転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
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HN「転勤族の妻よしこ」、筆名「山田亜葵」。家族は、転夫まーくん(またの名を「ツアコンころもん」)、転娘みーちゃん(1995年生まれ。首都圏在住。会社員)。
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イーヴォ少年 2
ポゴレリチ(ポゴレリッチ)
/
2011年09月03日 11時36分44秒
昨日書いた
ように、facebookの中のThe Cult of Ivo Pogorelich Fan Clubに
大変貴重な、ポゴレリチの少年時代の映像がUPされていて、
昨夜遅くなってから、更にバッハのイギリス組曲第2番のプレリュードも追加された。
『これでおしまい。ボクのパンドラの箱ももう空っぽだ』
と投稿主が書いていたので、今回のお宝映像はこれで出尽くしたようだけれど(笑)。
現在の彼を既に彷彿とさせる表情の、十代初めのイーヴォ・ポゴレリチは、
この頃、おそらくモスクワ中央音楽学校に入学して1~2年という時期だった。
ポゴレリチは7歳とき、父親(コントラバス奏者)の手ほどきでピアノを始め、
当初は専門家を目指すつもりはなく、単なるお稽古事として習っていたが、
やがて9歳の頃、初めて地元のテレビに出て演奏し、報酬を得るという経験をする。
「
そのギャラで僕は家族にプレゼントを買ったのを覚えている。
腕時計とか、そんなものを。当時の僕にとって、それは凄いことだと思われた
」
と後にポゴレリチは回想している。
そして彼が11歳になったとき、中央音楽学校からベオグラードを訪れた、
エフゲニー・ティマーキン教授が、模範レッスンで出会った少年イーヴォを
非常に高く評価し、給費生としてモスクワに留学させるようにと両親に強く勧めた。
父親はその説得を受け入れ、ひとり息子を送り出すことに決め、
最後の夏、幼い息子がこの先、祖国クロアチアを忘れないようにと、
スプリット、ザグレブ、ドゥブロブニクへの旅に連れ出したということだ。
親許を離れ、言葉もわからぬ異国で初めての寮生活を始めたイーヴォを待っていたのは、
信じがたいほどレベルの高い、中央音楽学校の教育内容と優秀な生徒たちだった。
「
11歳でモスクワに行ったときは本当に衝撃を受けた。
だってクラスにいた皆は、ひとりの例外もなく、全員が、僕よりもずっと上手だったから。
」
イーヴォは、ユーゴスラヴィアでなら才能を認められた子供だったし、
音楽に関する表彰を受けたことさえあったのに、
モスクワでは、なんの取り柄もないひとりの生徒に過ぎないことを知らねばならなかった。
しかし、彼は幼いながら大変勝ち気な少年だった。
「
僕は皆に追いつくためだけでなく、彼らの中で抜きん出るために、稽古しようと思った。
」
そのような日々の中で、ポゴレリチはグレン・グールドのレコードに出会う。
彼の弾くバッハに大変な感銘を受けた13歳のポゴレリチは、
自分もきっと、いつの日か『イギリス組曲』を録音したい、と願うようになる。
当時の少年イーヴォにとって自分がバッハをレコーディングするなどということは、
「
司祭が枢機卿の衣をまとうことを夢見るようなものだった。
」
その夢は1985年10月、ポゴレリチ27歳のときに叶うことになる。
今回の動画でバッハを弾いているのは、多分その13歳くらいの頃のポゴレリチで、
勿論、技術の面でも解釈の面でも、年齢的な拙さはあるのだが、
それでも、ポゴレリチが名を得たのちに録音したバッハに、明らかに通じるものが、
この短い演奏の中にも確かに感じられ、私にはそのことがとても鮮やかに印象に残った。
彼は、自分の中に最初に芽生えたものを大切に育て、
その成長に手を貸してくれる人々に巡り会い、
最終的にはケジュラッゼ女史という最高にして最大の理解者を得た。
「
だから僕が、若い人たちに学んで欲しいと思うのは、
何かを信じ、自分自身に信念を持っているなら、
何ものをも、自分を止め得るものはない、ということだ。
世界も、国家も、国民も、政治も、体制も、何も、ない!
自分が心から望むものが、手に入らないはずがないと僕は思っている。
」
「
誰しも自分が将来何になるかなんてわからない。
現在の姿というのは、出発点から遙か遠くまで来たものだ。
」
(上記ポゴレリチの発言は、すべて、Elyse Mach(1988)
『Great Pianists Speak for Themselves Vol.Ⅱ』より引用。拙訳)
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