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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

狩野永徳展に行ってきました。

2007-10-28 | 万年筆
戦国時代は日本の歴史の中でも最も劇的な時代のひとつとして、よく取り上げられていますし、現代のビジネス社会を戦国時代にあてはめて解説している本も多くあります。
そんな戦国時代の中でも巨匠として生きた文化人、狩野永徳は同時代に生きた千利休とともに、戦国武将たちの間でも、自分らしさを失わずに生きたという点で興味深い存在でした。
日本統一に最も近かった武将織田信長、それを実現した豊臣秀吉が千利休を茶道に迎えたことと同じように、当時狩野派の絵を所持するということはステータスだったのではないか、絵画的価値と同じくらい、政治的な力がその絵の価値を決定したのかもしれないと思いました。
つまり、絵画の良し悪しの分からない武将たちも盲目的に狩野永徳の絵を欲したのではないかと思っていました。
狩野永徳はひっぱりだこで大作を多く遺して、過労死したのではないかと言われているほどです。
そんな先入観を持ちながら、狩野永徳展に行きましたが、思ったまま書くと、意外に感じたほどの繊細さ持ち合わせていました。
大きな襖絵や屏風絵などに描かれた人物たちの表情に、背景や景色の大胆な筆使いと違った、繊細さを感じました。どの人物も静かで優しい表情に描かれていました。
大作を練るための下書きに使われた帳面もあり、そこに弟子たちに指示を与えたと思われる色を指定した墨書きが生々しさを感じさせました。
今流行(?)の日本画の展示、そして京都国立博物館という集客のある会場だけに場内は混雑していましたが、人の間を縫って観た狩野派の絵からは、安土桃山の豪奢を尊んだ美とその時代を感じることができたと思いました。
古の人たちに思いを馳せるのに最適な地にいるということもあり、歴史のロマンに心が動きました。

雑記

2007-10-18 | 万年筆
私はただノートや手帳に自分が感じたことを雑記するのがとても好きで、何の目的もないその書く行為を楽しんでいます。
良い本を読めば書きたくなりますし、映画を見に行けばやはり書きたくなります。
それは万年筆の時もあれば、たまたま色が気に入って買ったその時気に入っているサインペンだったりして、まったくこだわりがありません。
紙もペン同様にこだわりがなく、大学ノートの時もあれば、革の手帳のこともあります。
要するに道具はどんなものでもいいのですが、ただ買う時に書きたいという気持ちにさせるかどうかというのが決めてになっているようです。
書きたいと思う道具があって、ただ書くことができればとても幸せですが、大した本を読んでいなかったり、目先の忙しさに余裕を無くして人と話すことを疎かにしていると、書きたくても心が動かなかったり、頭が空っぽだったりして、ペンが進みません。
一番書きたくなるのは、人と会って話して、共感して、充実した時間を共有できた時かもしれません。
そんな時は何ページもの雑記が続いていき、気持ちの充実を感じることができます。
ただ好きでしている雑記ですが、自分の生活が精神的に充実しているかどうか計るものになっているようです。

お茶を習い始めました。

2007-10-10 | 万年筆
以前から興味を持っていた茶道を習い始めました。
会社勤めと違って、時間だけはある程度自由に使えるようになったので、朝から教えてくれる先生を見つけて、週に1回茶室で1時間過ごしてから、店を開けるようにしています。
先生や他の生徒さんたちは若い人が入ってきてくれたと言って、とても喜んでくれて、温かい気持ちになりましたし、とても居心地の良い想いをしています。
しかし、たった1時間でも正座に慣れておらず、足の痺れに耐えての立ち居振る舞いはかなりぎこちない動きになっていると思います。
茶道と言えば華麗な茶筅さばきや、ピンと張り詰めた茶室の空気をイメージしていますが、和やかな雰囲気と足の痺れとの闘いで、私の茶道は始まりました。

クローズド・ノート

2007-10-05 | 万年筆
ドルチェ・ビータミニの万年筆を愛用する主人公の映画、クローズド・ノートを観てきました。
平日朝一のせいか、主演女優の波紋を呼んだ発言のせいか、ガラガラで10人もお客様がいなかったのが気になりましたが、映画自体はストーリー、舞台となった街の風景、昭和30,40年代などを感じさせるアパートの内装など、全てとても楽しめる内容で満足しました。
ペン業界の人間の端くれとして、舞台のひとつとなった小さな今井万年筆店の存在が嬉しく思いました。
シックで濃い色の家具、奥の社長の工房、オリジナル万年筆の存在など万年筆店に必要な要素が全て備わっていました。
映画を作った人たちが理想の万年筆店として作ったのでしょうが、あんな店があればいいなあと思わせてくれました。
比較的華やかなニュースの少ない筆記具業界において、クローズド・ノートの映画化はとても大きな話題で、この映画に夢を賭けた業界関係者の気持ちはすごくよく分かりましたし、若い人たちがこの映画を観て万年筆に興味を持ってくれたらいいなあと思いました。
最後の協力企業リストにたくさんの筆記具メーカーがあり、この映画がとてもたくさんの人たちの成功させたいという願いによって作られた映画だと充分すぎるほど分かりましたので、主演女優の態度がとても残念に思われましたが、そんなこと関係なしにこの映画を楽しんでいただきたいと思いました。
ただ今、デルタドルチェビータシリーズをお買い上げの方にもれなく、クローズド・ノートの映画鑑賞券をプレゼントしています。

