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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

レンズ

2014-12-23 | 仕事について

自分のデジタルカメラで古いレンズを使うことができるというのはカメラの楽しみを何倍にもしてくれます。

オリンパスのカメラがオリンパスとパナソニックのレンズだけしか使うことができず、しかも新しく発売されたものしか使うことができなかったとしたら、私はもしかしたらとっくにカメラに飽きていたかもしれません。

先日、忘年会の時にル・ボナーの松本さんが置いていってくれたクラシックレンズのうち1本を使っています。

借りたレンズなのにMマウント用のアダプターまで買いましたが、将来このカメラにライカのレンズをつける日がくるかもしれないので、けっして無駄使いではない。

古いレンズはその姿を見ているだけで、何か醸し出す雰囲気があって、いいなあと思います。

プラスチックなど使われていない金属の塊感。そしてガラスの透明感。

カメラのレンズは不思議で、ただ鋭く、ひたすらきれいに写ればいいというわけでもなく(もちろんそれらは大変価値のあることだけど)、写りが鈍くてもそれは味ということになったりする。

でもそういった曖昧さ、スペックだけでないようなところにとても惹かれ、万年筆に近いものを感じます。

私がレンズに関して、写りよりもカメラにつけた姿がいいものが一番だと思い込んでいる理由はそんなところにあることをご理解いただきたい。

仕事でもルーペというレンズを使っていて、もしかしたら私の仕事において、一番大切な道具なのかもしれません。

そのルーペも明るくて、全体がきれいに見えるものよりも、外側はボヤけているけれど、中心に持ってきたペンポイントがはっきり見えるものが使っていて、楽に感じます。

少しコツが必要でそれをスマートに使えるようになった時、一人前になったような気がしました。

慣れなのかもしれないけれど、あまり高価ではないそのレンズが自分に目の一部になっている。

カメラのレンズと仕事、考えれば考えるほど必要なもので、それほど無関係ではないことを関係各所にはご理解いただきたい。


大和座狂言事務所のガラ公演開催 12月20日(土)

2014-12-16 | 仕事について

大和座狂言事務所のガラ公演が12月20日(土)14時から、大阪能楽会館で行われます。

狂言師安東伸元先生と知り合って、本当にたくさんのことを勉強させていただき、主流、大勢に立ち向かう反骨精神のようなものを知りました。

それは安定した生活や、より多くの金銭を得られる身の処し方とは正反対の、今の時代の一般的な価値観では理解されにくい生き方だと思いますが、いくらお金を得られても自分の考えと違うものを受け容れて、信念をまげるような生きかたは選びたくないという心を安東先生の背中から教わりました。

直接的な言葉で指導されたわけではありませんが、安東先生もまた私の師匠なのです。

恒例になっている大和座狂言事務所の忘年会があって、同門の末席の者として参加させていただいていて、今年も参加させていただくつもりにしています。

他にも安東先生や大和座狂言事務所と関わりのある各界の方が集まっていて、一介の商店主はいかにも場違いですし、雄弁に自己紹介される方々の中にあって、私はあまりにも無口すぎことは分かっています。

それでも毎年誘ってくださるお気持ちが嬉しくて参加させていただいています。

安東先生はけっして口数の多い人ではありません。大和座通信の中で書き綴られている世の中に対する怒りや情熱は胸に秘められていて、大いに語ることはありませんが、私もこういう人になりたいといつも思っています。

先生の話す言葉、動作、その生き方を少しでも吸収したいと思って、大いに影響を受けています。

安東先生の生き方が凝縮されて表れるのは狂言の舞台です。笑いを誘いながらも誇り高く、ニヒリズムさえ感じさっせる男の姿を観ることができるので、大和座狂言事務所のガラ公演に興味のある方はぜひ、行ってみていただきたいと思います。

 


時間の流れ

2014-11-18 | 仕事について

ライティングラボの駒村氏が激しい腰痛のため、神戸に来ることができずにいます。

少し歩くと激しい痛みが伴い、痛みが出ていない時でも、いつ痛みが襲ってくるかと思うと山科を離れることができない。

入院して検査をした結果、あまり多くの人がなる症状ではない先天的なものであることが分り、今はリハビリのようなことをしていますが、根本的に治療するものではないので、会いに行きたいと思ったけれど、気分も塞ぎがちになっています。

