転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



第2回[生理的に許せない行為]告発集(SPA!)
一般的に、「生理的に許せない」「イラっと来る」ことの種類が多い人生は
主観的につらいことが多く、幸福感から遠くなりがちではないかと私は思う。
だいたい、何人かで集まっていたら、思いがけないことをする人が必ずいるし、
自分だったら絶対にしないことなのに他人には当然、というのは普通によくある。
私自身、周囲の人にビックリされていることが結構あるのではなかろうか。
何しろ、集まった人全員が「自分」のクローンでないのだから、仕方がない(^_^;)。

佐藤愛子先生の、霊界に関する随筆を読んでいると、
人間は、エネルギーの波動が落ちたとき、負の感情にとらわれて、
人を怨んだり、傷つけたりして、最悪は犯罪を犯すのだそうだ。
凶悪犯罪者と言われるような人たちの罪状を見て、
どうしてそんなに残虐な殺人を繰り返したのかと慄然とすることがあるが、
そのような人たちは、悪い波動につかまってしまったということらしい。
『誰でも良かった』という言い方で無差別殺人をする人などが、この典型だ。
だから今、警察が来るようなことをとりあえずしでかしていない私だって、
何かの拍子にエネルギーの波動が落ちたら、負のサイクルにはまりこんで、
突然に窃盗や殺人を犯す、ということも大いに有り得るわけだ。

そう考えると、些細なことでもいちいち他人を不快に思い、心の中で責める、
というのは、「悪い波動」に取り込まれ始めている段階かもしれない。
イヤなことや許せないことが全くない人間、というのもかなり異常だろうが、
あれもイヤ、これも腹立つ、みんなロクでもない人ばっかり!
と日常の様々なことが、たびたびカンに障るときというのは、
原因はむしろ、自分のほうにある、かもしれないのだ。

……と私は思って、まあとりあえず、あまり許せん許せんなどと
ヒトのことを悪し様に言わないようにしよう、とは心がけている(汗)。
なかなか難しいが(大汗)。

勿論、エネルギーの波動が下がってくるには、それだけの理由があり、
すべて自分の心がけや性根が悪かったせいだ、ということではないが、
同じような苦労をしたり不幸な目にあったとしても、
全員が必ず荒むわけではないし、その後の人生が同じものになるわけでもない、
ということを考えると、やはり各自が潜在的に持つエネルギーの質や量は、
そのときそのときで、それぞれ違っており、
大切に考えなくてはならないものなのではないか、という気がする。

ちなみに、佐藤愛子先生の本では、負の状態から浮上する、
あるいは悪い波動につかまらないために誰にでもすぐ出来ることとして、
朝日を拝み、深呼吸する、などの方法が紹介されていた。
どうもいけない、悪いサイクルに取り込まれそうな感じだ、
と自覚したら、自分でそれを浄化することは可能であるわけだ。
考え方の角度が違うだけで、例えば多くの宗教だって、
これと似たことを言っている、と私は思う。
祈ることで誘惑に打ち勝とうとしたり、お題目を唱えて気持ちを安定させたり、
礼拝などの場で自分を見つめ直して出直そうとしたり、というのは、どれも、
清らかなものに触れることで、自分を洗いなおし、
より良い波動の中に身を置こうとする試みではないだろうか。

なので、私は、そうですね、とりあえずは、
毎朝の気持ちよいラジオ体操を、続けることにします(って、そこ?)。

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