食事を楽しくする器

2007-08-16 | 万年筆
丹波の立杭で平焼の展示があることを駅で見たポスターで知り、車を2時間走らせて行ってきました。
若い頃の長距離のドライブや、京都からの山越えの帰路でたまたま通り掛かったりしていましたが、立杭に降りるのは初めてでした。
展示が行われている兵庫陶芸美術館は、なかなかの設備を誇る立派な建物で、それも楽しむことができましたが、ポスターに写っていた何とも妖しい光を放つ黄色い蓋付きの器がとても印象に残っていました。
それ以前にも興味を持っていましたが、備前の浅野氏との交流が最大のきっかけとなって焼物の器を真剣に見るようになっていましたので、その大規模な展示をひとつひとつの作品を手にとるように、大切に見ることができました。
しかし、そういったものに興味を示していなかった家族もかなり魅せられていたようだったので、その分かりやすい魅力も平焼のもうひとつの持ち味なのかもしれません。
確かにひとつの技法に捉われず、様々なものにチャレンジしていて、鉄器、漆器、蒔絵、竹細工にそっくりに仕上げたものもあり、非常に自由な発想で江戸時代から近代まで作り続けられていたようでした。
お盆の15日でほとんど観光客もなく、食事をするところがほとんどありませんでした。
ようやく1件の民家に暖簾を下げただけのような家を見つけ値段も分からずに、恐る恐る入りました。
お婆さんが一人で店番をしていて、入っていった私達に驚いたようでしたが、食事をさせていただきました。
その家では器も焼いていて、食器全てが自家製の立杭焼でした。
素材感が手に伝わり、シンプルで何の飾りも、技巧も凝らされていないものでしたが、なかなかの逸品で、素朴な家庭料理のような自然な味付けとお婆さんの気遣いと相まって、私達はとても気持ちよく食事をすることができました。
良い器人の気持ちが食事を楽しくするということを体験し、気分良く他に客のいない家を後にしました。

燈花会

2007-08-14 | 万年筆
漆黒の闇の中でのろうそくの光がこんなにも周りを照らすものだとは思ってもみませんでした。
奈良という千数百年の歴史を意識しなくても、どうしても感じてしまう土地で、素晴らしいものを見たと思っています。
現代のように、光を大量に作り出すことができなかった大昔、夜は闇で、人々はろうそくなどの弱い光で生活していたのだと、実感しました。
燈花会は奈良の観光地区数ヶ所で行われていて、全ての会場を巡って、ろうそくの光によって強調された夜の闇を楽しむイベントです。
煌びやかなで派手な光によって多くの人を集める神戸の冬の光の祭典ルミナリエとは違う、奈良人の侘びたセンスがその燈花会の深くささやかな光に表れていました。

突然の夏休み気分

2007-07-28 | 万年筆
次の打ち合わせまで時間が空いてしまいましたので、大倉山の中央図書館に行きました。
神戸駅から湊川神社の横を通って
5,6分歩いた所に中央体育館、文化ホール、大学病院などが集まった文化ゾーンの中に図書館はあります。
そのまわりの雰囲気にすごく懐かしいものを感じて、汗をかきながらもゆっくりとその周りの空気を感じながら歩きました。
小学生から大学生までずっと夏休みと言えば図書館で調べ物をした思い出があり、そんな記憶が蘇ってきたのでした。
最近よく行くようになった、街中の図書館と違って、広くて、本の数が明らかに多いことが分かりましたし、ザワザワした雰囲気がなかったのも嬉しく思いました。
そこで日本の田舎の風景ばかり集めた写真集を選んで席に座りました。
ゆっくりと時間をかけて、見ていたようであっという間に時間が過ぎていました。
その後、少し居眠りしてしまいましたが、次の打ち合わせの時間が迫ってきましたので、下界におりていきました。
暑い日、ほんの少しでしたが子供の頃の夏休みの気分を味わうことができました。

愛車

2007-07-18 | 万年筆
私は車というものは、長く壊れずに安心して走ってくれればそれが一番の性能だと思っていますので、トヨタビッツに8年も飽きずに乗っています。
しかし、最近どうもまわりの車好きの悪影響を受けているような気がします。
車を語らせたら、この人以上に美しく語れる人はいないだろうという鈴木氏の角目のベンツの少しだけ硬いけれどそれが安心感につながる乗り心地や、雨の日には下回り雨が入ってくるというル・ボナー松本さんの1968年製ビートルなど、魅力的な車を所有されている方々たちのせいです。
そして、先日(本日も車に関してでした)ブログで松本さんはアルファ145を手に入れたいという決意表明をされて、さらにエンスーへの道を突き進んで行くように思われます。
最近のアルファロメオはかなり分かりやすいデザインに変わってきているようですが、松本さんが目をつけている145も含め、以前はかっこいいのか、かっこ悪いのか分からないデザインで、でも目が慣れるととても味わいのある奥の深い美的感覚でデザインされていることが私でも分かりました。
そんな145を松本さんが手に入れられるのを私は無邪気に願っています。
思えば私もただ知らない林道を走って、忘れられたような峠を越える喜びだけの為に、ジムニーに乗っていた時期がありました。
ギア比が小さく、街乗りではしょっちゅうギアチェンジをしないといけないとても乗りにくい車でしたが、そんな不便さよりも余りある楽しみがその小さな四輪駆動車にはありました。
車好きの人たちの気持ちも分からないわけではなく、ただ今の私にはそんな余裕はなく、仕事や人生を軌道に乗せた友人たちの車狂いの有様を羨ましく眺めています。

