだ。

まず8月23日だったと思うのだが、ヨナス・カウフマンが来日をキャンセルした。
胸部のリンパ節の切除手術を受けなくてはならなくなったから、
と本人のメッセージが発表された。
どんだけ緊急手術なんだ、と私は一度は真面目に驚いてあげたのだが、
彼はそもそも6月のメトロポリタン・オペラ来日公演の際にも、
「原発事故が怖い」という理由で日本に来なかったので、
どうも、未だにそちらのほうが「治癒」していない可能性も高いようだった。
ともあれ、彼の代役としてドン・ホセはマルセロ・アルバレスであると同時に公表された。

次に、8月27日に、なんとサルヴァトーレ・リチートラが交通事故に遭った。
運転中に脳出血発作を起こしたとみられる、あまりに不幸な出来事で、
リチートラは重篤な状態に陥ったため、当然のことながら来日どころではなくなった。
そして皆が彼の回復を祈ったが、彼の意識は戻ることなく9月6日に亡くなった。

更に、これとほぼ時期を同じくして5日に、もう一人のテノール、
フアン・ディエゴ・フローレスまでもが来日キャンセルを発表した。
「海水を飲んで咳が止まらず、咽喉を痛めたので」。
このヒトは以前にも、魚の骨を咽喉に引っかけたと言って出演を取りやめた、
という実績があるので、歌手なのに咽喉に特別に悪い星でもついているのだろうか。
なんともお気の毒なことだった。
……私も今度から、扁桃炎じゃなくて「海水飲んだ」にしようかなぁ。

そんなことより。
実は、もっとずっと、比較にならないほどお気の毒なのは日本のファンのほうだった。
理由が何であれ、来られなくなった人間のことは、もう仕方が無いし、
そもそも、来たくないと言う人を拝んでまで来て頂く必要など全くないことだ。
問題はそっちではない。
待ち焦がれた歌声を聴くことができなくなり、大いに失望させられたにとどまらず、
『公演中止以外はいかなる理由によってもチケット代の払い戻しは無い』、これが困るのだ。
主力メンバーをことごとく欠いた、無人芝居のような舞台になろうとも値段は同じだ。
そしてフザケたことに、オペラは半端なく高いのだ、とっくにバブルがはじけた今になっても!
聞いて驚け、今回など、たった一公演がS席54000円だ(『カルメン』だけ52000円)!


もうこうなったら、出演する歌手のネーム・バリューとは関係なく、
その出来映え・公演の見事さが、チケット代と皆の期待とに、見合うものであって貰いたい、
と切に願うのみだ。
週末に行われたびわ湖公演の情報では、『清教徒』代役のセルソ・アルベロは、
第三幕で、輝かしいハイFを、しかも頭声で聴かせたというではないか!
キャスト変更になったからこそ、この舞台に巡り会うことができた、
という公演になってほしいと、遠方の外野からだが私は、本当に心から祈っている。

本日、9月13日18時半、東京公演いよいよ初日だ。
ボローニャ歌劇場 日本公演(フジテレビ)

*************

そして、今回もご降臨になりました、総統閣下。
総統閣下はボローニャ歌劇場に相当お怒りの様子です(YouTube)

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昨日の朝、岡山の某ホテルの部屋で、
出かける前に天気予報をチェックしようと思ってテレビをつけたら、

♪そーさ そーおだよ せ か い は友達~

と物凄く懐かしい音楽が流れてきて、画面に目が釘付けになった。
すぐにわかった、『加美乃素』のコマーシャルだった。

加美乃素A(YouTube)

私が子供のとき既にあった、関西ローカルのCMで、
確か1ドル360円の固定相場だった頃から、この歌・この絵だった気がする。
海外渡航が自由化されて、まもなくの頃に撮影されたものではないか?
今や1ドル78円だとかなんだとか言われると、まさに隔世の感があるではないか。
だのに未だに全く同じものを使っているとは、知らなかった。

タイムスリップしたような気持ちで、天気予報のことなどすっかり忘れ、
しばらく呆然と画面に見入っていたら、今度は、ななんと、
ホテルニューアワジのCMが始まった。
これがまた、歌えてしまうんだ、
♪ホテル~ニュ~~~あわ~~~じ~~~♪
ホテルニュー淡路3(YouTube)

