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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

あまのじゃく

2008-03-19 | 万年筆
会社勤めの時と違い休みを自分で決めることができますが、休んだ分だけ結果として自分にはね返ってくるのが自営業です。
怠けた結果が自分にはね返ってくるというのは、とても自然なことだと思いまが、せっかく来られたお客様に無駄足を踏ませてしまい、二度と来ていただけなくなってしまうのではないかという怖さもあります。
生来とてもあまのじゃくな性格で、人が見ているところでは怠け、人が見ていないところでは努力するタイプの人間ですので、もしかしたら今の仕事の仕方がとても合っているのかもしれません。
あまのじゃくじゃないと、万年筆の店などしないかもしれませんね。
人に褒められても、褒められなくても自分が満足できればそれでいいと思っている人は、そして人と反対のことをしたがる人、結構いるんじゃないかと思います。

伯母を悼む

2008-03-13 | 万年筆
毎日の暮らしの中で逃げ出したいと思った時に、いつでも行くことができると思っただけで救われた心の故郷がずいぶん以前に亡くなった母の実家の長野県川上村でした。
そこが心の故郷だと思えたのは、今までのたくさんの思い出と両親の次にお世話になった伯母が住んでいたからでした。
伯母の葬儀のため、久しぶりに訪ねた川上村は村中が凍てついていました。
村が解凍されるのは4月になってからですが、神戸とのあまりの気候の違いに距離を感じました。
左右のとても大きな八ヶ岳が背後にそびえ、標高を1000mを軽く超す川上村は伯母が亡くなっても、何も変わらない佇まいを見せていました。
前日の夜から車を飛ばして早朝に着きましたが、すでに従兄弟家族たちが集まっていて、その子供たちも眠そうに起きていました。
自分たちが子供として大人たちに混じって育ったこの家に、子供たちがいるということがとても不思議に思われました。
まだ亡くなるには早かったけれど、私たちの親の世代である伯母が死に、自分たちが親の世代として子供たちを見ている。この築80年を超える家も、この村の厳しい冬も変わらないけれど、人間の生と死は私たちのライフサイクルから見るとゆっくりと確実に繰り返されています。
しかし地球の何十億年という歴史から見ると人の生涯というのは何て果かなく、一瞬のことなのだろうと、自然に囲まれたこの土地では感じずにはいられません。
農家を継ぐ前、伯母は武蔵野市に住んでいて、小児ぜんそくだった私は、東京の病院に伯母に手を引かれて通っていた時期がありました。
二人で歩いた井の頭公園、武蔵境の駅、中央線の電車、狭い家の小さな庭で遊んだこと、幼い日の記憶ですが覚えています。
体が弱かったくせに、余計ないたずらばかりして、本当に迷惑をかけていたはずでしたが、いつも優しくしてくれたことも幼いながらに感じていました。
学校の長期休暇のたびに過ごしたこの村での日々が、私の人間形成に大きな影響を及ぼしていますし、ここで経験したことが今でも様々な形で現れてきます。
そしてそれを意識した時、村の風景とともに伯母のことを思い出して、今まで生きてきました。

3月11日臨時休業いたします。

2008-03-10 | 万年筆
今晩出て、明朝早くに長野に着くように出かけようと思っています。
明々後日には帰ってきますので、3月13日木曜日からは通常通り営業させていただきます。
ご迷惑おかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

たまには店舗見学

2008-03-08 | 万年筆
私たちのように店をしている人間は、ウインドーショッピングのことを店舗見学と言います。
でも、まだ仕事を始めたばかりの頃は、それを楽しむよりも、ただ闇雲にたくさんのお店を見て回って、それが多ければ収穫のように思っていましたが、そんな見方をしていたら、どこも同じに見えてしまうということがやがて分かりました。
見に行った店の粗探しをすることは経験の浅い人でもできますがどんな理由でその場所にあり、そんな人をターゲットにしているか、どんな品揃えでそのターゲットに応えているのかなど、そのお店の思惑について考えることが大切なのだと気付きました。
特に、見に行ったお店について好意的に考えるということは大切で、そのお店の良い所を見るのが店舗見学だと思います。
店舗見学で得た情報はそのまま真似るのではなく、お店について考えるきっかけとしてとどめておく。
そしてその先にある、店作りは店舗見学で得た様々なお店の情報を自分のフィルターを通して加工して、時流に合わして世に出すということなのかもしれません。
商品と同じように、店作りにおいて真似ることはお金を出せばできますが、お客様にはすぐに見破られてしまいます。
いかに独特で楽しさを提供できるかが大切なのかなと、生意気ながら思っています。
他を見て、どこにもないものを作り出す。そのために私はウインドーショッピングをします。