美意識と苦悩

2007-07-15 | 万年筆
台風一過。大阪湾沿岸の陸地全てが見渡せることは、夏の間はあまりありませんが台風が大気中のもやを全て吹き飛ばし、空気が澄み切っていました。
そんな日、待ち合わせの人たちでごった返す神戸駅で備前焼の作家浅野庄司氏と待ち合わせました。
浅野氏とは2月に不思議な縁で知り合うことができ、それ以来お付き合いさせていただいています。初めてお会いしたときから、ざっくばらんで構えたところのない自然体の方だということはわかりましたし、誠実な良心の人だと思いました。
5月にお会いさせていただいた時は、今年予定していた窯入れを中止し、9月に予定していた個展も止めざるを得ないとわざわざ言いに来てくださいました。
納得できる作品が揃わないというのが理由でした。
浅野氏はご自分の美意識を備前焼で表現する芸術家ですから、ご本人が納得できないと言うのであれば仕方ないのかもしれませんが、調子の良い時だけでなく苦悩している姿も作品に残すべきなのかもしれないと、浅野氏自身も心の隅で思われていたのだと思います。
岡山に帰ってからも多くの人達から説得されて、氏の作品を期待する熱い声に考えを変えざるを得なかったようです。
浅野氏から8月に窯入れをし、9月4日から2週間氏の故郷である倉敷で個展をすることになったというお話をお聞きしてとても嬉しく思いましたし、浅野氏も5月の苦しんでいた時と違って、何となく腹をくくったような強さを感じました。
ご自分の作品はほぼ完成させていて、畑違いの私のお願いを含んだものも作ってみようかと思っていただけたようで、ずっとイメージしていたもののスケッチを元にお話しました。
不思議な縁があって知り合うことができた、この誠実な陶芸家の仕事にとことん関わりたいと思った私はある申し出をして、浅野氏を驚かせてしまいました。
「また何を言うのかと思ったら、とんでもないことを言い出だしたね。」
年上の友人が年下のわけの分かっていない人間を持て余すような、でも優しさのある懐の深さをその言葉から感じました。
私の申し出を浅野氏が呑むかどうかわかりませんが、それが叶ったらまたご報告します。


神戸空港で再び

2007-07-10 | 万年筆
小雨の中、鈴木氏の角目のEクラスは力強く空港橋を渡り、ロータリーに滑り込んでいきました。
私は知りませんでしたが、車好きの間では、今でもこの角目の頃のベンツは良かったと語り草になっているようです。
鈴木氏は学生の時に始めた事業が成功して、このEクラスを新車で買って、しばらく乗ってから売ったそうですが、最近同じ車台のものと運命的な再会をし、乗り始めています。
質実剛健なドイツ車のイメージを私はこの車でイメージして、この車と鈴木氏を重ねてイメージします。
人の生き様と車について、今まであまり深く考えたことはありませんでした。
車とは生活の足かあるいは洋服のように古くなれば着替えるファッションの一部くらいにしか思っていませんでしたので、ベンツに乗る、しかも良心の塊と言われたベンツに乗るという誇りみたいなものを鈴木氏から感じ、人の生き方を表現する車もあるのだと思いました。
再び神戸空港に来たのは、私のコンサルタント担当の鈴木氏と革職人の奥野氏との3人での会談のためでした。
あんなものがいい、こんなものがいいと言いたい放題の私と鈴木氏で盛り上がり、それを奥野氏が聞いて、ノートに書き留めるという時間がしばらく続きました。
奥野氏は口数は少ないですが、ちゃんと私達の話の奥まで考えて聞いていて、たまに発言される言葉は本質をついていて見事でした。
職人になる人というのはこういう人だと思いましたし、奥野氏は今まであまり目を向けていなかったステーショナリーというものを急激に吸収しようとしていることも感じられました。
仕事の話が一通り終わり、鈴木氏がフェラーリに乗っていたという話になりました。あまりにも維持費がかさむのと、あまりにも実用的ではないということで、もう乗っていませんが、乗っていたということがステータスに感じられるフェラーリのブランドイメージの強さに凄まじいものを感じました。
鈴木氏はレーシングカーも所有していて、サーキットを走らせていたこともあり、そのエンスー振りは半端なものではありませんでしたが、そんな彼が角目のEクラスに始まり、同じ車に戻っていることに面白さを感じました。
角目のEクラス。ペンでいうとペリカンM800あたりでしょうか。