そういえば、ホテルニューアワジで思い出すことがあった。
去年の第81期棋聖戦のとき、第2局の会場がこのホテルニューアワジだったのだが、
そこで深浦王位の注文した「うな重」が、あまりにもショボかったと
一部で大評判になっていたのだ。
対戦相手だった羽生棋聖が、第1局の玉峰山荘でたまたま「うな重」を頼んでいて、
それがまた大変な豪華版だったものだから、
深浦のは気の毒に「うな丼」ではないか、いや漆器に入ってれば一応うな重、とか
対局そっちのけで、腹のよじれる「うな重」対決が盛り上がった。

第1局で羽生が注文した「うな重弁当とグレープフルーツジュース」
第2局で深浦が注文した「うな重とオレンジジュース」

しかしまぁ、ホテルニューアワジはもう十何年か、
ずっと棋聖戦の会場として使われている旅館だし、
「うな重」をオーダーされて、こういうときだけ特別版でもてなす、
というわけにも、今更行かなかったのだろう(^_^;。
普通のお客さんだって来ることだし。
情報化社会(笑)になったお陰で、ホテルだって困ることもあるわけだ。

ときに、『加美乃素』も『ホテルニューアワジ』も、
どちらも神戸のサンテレビが放映しているCMだ。
岡山で立て続けにこれらに巡り会うとは思わなかったが、
つまり岡山でありながら、このとき観ていたチャンネルは
名前は違うかもしれないがサンテレビ系だったということだ。
私はサンテレビ開局当時、神戸に住んでいたので、
UHFが出来た、というあのときの感激だって未だに覚えているぞ(爆)。

たかがテレビと言ってしまえばそれまでだが、岡山というところは、
広島とは明らかに文化圏が違って、むしろ兵庫の瀬戸内側とお仲間なのだな、
ということを明確に感じた、旅の朝だった(笑)。

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昨日今日と2日間、小学校英語指導者資格の講座があって
岡山某所に滞在している。
2日間を自分の勉強だけに費やすというのも素晴らしいが
やはりなんといっても、ホテルでの一人宿泊が最高だ。

……というわけで、メールその他のお返事が今夜以降になると思いますが
どうかご了承下さいませ~。
すみません。携帯しか持ってきていないので……。

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昨日の夕方、パソコンを立ち上げたら検索ワード1位に『ブル中野』と出ていて
何があった!?と驚いてニュースサイトに行ってみたら、引退だった。

ブル中野引退…来年1月8日44歳誕生日(日刊スポーツ)
『全日本女子、WWF(現WWE)、WCWなどで活躍したブル中野(43)が8日、都内で会見して、来年1月8日の44歳の誕生日に東京ドームシティホールで「女帝」と題した引退興行をすることを発表した。ブルは96年を最後に、翌97年に左ひざ靱帯(じんたい)を切断したこともあって試合をしていない。98年にはプロゴルファーを目指したが断念。その後は表舞台に出ることなく、昨年2月にキックボクサー青木大輔と結婚して、現在は東京・中野で小料理屋「中野のぶるちゃん」を経営している。』『ブルは「プロレスから離れ、ゴルフで挫折して、ブル中野という名前を使うのも、人前に出るのも嫌だった。結婚を機に前向きに生きていこうと思い、引退試合をしていないのが心残りだった」。引退興行は7試合を予定しているが、ブル自身はけがもあって出場しない。ただ、現役時代と同じ体形にするために59キロから100キロ目指して増量、現在85キロにまで戻している。』『90年に横浜文化体育館で伝説となった金網デスマッチを戦ったアジャ・コング(40)には、いの一番に試合出場をオファー。会見に出席したアジャは「ここまで来られたのは、中野さんのおかげ。たとえ、その日が自分の結婚式と重なっても駆けつける」と話した。』

ブル中野が出場するなら観に行こうか、と一瞬思ったが、
彼女は試合はしないようだ。無理もないか。
それでも女帝の見納めだから、できることなら駆けつけたい気持ちはある。
あるのだが、……1月8日に東京って、やっぱり、厳しいかな(涙)。