ずんちゃちゃカメラ節

2008-03-02 | 万年筆
岡山市在住のカメラマン蜂谷秀人氏が来店されました。
蜂谷氏は3月15日発売のご自身執筆の本2冊目「ずんちゃちゃカメラ節」(出版文庫)の出版記念の写真展を抜け出して、新幹線に飛び乗って来店してくださいました。
来店された理由は夕方からのパーティーでのサイン会で、奥様からプレゼントされたM800を使いたいのでインクが切れないように調整して欲しいということでした。
ボルドーのM800は3Bで角張ったペン先の形状をしていますので、当然角度がシビアで少しでも傾けるとインクが紙に付きませんでした。
大変責任の重い役が私に回ってきたわけですが、調整しながらいろんなお話をうかがうことができました。
蜂谷氏はとても謙虚で、実直なお人柄で、話を聞いていてとても楽しく、いつまでも話していたいと思いましたが、大切な写真展を抜けて来られているので、早く岡山にお帰りいただかないと申し訳ないと思いました。
お土産に著書「ずんちゃちゃカメラ節」をお持ちいただき読ませていただきました。
カメラに詳しくない私でも次のページが読みたくなる本でした。
カメラについて、写真について、それにまつわる人について、そして数々の美しい写真。一気に読み終えてしまいました。
今日始めてお会いしましたが、とてもさわやかな印象が残っています。
蜂谷秀人著「ずんちゃちゃカメラ節」皆様もぜひ読んでみてください。

夜行バスで長野へ

2008-02-29 | 万年筆
急に入院した伯母を見舞い長野県佐久市まで行きました。
水曜日中に帰ってきたかったので、大阪発の夜行バスに乗り、長野まで行きました。
前に夜行バスに乗ったのは20年以上前で、その時も東京で伯母に会いました。
御茶ノ水の駅近くのレストランでご馳走を食べさせてもらった記憶があります。
まだ若く、立川までのバスの時間中ずっと寝ていましたが、今回はさすがにこたえました。
わずかに伸ばせないひざが痛くなったり、エンジンの音が気になったりで、とても寝ることができず、8時間ほとんど寝ていませんでした。
早朝の長野は1℃で、雪がたくさん積もっていましたが、1時間ほど列車に揺られて着いた佐久市ははるかに寒く、街が凍りついていました。
伯母の家はもっと南の川上村にあって、そこは私の心の故郷ですが、この佐久市もわざわざ1時間かけてラーメンを食べに来たりした思い出のある場所です。
そんな懐かしい場所でしたが、伯母の入院先の病院にいることができる時間は1時間半くらいで、すぐに引き返さなければいけませんでした。
短い時間でしたが、お互い再会を喜び合い、とても暖かい時間を過ごすことができました。
帰りの特急などの時間もあり、ゆっくり長野見物などはできませんでしたが、善光寺だけお参りに行ってきました。
参道を歩きながら、五平餅、味噌の焼きおにぎりなど長野らしい田舎の味を食べました。
帰りの電車の中で、締め切り間近の原稿書きに追われましたが、長野に来てよかったと思いました。

父の退職

2008-02-19 | 万年筆
高校で日本史の教師をしていた父が3月で退職することになりました。
9月の定年を前にさぞかし無念な想いをしているかと思いましたが、意外とサバサバしていて、これからゆっくりできると喜んでいます。
考えてみれば、40数年間同じ大阪の私立高校で教え、そのうち垂水に引っ越してからの28年間は毎朝6時半に家を出て、早くても9時以降に家に帰ってくるという生活を週6日続けていましたので、休みたいと思うのも齢を考えると当然だと思います。
40年以上同じ職場で働き続けるということがどんなに大変なことで、我慢しなければいけないこともたくさんあっただろうということは、会社勤めが15年もたなかった私だからこそよく分かります。
今は本当にお疲れ様でしたと心から思っています。
私が子供の頃の父の記憶は休日はいつも何か本を読んでいたことです。
狭い団地の部屋の片隅で寝転がって厚い歴史の学術書を読んでいて、私たち兄妹はそこをまたぐようにして遊んでいました。
そんな日曜日の風景が私にとっての一家団欒で、とても懐かしく思えます。
それほど、歴史を愛し、それを教えることを40年も続けたこと。それがその仕事をやり遂げたことだと言えるのだと思いました。
せめて25年後、私は何かの仕事をやり遂げているのだろうか。

