義母の通夜、葬儀ともに庵主(あんじゅ)様がおいでになりました。
義父の自宅での法要にも以前からこの尼僧がお見えになっていることは知っていましたが
S寺に居住しているわけではなく、全く別の所にある民家に住んでいらして、ここは観〇庵と呼ばれています。
電話帳で調べると、長野市だけでもこの観〇庵という呼び名は10個近くもあります。
私が知っている他の庵主様は、お寺さんの敷地内の別棟で
玄関軒下に〇〇庵と書かれた一軒家に住まわれているので、いろいろなパターンがあるようです。
これら尼僧は末寺(まつじ)と呼ばれ
本寺(ほんじ)または本山(ほんざん)と呼ばれる菩提寺であるS寺の応援部隊なのだそうです。
本寺=本山は仏教の特定の宗派内に於いて特別な位置付けをされている寺院を指します。
格式によって総本山、大本山、別格本山に分けられるほか
宗派によってそれぞれの用法が異なり、使用されないこともあるそうです。
歴史的には、江戸幕府が仏教教団を統制するために
各宗派の寺院を重層的な本寺・末寺の関係に固定化する「本末制度」に由来し
これによって、全ての宗派の末寺に対して幕府の意向を周知徹底させることが可能になったとされています。
以前書きましたように、寺院は民衆を把握する立場にありましたので
幕府の意向は一般民衆にも確実に伝わったのでしょう。
また、新寺の創建は禁止され、各本山に対して「末寺帳」の提出を義務付けたことで
各地方の古刹が幕府の命によって、形式的に特定の宗派に編入されることになりました。
四字熟語の「本末転倒」は
「宗派の本山の寺院と末端の寺院の立場が逆転してしまったことに由来する」という説もあります。
ところで、S寺には方丈様と跡を次いでいる息子さんの2人がいるのですから
他にも何人かいらっしゃる庵主様は第3の位になるのでしょう。
とすると、やはりお布施の少ない私の家には
庵主様が主としておいでになるということなのかもしれませんね。