ブル中野がどれだけ素晴らしいレスラーだったか、
知っている人は既に少なくなってしまったかもしれない。
私が女子プロレスを見直すようになった直接のきっかけは、
クラッシュ・ギャルズではなくてブル中野だった。
本来、身体能力の高いほうではなかったと思うのだが、
彼女はプロレスのプロレスたる所以を体現するような、
まさに「巧い」レスラーで、まことにプロレス・センスの優れた人だった。

アジャ・コング『その日が自分の結婚式と重なっても駆けつける』、
いいぞ、その調子だ。
神取忍は出ないのかなぁ。

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昨日、半月ぶりくらいで実家に電話をしたら、
母が面白いことを言っていた。

数日前の昼下がり、体力のない母(82歳?)が、
例によってダイニング・テーブルのところに座って、
だらだらとテレビを観るともなしに見続けていたとき、
唐突に、背後から「パーンン!!」と強い音がした。
母は反射的に、「撃たれた!!やられた!!」と思ったそうだ。

だが勿論、狙撃されてなどいなかった。
母の背後には台所があって、窓も食器棚も何も異常がなく、
家の外から何かをされた痕跡などまったく見当たらなかった。
銃で撃たれたのなら、最低限、窓ガラスに穴があいていないとおかしい。

しかし確かに、背中側から何かが、かなり大きな音をたてたのだ。
外で遊んでいる近所の子供達が、ボール遊びをしている音か?
もしや、爆竹でイタズラでもしていたのだろうか?
そう思って、音のした台所の窓から外を見たが、
誰もいる気配などなく、家の外にも変わった様子はなかった。
母は全く釈然としなかったが、そのときはそれ以上どうしようもなく、
諦めて、それで終わった。

真相は翌朝になってわかった。
いつものように朝の味噌汁をつくろうとして、
ステンレスの鍋を流し台の上の棚から下ろしたら、
なんとその鍋の底に、15センチくらいに渡って一直線にヒビが入っていたのだそうだ。

『昨日のパーンは、これが割れたときの音だったのか……!』

母はつくづくと、鍋を手にとって眺めた。
それはかつて母が結婚するときに、母の母(つまり私の祖母だ)が
結婚祝いにと買ってくれたステンレス鍋だった。
当時としてはかなり良い品で、事実とても使いやすく、
母はそれを結婚以来、ほとんど毎日愛用して来たのだった。
私もその鍋でつくられた料理を、数え切れないほど何度も食べたはずだ。
父と母が神戸で結婚して、私が生まれ、一家で広島に来て、パンスーの祖母と同居になり、
私が高校を出て家から離れ、母の両親が亡くなり、パンスーの祖母も亡くなり、
……50数年間を母とともに過ごし続けた鍋は、朝に晩に母とともに働き、
そしてある日、パーン!と一声鳴いて別れを告げ、あの世に行ったのだった。

なくしたり、穴があいたり、パーツが取れて修理不能になって処分したり、
ということは誰しも調理器具に関して経験することだと思うのだが、
ステンレスで、まさに最後まで使い切られ、本体が自然に割れて終わった、
……などという瞬間に立ち会うことは、そんなに日常的にあるものではないだろう。
しかも素晴らしいことに、調理中の事故ではなかった。
この鍋は、割れる当日の朝まで、老夫婦のための味噌汁作りに役立った。
普通に朝ご飯が終わり、いつものようにスポンジで洗われて、
指定席の棚に乗った状態で、数時間後、突然に自分からコト切れたのだ。

「金属疲労って、ああいうことを言うんやね」
と母は感心していた。
確かに、半永久的に保つものにだって、必ず終わりはあるだろうし、
多くは目に見えないほどゆっくりと劣化が進行し、
限界が来たところで表面化するのだろう。
しかし、半世紀以上、毎日使い続けられたステンレス鍋が、
ある日あるとき、こうやって終わるなどと、私も、考えたことさえなかった。
母に歴史があったように、鍋にも歴史があった。
それがついに終わったのだ。
あっけなかったが、その分、清々しくさえあった。
まさに『使い終わり』の納得感があった。
今までありがとう。よくぞここまで、母と一緒に働いてくれた。


「それにしてもね~」
と母は笑った。
「なんで私、とっさに撃たれたと思たんやろね~(^_^;」
そりゃ、こっちが訊きたい
あなたの商売は、なんですか。『やられた!』って、なんなんだよ。

