転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



・主人は一昨日の地ビールフェスタで盛り上がり、
「限界です」というまで飲んだので、その晩から胃が不調になった。
昨日の夕食は、それで『キノコの雑炊』にしたら「美味い美味い」と大好評で、
それは大変喜ばしいことだったのだが、どうやら消化が良すぎたらしく、
夜中に目覚めて、今度は空腹が過ぎて胃が痛い気分になったそうだ。
今朝はフィナンシェ一切れと娘のお弁当の余り分を若干食べて朝食がわりにし、
胃薬を飲んでご出勤になった。
私は体調不良というと鼻炎扁桃炎大腸炎だが、
主人は、眼精疲労と肩こりから来る頭痛、それに胃炎、のどれか・またはセットだ。

・娘は昨日から体育がプール授業だった。
高2の今年は、クロール×平泳ぎ×背泳ぎ、の個人メドレーをやるのだそうだが、
昨日は二学期最初の体育がいきなり水泳だったせいか、
水着を忘れた人も少なくなく、クラスの半分くらい見学者だったそうだ。
そうなると、泳ぐ人数もその分少ないので回転が速く、
娘はやっとあがったと思ったらまた順番が来て、死にそうだったと言っていた。
娘は泳ぐこと自体は困らないが、水泳教室は小学校2年生までしか行っていないので、
正しい泳ぎ方を系統立てて習ったと言えるのはクロールのみで、
自己流の平泳ぎと背泳に関しては、かなり無理な泳ぎ方をしているらしかった。
その証拠に、今朝は気を失いそうなほどの筋肉痛だとのことだった。

・ネットをやる時間を極力減らそう、と思っていたのに、
facebookのThe Cult of Ivo Pogorelich Fan Clubが祭りになってしまい、
次々とメッセージが来たり書き込みがあったりして昨日は忙しかった。
ここ数日で日本人登録者が急激に増えて、元からいるヨーロッパのポゴファンたちは
嬉しい悲鳴をあげているようだ。
我々、日本人ファンは、ポゴレリチの少年時代の映像が見られることに狂喜したのだが、
ヨーロッパのポゴファン達は、極東にこんな巨大マーケットがあった、
という事実に初めて気がつき、そのことで大祭り状態になっている(^^ゞ。

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We will rock you!
きょう9月5日は、フレディ・マーキュリーの誕生日だ。
googleのトップには、だから、朝からふれで先生が出ている(笑)。
Googleトップページがフレディ・マーキュリーでノリノリ(ITmedia)
フレディは1946年生まれだから、今年で65歳ということか。
ブライアンやロジャーの活動を見ていると、確かに年齢は感じるけれど、
やはりQUEENとしての輝きは色褪せることがないので、
ここにフレディがいてくれたら、どんな歌を歌っていただろうかとか、
何を言ってくれただろうかなどと、ついつい、今でも考えてしまう。
ジョンだってフレディがいれば、今も現役だっただろうに。
私自身は、「クイーン+ポール・ロジャース」も否定していないのだが、一方で、
「フレディの声以外でQueenの曲を演奏するのは考えられない」
というジョンなりの筋の通し方も、ファンとして尊重したいと思っている。

Rock and roll all night!
私が幼イーヴォ事件(笑)にかまけている間に、
KISSのジーン・シモンズがツイッターで重大発表をしていた。
『Oct 1st. The big day. Check out http://www.GeneSimmons.com』。
なんだ?と行ってみたら、なななななんと、ジーンは結婚するのだそうだ!
お相手は勿論、長年、事実婚状態だったシャノン・ツイード。
ジーンはこれまで、彼なりの考えがあって、
シャノンを結婚というかたちで独占することはしない、
と語ってきたのだが、このたび、ついに決心してプロポーズしたようだ。
「よく映画で『「キミなしでは生きられない」などという台詞があったが、
今の自分がまさにそうだ、愛している、結婚して下さい』、
等々と語ったのだそうで。おめでとうございます(^^)。
……と、それは本当に素晴らしい話なのだが、オイ、この記事は↓なんだ。
KISSのジーン・シモンズ、長年のパートナーと10月1日挙式予定と発表(シネマ・トゥデイ)
68歳にして結婚という決断を至った心境は、ファンならずとも気になるところだ』
いや、ジーン社長は、まださすがにそこまでのトシじゃないから(^^ゞ。

