長野の伯母から野菜が届いて、本当に久し振りに電話をかけました。
小学校に入る前、体が弱くて定期的な通院が必要で、当時東京に住んでいた伯母が私を預かって、病院に連れて行ってくれました。
伯母に手を引かれて、武蔵境の駅や吉祥寺の辺りを歩いたのをぼんやりですが覚えています。
農家の夜は短く、伯母は8時頃までには寝てしまいますので、畑から帰ってくる、夕方に電話しました。
久し振りの電話を伯母は喜んでくれて、「久し振りなのに、毎日話しているみたいだよ。」と言っていました。
伯母から近況を聞かれ、私は「相変わらず。」と言いましたが、「相変わらずが一番良いんだよ。」という伯母の言葉に遠い長野の風景を思い出しました。
伯父は今年病院で手術をしましたが、薬が合わず闘病生活が続いているようです。
そんな伯父の看病をしながら、伯母は午前1時に起きて、レタスを切りに行っている。
親でもないのに子供のとき散々世話になって、迷惑をかけたこともあった伯母に長い間電話をしていなかった自分を呪いました。
小学校に入る前、体が弱くて定期的な通院が必要で、当時東京に住んでいた伯母が私を預かって、病院に連れて行ってくれました。
伯母に手を引かれて、武蔵境の駅や吉祥寺の辺りを歩いたのをぼんやりですが覚えています。
農家の夜は短く、伯母は8時頃までには寝てしまいますので、畑から帰ってくる、夕方に電話しました。
久し振りの電話を伯母は喜んでくれて、「久し振りなのに、毎日話しているみたいだよ。」と言っていました。
伯母から近況を聞かれ、私は「相変わらず。」と言いましたが、「相変わらずが一番良いんだよ。」という伯母の言葉に遠い長野の風景を思い出しました。
伯父は今年病院で手術をしましたが、薬が合わず闘病生活が続いているようです。
そんな伯父の看病をしながら、伯母は午前1時に起きて、レタスを切りに行っている。
親でもないのに子供のとき散々世話になって、迷惑をかけたこともあった伯母に長い間電話をしていなかった自分を呪いました。
自分の姿勢を動かないままにずっと保つことはたいへんな力が要りますね。体操の吊り輪で「静止三秒」などというときに選手がいかに苦しそうにしているかでもこのことはわかります。動き続けることは精神的にも楽なことです。周囲の動きが大きいところにいると、自分がそれに少しだけあらがうだけでも周囲のスピードとのズレが起こり、なんだか大きな動きをしていると勘違いしてしまうことがあります。自分は普段どれほどの動きをしているのか、冷静に振り返ってみると、大きな変化も不変も求めない、いい加減な動きしかしていないで、周囲とのズレだけで自分を計っていたことが見えてきます。
「相変わらず」というのは、大きな変化以上に力を入れて自分を守ってきた証なので、それは賞賛されるべきものです。ただ周囲と同じ早さで変化しているならば、それは周囲とのズレがないから変化が見えないというだけで、じつは流されていて、本当は「変化している」のです。
人は人の中でしか生きられませんが、時としてそれが支えにもなれば障害にもなる両刃の剣であることを忘れてはならないと思います。
自分の方針とか、方法論など、自分をしっかり持って貫いて、自信を持って「相変わらず」と言えるようになりたいと思います。