最近の私は、朝NHKラジオ『まいにち中国語』を聴いたあと、
さらに『ワンポイント・ニュースで英会話』を聴き、
そのあとも『みんなのうた』『ラジオ体操』まで
ずっとラジオをつけっぱなしにしている。
三つ子の魂百まで、というのか、私は未だに
中学校で徹底的に教えられたラジオ体操が忘れ難く、
朝の体操が、なんだかとても好ましいものに思えるのだ。
マンションの一室で、朝から妙に力の入ったラジオ体操をする、
孤独で肥満体な転妻を、どうぞ想像なさって下さいまし(^_^;)。
ところで、その体操をするのは気持ちよいのだが、
昨今、不愉快に思っているのは、それの前にある『みんなのうた』だ。
かつて『みんなのうた』というと、私にとって楽しい想い出が多く、
ここで知った歌手や覚えた歌も少なからずあったものだが、
もはや隔世の感あり、現在は全然理解や共感のできない歌が続いていて、
私は自分の老化を痛感している。
多分、あのような歌が、今時は「良い」ということになっているのだろうが、
どの歌も、ヘロヘロした発声で、アレンジも歌詞内容も大変に軟弱だし、
安易にカタカナが混じって、日本語としても規格外だ。
登場人物や語りかけの相手は、うなだれていたりデリケートだったりして、それを
「そのままでいい、大丈夫」「わかってくれる人はきっといるから」
などと、歌い手は、寝言みたいに性根の入らない声音でなぐさめている。
明日をも知れない限界状況の中で絶望しかかっているという設定ではない。
よくある暇な毎日の中で、なんか知らんが元気をなくしている歌ばかりなのだ。
そりゃ、心弱ることは誰だってあるだろうし、
よほど単細胞でない限り、滅入ったり落ち込んだりすることは当然ある。
そんなときに叱咤されても耐えられない、というのは、わかる。
静かに寄り添って「キミは悪くない。きっと良くなる。心配しないで」
と共感して貰うことが慰めになることはある、と私だって知っている。
ふと一曲、そういう歌が出てきたのなら、私だって聴き入ったかもしれない。
しかし出て来る歌がどれもこれも、ヘナヘナしているのは、どういうわけだ。
なんだってこんなに腰砕けな歌ばかりが肯定されるのだろうか。
気持ちが高揚し活力が沸いて来るような、生命力に満ちた歌が全くないとは。
フニャフニャした歌を毎朝毎朝聴いていると、私はだんだん苛立って来る。
あなた方!健康な若いもんが、そんな甘い世界を浮遊していて、どうするのだ!
どこかで立ち上がらなかったら、何も打開できないのではないか。
いつもいつも、誰かが手を替え品を変え、労り続けてくれるわけがない。
子供じゃないなら、自分で何と何が問題なのかちゃんと見極めて、
できることはする、現段階で無理と判断したら諦める、
そして気を取り直して今やれることから片付けて行くしかないだろう。
うつむいていれば、優しい解決が向こうからやって来るなんて
そんなヌルい話があってたまるか。
なんでアタシばっかり?ってのがデフォルトだくらいに思わないと。
皆、困った問題は常にあって、いろんなことに不満なまま、
あれこれ我慢して生きてるというのが、普通だし、まっとうなんだよ!
ちったぁ、モヤモヤを自分で蹴散らしたろうと思わんのか。
ああ、イマドキの若い者は!
……と明治の「じさま」みたいなことを思いながら
♪あーたーらしーいー あーさが来たっ
と『ラジオ体操の歌』でようやく溜飲を下げ、
憮然として、ひとりラジオ体操を開始する、転妻なのであった。
うぅむ、認知症になった自分の言動が容易に想像できるな(--#)。
Trackback ( 0 )
|