姫路

2008-02-18 | 万年筆
国道312号と372号の交差点のすぐ西にある、主婦の口コミ情報で知ったレストラン、アルバータ北倉庫で妻とランチをするために姫路に行きました。
その後少しだけ、御幸通り商店街を歩きました。
さすが姫路で一番賑やかな場所だけあって、商店街はたくさんの人で活気がありました。
特に目的もなくブラブラ歩いて、気になった店に入ったりしていました。
三宮センター街や元町商店街とは違った雰囲気のある御幸通り商店街などの姫路の街が好きで、1年のうち何度かは来ています。
街があり、文化財があり、人の暮らしがあり、それらがちょうどいい大きさでまとまっていて、しかもこの街らしい雰囲気を持っています。
この日は行けませんでしたが、手柄山の頂上から見た姫路の街の景色が好きで、時間を忘れて見てしまいます。
最近姫路に住む人たちと知り合う機会が多く、もともと思い入れのある街ですがとても身近に感じています。

神戸元町サラ金ビルの夜

2008-02-13 | 万年筆
ある出版社の方々と夕食を共にすることになり、知っているお店が休みで悩んだ挙句思いついたのは、私も行ったことがあって勝手が分かっていた近くのちゃんこ鍋の店神の山でした。
当店から元町駅を挟んだ南側のとても古いサラ金ビルの地下にあります。
神の山は力士だった神の山関が30年前に始めた店で、神戸では知っている人も結構おられると思います。
座敷に4人で座ると、具が入って下品なくらい豪快に盛り上がった鍋が運ばれてきて、神の山さんが同じ部屋だった有名力士たちのエピソードを交えながら、鍋を作ってくれます。
来られるお客様全員にこんなことをしていると大変だと思いますが、これがこの店にエンターテイメントの一部なのでしょう。神の山さんのトークは淀みなく進んでいきましたし、おいしくお腹いっぱい食べることができました。
鍋をつつきながら、聞き上手な方々のお蔭で私がいつになく多くしゃべってしまいました。
店を始めたときのこと、今の状況、万年筆についてなど、とても素直に多くを話すことができたのはこの場におられる人たちが私のこと、この店のことを理解してくれているという安心感があったからかもしれません。
とても楽しい時間があっという間に過ぎていきました。
立場は違うけれど、万年筆をもっと多くの人に使ってもらいたいという同じを目的を持った人たちと出会うことができ、心強く思いました。
大切な仲間がまた増えたと思っています。

とっておきの店

2008-02-10 | 万年筆
お客様であるTさんがされている季節の和食とお酒のお店にやっと行くことができました。
Tさんは当店の近所に住んでいて、よく来てくれる常連様ですが、幅広い交友関係のお友達を店に連れてきてくれたり、紹介してくれたりしています。
できたばかりの当店があまり困ったことにならないのも、Tさんのおかげでもあります。
そんなTさんのお店に昨年から行ってみたいと思っていましたが、お酒が飲めないので、何となく気後れしていました。
私よりはほんの少しだけ飲めるKに付いてきてもらうことで、やっと実現した訪問でした。
カウンターで10席くらいの小さなお店ですが、お客様が楽しそうに話されていて、その中央でTさんがお料理を作っています。
私が呑めないと知っているTさんが気を遣って、「お茶でもいれましょうか?」と言ってくれましたが、一番軽く甘いものを作ってもらいました。
私たちの近くに座っておられたお客様とカウンターの中のTさんも交えて楽しい会話をすることができました。
Tさんの影響でこの店のお客様は万年筆に興味を持っておられる方が多いようで、私とKは自分たちのペンを取り出して、書いてもらったりしていました。
「そのペンはアウロラといって、イタリアのメーカーです。さっきのペンより少し硬めの書き味だと感じられると思います。」といった感じで、1本1本解説しましたが、この自分の姿がル・ボナーの松本さんそっくりだと途中で気付きました。
今まで外で万年筆の説明をするということをしたことがありませんでしたが、松本さんが初対面の人でも自分の万年筆を書かせている後姿に影響を受けたのかもしれません。
でも、万年筆はなかなか人気が有り、皆さんとても楽しそうでした。
自分たちだけでなく、そこに居合わせたお客様とも交流ができ、その店に行くだけで、いろんな世界が広がっていく、それがお客様が行きたくなる店のひとつの条件なのかもしれません。
もちろん出されるお料理の全てがとてもシンプルで美味しかったのは言うまでもありません。
でもこのお店はとっておきのために内緒です。