転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



飛鳥資料館が年末の休館日に入っていて、
高松塚古墳やキトラ古墳についてはほとんど見学できなかったが、
キトラ古墳のほうは、発見場所を外から見た。
小屋のようなものが横に建てられ、
そこで古墳内部の湿度管理がされていると
タクシー運転手さんが仰っていた。

付近は竹藪が多く、山のかたちも古墳を思わせるお椀型で、
もし大規模な発掘調査が行われたならば、
さらにあちこちから古代遺跡に類するものが出そうだった。
が、竹藪もそれぞれ個人所有であるため、
国が、アテもなく掘り返すワケにはいかないのだった。

それで、キトラ古墳の次に行ったのは、この「鬼のまな板」。
鬼だとか、まな板だとか言うのは、勿論、後付けの伝説で、
これもやはり古墳の何かで、石でできた基礎の部分らしかった。

「鬼のまな板」「鬼の雪隠」や「石舞台古墳」など、
古代の明日香村界隈は、大きな石がごろごろあったようだ。

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晴れた日は巨大仏を見に(爆)。

宮田珠己氏の『晴れた日は巨大仏を見に』を思い出して、
娘とふたりでオオウケしてしまった。すみません。

これの右手の山の中腹にも、もう一体、
ギョっとするような巨大観音があった。

これらは、比較的新しいものだった。

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今夜帰る予定なのだが、近隣で何か見られるものはないか、
と主人と相談していて、飛鳥か斑鳩に行こうということになった。

主人は小さい頃に舅姑が旅行好きだった御陰で
飛鳥は見たことがあると言っていたが、私は、なかった。
斑鳩にも未練はあったのだが、観光名所となると、
法隆寺と中宮寺がメインになりそうで数が少なかったので、
とりあえず、今回は飛鳥から攻めよう、ということに決まった。

で、一日かけて飛鳥観光。
一箇所の滞在を短くし、タクシーを駆使してあちこち見ることにした。

まずは壷阪寺。真言宗。
西暦703年に弁基上人によって開かれたという、
1300年の歴史を誇る寺院だ。

歌舞伎の『壷坂霊験記』で私は名前だけ馴染みだったが、
来たのは勿論、初めてだった。
お里と沢市が登ったのはどのあたりという設定なのだろうか。
歌舞伎にある通り、霊験あらたかな眼病封じで有名なお寺だが、
この付近はそもそも製薬業がさかんで、
「置き薬」などの商売に従事されている方々も結構あるとのことだ。

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昼過ぎに平安神宮まで来た。
本当は近くのスフレのお店が父娘のお目当てだったのだが
年末のためか臨時休業中だった。
それでとにかく平安神宮にはお参りした。
ここは私が独身だったときに、やはり師走に
友人ふたりと連れ立って来たことがあった。
確か南座観劇の翌日に京都見物をしたときだったと思うのだが
おみくじを引いたら《縁談》のところに《良縁ありてまとまる》とかなんとか書いてあった。
んなワケねーって、とそのときは笑ったのだが
その直後の年明けに主人と出会い3月には結婚を決めたので
《平安神宮のおみくじ》は長く私の友人たちの間で伝説となった。
驚いたやら呆れたやらで(爆)。

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娘の中学受験のときには、私の実家の父が
太宰府天満宮の御守りを買って来てくれたものだったが
今日も、まさにシーズンということで
北野天満宮本殿前は長蛇の列だった。
我々はさしあたりの合格祈願は無いので、
無事に中学に通えていることの御礼という感じで
端っこのほうからお賽銭をしてお参りした。
娘がおみくじを引いたら《吉》だった。

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娘が石庭を見たことがないと言うので、来てみた。
今は国連職員の、同窓生N子ちゃんが、大学四年の夏だったか
京都の実家に帰っていたとき
ゼミの論文ができなくて煮詰まり、
龍安寺に行って石庭を眺めて気持ちを静めた、
という話をしていたのが未だに印象に残っている。

昔来たときは写真撮影禁止だったような気がしたが、
私の記憶違いだっただろうか。
きょうはどこにも撮影禁止などとは書かれていなかったし
皆さんさかんにデジカメを構えておられた。
ので、私も撮った。

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京都観光。

前に来たときは銀閣を見たので、きょうはまず金閣に。
人の多さで歩くのも大変なほどだった。
私は知らなかったのだが金閣は世界遺産だったのですね(殴)。
いや勿論、歴史的意義はわかっているつもりだったが
昭和になって焼失し建て直された新しい建造物なので
現在の金閣はレプリカとしての価値しかないのかと誤解していたのだ。
すみませんでした。

ちなみに今、銀閣のほうは解体修理の真っ最中だそうだ。

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冬休みの歴史の宿題で、娘は、
信長と石山本願寺の戦いについてのレポートを書くというので
久々に大阪城まで行った。
大阪城の立地は石山本願寺当時から水運が整っていたのが強みで
一向宗の信徒が物資を供給したから云々、
と主人が娘に講釈しているヨコで、
私はひとりで映画《茶々》のいろいろな場面を思い出していた。

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昔々に歴史の教科書で見ただけで
現地に行ったことがなかったので
娘のためにも一度くらい見に行こうかと
三人で仁徳天皇陵まで出かけた。

だが、これは上空から見てこそで
地上で出来るのは二重になった掘の外側を歩くことだけ、
つまり緑の垣根になった木々を眺めながら散歩することだけだった。
一番近づけるのが鳥居の手前のところまでだったが
それとて彼方に見える鳥居の向こうに内堀があるらしい、
というのが垣間見える程度だった。
内部はどうなっているのだろうと興味はあるが
こういうものの発掘作業は《墓をあばく》に等しいので、
なかなか難しいのだろうなとも思った。

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大阪ABCホールにて。昼公演。

舞台にも劇団にも何の予備知識もなく、
ただ原作をよく知っているという理由で選んだ公演だったが
実に面白かった。今年最後の観劇までアタリだった。
宇宙船《白号》だけが登場人物たちの生活空間で
その閉鎖性が、舞台という形態によく合っていたと思った。
キャストもなかなか魅力があった。
両性体のフロルなんて
漫画でなければ存在できないキャラだと思っていたが
無理なく演じられていて感心してしまった。

詳しい感想は帰宅してから…(の予定)。

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