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(写真は、バスセンターを出るとき撮った、本日の旧・広島市民球場跡。)

舅姑のお墓に行って来た。
お盆のあと、実家の父が墓参り&掃除に行ってくれたので、
ちょっとは保つかなと思ったのと、そのあと台風が来たりしたのとで、
私自身は結局、8月12日以来、四週間近く出向いていなかった。
その判断が正しかったのか、それともじーちゃんが諦めムードだったのか、
最近は、あの世からの指令は、あまりはっきりとは聞こえてきていなかった。
しかし、どう考えてももう限界だった。花が

それで今朝は、まず広島バスセンターのコンビニで、
私にしては奮発して、ちょっと大ぶりな菊の花束を二つ買った。
そして佐伯区方面行きのバスに乗り、久々に墓所のあるお寺に行った。
やっぱり思った通り、お供えのお花は既に茶色のドライフラワーになっていた。
なので早速、花筒を洗ってタワシで磨いてぴかぴかにし、新しい水で満たして、
そのあと墓石の汚れも落としてから、持参した菊をいけた。
例のごとく、ろうそくは溶けて逆U字に曲がっていたので、新しいものに取り替え、
墓のまわりの雑草も少しあったので抜いて、ゴミも拾い集めて、捨てた。
そうしたら、どういうわけか、きょうは全体が物凄くキマって(笑)、
霊園のパンフレットに載っている写真のような美しさになった。

よしっっ!!完璧だっ!!!
これで今月は、お彼岸前にもう一度来れば、
この綺麗な状態が、ちょうどうまくキープできるだろう。
我が計画にぬかりナシ。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。

……って、私の基準は、舅姑がどうしたかではなく、常に、花の具合

それから、お灯明を上げて、ラベンダーのお線香をあげた。
墓所の周囲の森ではツクツクボウシが元気よく鳴いていて、
まだ十分に日差しは強かったが、それでももう、真夏の過酷さは無かった。
確実に秋になっているのだった。

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私にしては大変珍しいことに、昨夜は飲み会があって出かけた。
と言っても私は一滴も飲まないからウーロン茶だったのだが、
市街地の洋風居酒屋で三時間ほど、母校同窓会広島支部の先輩方5人と大いに喋り、
アルコールのアテになる料理ばかりを食べ続けた。
学生時代の思い出話や、現在のお仕事のこと、ご家族のこと、
可笑しい話・興味深い話が続出で盛り上がった。

いろいろな話題があったが、某先輩がかつて就職活動の頃、
○○重工に会社訪問で行ったときに、敷地内にミサイルを作っている箇所があり、
完成を待つミサイルが、遠目にはおもちゃのように、ぽつんぽつんと並んでいた、
という思い出を語って下さったのには、一同、なるほどと聞き入った。
静かな工場で、本当に何気なく着々とミサイルが製造されていて、
「これが外に出て行くとき兵器になるんだ……。人を殺害する道具になるんだ……」
と考えることは深い衝撃だったということだ。

また、我が家は娘が高校生ということで、母校の大学を受けさせないのか?と
先輩方から訊ねられたりもした。
いや、そうして貰いたいのはヤマヤマなのだが、
娘は大学は共学に行ってみたいと言うし、
それ以前に、歴史がやりたい人には母校では専攻する学科がないので(汗)。

……という具合で、会そのものは大変に楽しかった、間違いなく愉快な時間だったのだが、
反動で、きょうは、朝からだるかった(^_^;。
私はやはり、夜中まで外を歩いているような生活は向いてないと思った。
昔からこの傾向はあったが、家庭に入ってからはいっそう顕著になった。
演奏会を聴く場合は黙って集中しているので、夜の公演でもまた別なのだが、
宴会のような社交を夜遅くまですると、てきめんに疲労して体にクる。
ひとつには、飲めない私にとっては、アルコールで心身を解放するという面がなく、
宴会は、「夜中」という時間帯になってまで飲み食いし活発に喋っているだけだから、
同じことを昼間するより、単純に肉体疲労度が高いのではないかと自分で思っている。
私は普段、晩ご飯は家族3人、焼き魚程度で早めに済ませて、
粛々と片付け、夜十時にはお布団に入って本を読んでいるという、
ばーさんな暮らしをしている人間なので。

次回は、ランチで女子会、お願いします(逃)。

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