♪ぼくのクリッパ~~
私はfacebookのポゴレリチファンクラブの世話に明け暮れていたワケではない。
昨日は、納戸部屋(私がパソコンをやっている場所だ)の片付けに精を出した。
官舎から引っ越してきて以来、一度も開けていない箱がまだあった。
娘の、もうどうでもいいような古い文房具が山ほど出てきて、捨てた。
その中に、爪切りが二つあった。
見るからに古いもので、昔うちの祖母(パンスーではないほうの、母方の)が
「馬の爪切り」と呼び習わしていたタイプの、大きな爪切りで、
しかも『○○舟唄保存会』と『○○銀行』のネーム入りだった。
「かなり古そうだし、捨てていい?」
と私は主人に訊いた。
もともと爪切りに趣味のある主人は、自分用の、具合の良いカーブのものを
特に選んで使っているし、娘もカバーつきの可愛いのを愛用している。
家族が少ないのに、爪切りばかり数があっても仕方が無いだろうと私は思ったのだ。
ところが、主人は言った。
「なんで捨てるんね!おかーちゃんが、使いんちゃい!!」
私かよ(--#)。……ああ、でも以前、あったな、似たようなことが。お互い様か。
……ということで、私はひとりで二つの爪切りを所有することになった。
前足用と後ろ足用に、分けて使おうと思います。

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台風12号の影響で
台風12号の影響で、娘の学校は3日(土)は休校になった。
前日2日(金)の夜、学校からのメールと電話連絡網とでお知らせがあった。
雨と風はそれなりにあったが、これまで経験したことのある台風と較べて
特別にひどいとは、広島市街地に関しては思えなかったのだが、
「暴風警報」はずっと出ていたし、何よりJR在来線が全面運休になってしまい、
昨日朝には実質的に通学が不可能な状況だったので、休校の決定は正しかった。
そして、娘がいつも土曜日に通っている中高生絵画教室も休みになった。
娘はそのお陰で、まるで夏休みの延長のように、この週末を寝て過ごした。

TMRごっこ
ツイッターを見ていたら、一部の西川貴教ファンの間では台風が大いに歓迎されていた。
外に出て、強風にあおられながら、TMRごっこをする楽しみがあったからだ(笑)。
雨が強いときは濡れるのが難だが、何しろ台風なので扇風機などとは雲泥の差だ。
こんなおあつらえ向きの風は、滅多に来るものではなかった。
素肌にジャケットを着て、髪をなびかせ、思い切り浸ったヒトもいたようだ。
不意になんか飛ばされて来たりしたら、危険だっつーに。

facebookのThe Cult of Ivo Pogorelich Fan Club
ポゴレリチ少年時代の映像がUPされていたのがきっかけで、
私は現金なことに、ここ数日で急にfacebookにしげしげと出入りするようになった。
長らく登録だけで、Cultポゴ・ファンクラブをたまに覗きに行く程度だったのだが、
さすがにこれほど貴重な動画が発掘されたとあっては、放置できなかった。
mixiでfacebookの投稿内容について紹介して下さった某氏のお陰だ。感謝感謝。
更に、私がここに書いたりツイッターで騒いだりしたせいもあってか、
この何日かで急激にCultファンクラブに日本人登録者が押し寄せて、
『Asian Invasionだ、何が起こった!?』と事情を知らぬ動画投稿主が驚いていた(笑)。
『私が私設ファンサイトをやっていて、そこで紹介したことが原因のひとつかもしれません』
と書き込んだら、先方は一応納得してくれて、私のサイトを見に来られたあと
(日本語サイトだから、ほとんどお役に立てなかったことと思うのだが)、
『Cultに出ていないものをもし持っていたら、UPしてくれ』と返事があった。
……うぅむ、敢えて今、深くは語らないが、こーゆーことに関して、
あっちの人々の権利意識はどうなっているのか、昔からなんだけど、相変わらず謎(逃)。

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昨日書いたように、facebookの中のThe Cult of Ivo Pogorelich Fan Clubに
大変貴重な、ポゴレリチの少年時代の映像がUPされていて、
昨夜遅くなってから、更にバッハのイギリス組曲第2番のプレリュードも追加された。
『これでおしまい。ボクのパンドラの箱ももう空っぽだ』
と投稿主が書いていたので、今回のお宝映像はこれで出尽くしたようだけれど(笑)。

