転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



午前中から舅姑の墓参りに行き、舅宅の様子を見に行き、
市街地まで戻ってきたら、思ったより時間が早かったので、
前々から考えていた頼山陽史跡資料館に行ってみることにした
(写真は、頼山陽21歳時の脱藩事件のあと、
およそ3年間幽閉されていた、自宅「離れ」の復元。
資料館の前庭にあり、現在では史跡として「頼山陽居室」と呼ばれている)。

今回のテーマは「頼山陽の書」で、山陽自筆の書簡や、
旅先での揮毫(きごう)の際に仕上げた書など、
年代順に多くの手紙や原稿、作品が解説つきで展示されていた。
私は書を見て何か言えるような素養は全くないのだが、
全体の印象からすると、若いときより中年以降の山陽の書のほうが、
緩急のバランスが見事で、生き生きした感じがすると思った。

最近は、私なりに本も読み知っている逸話が増えたので、
出ている解説を読めば、その前後の出来事に関して思い出せることもあり、
山陽が実際に生きて、こうした執筆の生活を送っていたのだということが
いっそう強く実感を持って理解できる気がした。

また、頼山陽の弟子で女流詩人だった江馬細香の漢詩もあったが、
読んでみたら、それは以前、漢詩の会で習ったことのあるものだった。
漢詩の先生は、そのとき江馬細香について説明して下さった筈なのだが、
当時の私はまだ頼山陽をよく知らなくて、
詩の断片は記憶に残っても、彼女の名までは覚えていられなかったようだ。
女性である細香の、山陽への視線には、弟子という以上の独特の愛情があり、
今になって読むと、漢詩の情感もまた改めて味わえ、とても良かった。
随分前から、実は私は頼山陽の周辺に人にも出会っていたのだな、
ときょうは感慨深く思った。

それにしても、平日の昼だからか、こじんまりした史跡だからか、
きょうは私のほかにもうひとり男性が見に来ていただけで、
帰るときになっても、それ以上誰も来なかった。
来月には母の梅颸(「ばいし」。「し」は<風思>)に関する展示があり、
見たいと思っているのだが、これから足繁く通うようになったら、
事務局の方々に顔を覚えられそうな感じだった(笑)。

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