転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



皆様が、今、それぞれの場所で
幸せなクリスマスをお迎えになっていますように。


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<高校新学習指導要領案>英語で授業…「自信ない」教諭も(毎日新聞)
『「使えない英語」から「使える英語」へ。22日に公表された高校の新学習指導要領案は「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と明記した。文法中心だった教育内容を見直し、英会話力などのアップを目指すのが狙い。文部科学省は「まず教員が自ら積極的に用いる態度を見せるべきだ」と説明する。だが教諭の英語力や生徒の理解度はばらつきが大きい上、大学入試は従来通りとみられ、現場からは効果を疑問視する声も出ている。』

私の感覚では、大学入試及び入学後に求められる英語力というのは、
天気や買い物の話題で雑談する会話力ではなくて、
専門分野の研究論文を読んだり書いたりするための読解力や作文力、
だという気がする。
大学は研究機関なのだから、それはそれで、一見識だと思うし、
そのような種類の英語が「使えない英語」だとは私は思わないのだが、
どうして文科省はこんなに高校英語をやり玉に挙げるのか。
高校だって英会話スクールではなく高等教育の場だろうに。

英語で気軽な遣り取りができるように、
学校現場で生徒を教育したいと、もし本気で思うのであれば、
誰かも言っていたことだが、それは英語の授業でやるのではなく、
むしろ、体育とか音楽とか家庭科の授業を、
英語を使って行うようにすればいいのだ。
幾種類かの定型の指示と応答を徹底することが可能だし、
授業で出て来る英語が動作と直結していて、大変効率的だと私は思う。
日常会話で発する英語は命令文と疑問文に類するものが多いから、
英文テキストの解説を英語で聞くような英語の授業よりも、
実技系科目で、指示や応答を英語でするほうが適しているとも思う。
勿論、英語を母語とする外国人講師と協力しての、
ティーム・ティーチングの機会を、できるだけ多く設けることにして。

また、「英語教師のくせに英語も喋れない」などと、
英語を喋れない(かもしれない)人々が簡単に批判することが多いが、
そもそも、英語教諭と言ったって、ネイティブではないのだ。
先生方にどんなに研修の機会を提供したとしても、
英語だけで授業をして高校生が英語を操れるようにしろ、
などというのは要求のし過ぎだと私は思う。
英語で英語の授業をするということは、簡単に言えば、
現代国語の英語バージョンみたいな授業形態ではないか?
テレビで日本語でコメントする外国人教授やタレントの日本語でも、
我々が聴けば、ぎこちなさや発音の誤りがたくさんあるように、
日本人の英語は、かなり流暢に話しているようでも、多くの場合、
「ある程度、レベルの高くなった、第二言語」に過ぎないのだ。
高校生に最初に与える英語として、そんなものが適切とは思えない。
日本人教師の、ことによったら個人語レベルの英語による英語の授業を、
週5時間も聞かされたら、いい加減、生徒の英語は破壊されるぞ?
それが文法軽視のブロークンな英語になるとしたら、なおさらだ。

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