現在の彼を既に彷彿とさせる表情の、十代初めのイーヴォ・ポゴレリチは、
この頃、おそらくモスクワ中央音楽学校に入学して1~2年という時期だった。
ポゴレリチは7歳とき、父親(コントラバス奏者)の手ほどきでピアノを始め、
当初は専門家を目指すつもりはなく、単なるお稽古事として習っていたが、
やがて9歳の頃、初めて地元のテレビに出て演奏し、報酬を得るという経験をする。
そのギャラで僕は家族にプレゼントを買ったのを覚えている。
腕時計とか、そんなものを。当時の僕にとって、それは凄いことだと思われた

と後にポゴレリチは回想している。

そして彼が11歳になったとき、中央音楽学校からベオグラードを訪れた、
エフゲニー・ティマーキン教授が、模範レッスンで出会った少年イーヴォを
非常に高く評価し、給費生としてモスクワに留学させるようにと両親に強く勧めた。
父親はその説得を受け入れ、ひとり息子を送り出すことに決め、
最後の夏、幼い息子がこの先、祖国クロアチアを忘れないようにと、
スプリット、ザグレブ、ドゥブロブニクへの旅に連れ出したということだ。

親許を離れ、言葉もわからぬ異国で初めての寮生活を始めたイーヴォを待っていたのは、
信じがたいほどレベルの高い、中央音楽学校の教育内容と優秀な生徒たちだった。
11歳でモスクワに行ったときは本当に衝撃を受けた。
だってクラスにいた皆は、ひとりの例外もなく、全員が、僕よりもずっと上手だったから。

イーヴォは、ユーゴスラヴィアでなら才能を認められた子供だったし、
音楽に関する表彰を受けたことさえあったのに、
モスクワでは、なんの取り柄もないひとりの生徒に過ぎないことを知らねばならなかった。
しかし、彼は幼いながら大変勝ち気な少年だった。
僕は皆に追いつくためだけでなく、彼らの中で抜きん出るために、稽古しようと思った。

そのような日々の中で、ポゴレリチはグレン・グールドのレコードに出会う。
彼の弾くバッハに大変な感銘を受けた13歳のポゴレリチは、
自分もきっと、いつの日か『イギリス組曲』を録音したい、と願うようになる。
当時の少年イーヴォにとって自分がバッハをレコーディングするなどということは、
司祭が枢機卿の衣をまとうことを夢見るようなものだった。

その夢は1985年10月、ポゴレリチ27歳のときに叶うことになる。

今回の動画でバッハを弾いているのは、多分その13歳くらいの頃のポゴレリチで、
勿論、技術の面でも解釈の面でも、年齢的な拙さはあるのだが、
それでも、ポゴレリチが名を得たのちに録音したバッハに、明らかに通じるものが、
この短い演奏の中にも確かに感じられ、私にはそのことがとても鮮やかに印象に残った。
彼は、自分の中に最初に芽生えたものを大切に育て、
その成長に手を貸してくれる人々に巡り会い、
最終的にはケジュラッゼ女史という最高にして最大の理解者を得た。

だから僕が、若い人たちに学んで欲しいと思うのは、
何かを信じ、自分自身に信念を持っているなら、
何ものをも、自分を止め得るものはない、ということだ。
世界も、国家も、国民も、政治も、体制も、何も、ない!
自分が心から望むものが、手に入らないはずがないと僕は思っている。


誰しも自分が将来何になるかなんてわからない。
現在の姿というのは、出発点から遙か遠くまで来たものだ。



(上記ポゴレリチの発言は、すべて、Elyse Mach(1988)
『Great Pianists Speak for Themselves Vol.Ⅱ』より引用。拙訳)

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mixiのポゴレリチ・コミュニティで某氏から教えて頂いたのだが、
facebook(要・登録、無料)のThe Cult of Ivo Pogorelich Fan Club
ポゴレリチの少年時代の映像がUPされている。
『70年代モスクワ』とあるので、70年代半ば頃の撮影かと思うが、詳細不明だ。
短いインタビューと、リスト=シューマン『献呈』、シューマン『飛翔』
の2曲の演奏が収録されている。

インタビューはセルボ・クロアチア語だと思うのだが、
だ~れ~か~、英語、いやこの際ロシア語でもいい、字幕翻訳つけて下さい~~。
そしたらシヌ気で解読しますから~~~(泣)

**********

それにしても、世界中のポゴレリチ・ファンが集うと、
さすがにコレクションの質も量も、大変なことになって来た。
画像だけでも、これで少年時代から初老時代(爆)まで揃うことになり、
利発そうなイーヴォ少年、イカれたあんちゃんだった新進ピアニストのポゴ、
肥満して大家然とした90年代のポゴレリチ、
それに最近の、いっぺんブっ飛んでから帰ってきたマエストロ・ポゴ、
こーなって、あーなって、ここに来たのか、と思うと、
……何か、どうぶつ図鑑で「○○の一生」を見ているかのような感慨が(逃)。

いや、真面目に感動しているのだ私は。
会ったこともない世界中の人間によって、これほどの画像が集められ、
はからずも少年時代から今日までの歩みを俯瞰できるような
膨大なコレクションを編まれるなどとは、どれほど偉大なことだろうか。
それも、どこか権威のあるところが組織的にやったことではなくて、
まさに個人個人の持ち寄りだ。
皆にそのようなことをさせたのは、ひとえに彼の芸術ゆえだ。
あれほど演奏会の回数が少ないピアニストであるにも関わらず。


追記(9月2日21時04分):facebookに投稿のあったことを示すメールが来たので
先ほど見に行ったら、更に、イーヴォ少年の弾くショパンのワルツがUPされていた。
マズルカやポロネーズなら驚かないが、ワルツを弾くポゴレリチ、
というのが、それだけで新鮮過ぎて目眩がしそうだった(笑)。

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・『九月になったのに』という歌がRCサクセションにあったが
(1972年RCサクセション2ndアルバム『楽しい夕べに』)、
全く、あの歌詞の通り相変わらず蒸し暑いし、相変わらずの夏が続いている、
……と思っていたら、きょうは午後からいきなり、大雨と雷で凄いことになった。
午後3時前くらいから暗くなってきて、まもなく嵐のような降りになり、
窓から見たら、向かいのビルより遠くは視界がきかないほどだった。
台風12号の進路が予報より西寄りになったせいだということで、
このままだと明日もあまり良い天気とは言えないようだ。
娘にしてみれば、まさに台風に始まり台風に終わる夏休みとなったわけだが、
しかし仮にどれほど降っても、娘の学校は暴風以外の警報では休校にならないので、
今回に関しては、休みが増えてトクするというほどの展開にはならないだろう。

・私のお腹の具合は、昨日よりは明らかに良くなったのだが、
やはりまだ、腹痛未満・腹部不快、という感じのお腹ゴロゴロが日に幾度も来て、
全快とは言い難い状態が続いている。
ひきつづき療養という名のグータラを、可能な限り続けたいと希望している(殴)。
娘のほうは二学期が始まり、久しぶりに学校に行ってお友達も勢揃いしたので、
とても楽しかったらしく、実に生き生きとした表情で帰ってきた。
今夜は、しゃっくりや腹具合のことは話題にしていないので、良くなったのだろう。
明日も休み明けテスト二日目なので、そのほうは解決していないわけだが(笑)。

・今年のプロ野球、パ・リーグはハッキリ「2強4弱」状態で、
独走するソフトバンクと追う日本ハムに、残りの球団がどこまで迫れるか、
どこが3位に食い込んでCSに残ることになるか、が注目されるわけだが、
セ・リーグは日を追うにつれて混沌として来た。
長らく、1位ヤクルト・6位横浜が固定され、間に4球団がひしめいているという、
「1強1弱4どんぐり」だったのだが、ここに来てヤクルトが息切れし、
巨人阪神が息を吹き返し、ヤクルト・巨人・阪神・中日・広島による、
「5どんぐりの背較べ」の様相を呈してきた。
1位から5位までのゲーム差が3.5しかなく、どこかが連勝すればすぐ順位が入れ替わる。
9月になってもこれほど先の読めないシーズンは久しぶりではないだろうか。
尤も、「4どんぐり」でも「5どんぐり」でも、どっちにせよ、
やっぱりしんがりは広島カープで落ち着く、ってゆーところが
「らしい」なぁと、脱力した笑いが浮かんで来るのだがね。

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