駒村氏はかなり厳しい筋力トレーニングを自分に課していて、ストイックに肉体を鍛えていたけれど、40歳を過ぎて体が悲鳴を上げたのかもしれない。

長い付き合いの人は、自分より年上か、同世代の人ばかりなので、健康面の変化が皆に出てきている。

今まで誰よりも丈夫で、何があってもタフだった人が原因不明のジンマシンが出て、なかなか本調子に戻らなかったりして、ショックに感じたりしています。

でも40代というのはそういうことが起こり始める年齢なのだと実感している。

私も代謝が落ちてきていることを実感しているので、今までのようにご飯を3杯も食べていたらいけないのかもしれないと少し思ったりするし、夜眠くなる時間が早くなってきているので、睡眠時間帯も考えた方がいいのかもしれない。

もっと時間の経過を感じるのは、親について考えた時で、親の介護をしている人も何人もいることを聞いて、頭の下がる想いをしているけれど、他人事でないと思えます。

幸い71歳の父は、さすがに白髪は増えてきたけれど、足腰も達者で、ジムや英会話に通ったりしているので、いつまでも元気でいて欲しいと思うけれど。

時間はどうしても流れていて、自分たちの状況は常に変わっていて、本当は気付いているけれど、それから目を反らしているだけなのだと思います。

本当に、いつまでも続く時間があればいいと思うけれど、どんな時間にも終わりはある。

自分たちはずっと続けていくつもりでも、体が追いつかなくなることもあるのかもしれないと、改めて認識するようになりました。

 


全てはファッションに通じるのかもしれない

2014-11-09 | 仕事について

ペンもカメラも、それを持ちたいという心は、突き詰めれば全てファッションに通じるのではないかと言うと語弊があるかもしれないけれど、私はそう思っています。

ファッションと言っても、毎年の流行があって、それに則ったもの、やって来ては去っていく移ろいの激しいものではなく、自分はこのような好みや考え方をする者だという表明のようなものを指しています。

それはもしかしたら、表現欲に近いのかもしれない。

 

文章をブログなどを通じて公表しようとするのは自分の考えを、自分が読んでもらいたいとする多くの人に読んでもらいたいと思うからで、そこには自分と言う人間をもっと知ってもらいたいという想いがこもっている。

私の場合、ブログは店の告知という意味合いや、万年筆を使っているということをほのめかす意味合いもあったり、書きたいから書いているということもあるけれど。例えば湯舟に浸かりながらどんな文を書こうか考えたり、電車で立った状態で下書き担当のM450で書いたりするのが単純に好きだからということも大いにありますが。

 

服や靴、鞄などの持ちものに関して、こういうふうに見られたいという意図のようなものを持って、それらをコーディネートするけれど、カメラや万年筆もその一部だと思っています。

万年筆は自分の精神性を表すのにちょうどいいものです。書くためのものなので、仕事で持っていていてもおかしくない。

仕事では服装についていろいろ制約があるけれど、万年筆で奥ゆかしく自己を表現できる。

カメラは万年筆とおなじくらい有効なファッションアイテムだと言うと多くの人の反発を買いそうだけど、少なくとも私の場合はそうで、あまり大層な感じになりたくないからあまり大きくないカメラを持ちたいと思うし、そのカメラにどんなレンズを合わせたらカッコ良く見えるだろうかと、どんな写真が撮れるかということをあまり考えずに思ったりします。

でもその延長線上で、写真も思い通りのものが撮れたらもっといいことも分っています。

男性の服装とか、ファッションとかというと、女性にモテるためにするものだと思われたり、雑誌やテレビなどの媒体もそのように見せたりしているわけだけど、男の、特に40歳を超えておじさんと言われるようになった我々のファッションはそんな軽々しいものではなく、自分の背筋をシャンとさせるもの、まず自分のためのファッションであって、好きな服、思い通りのカッコで居ることで気合が入ったり、気分が良かったりするものだ。

もちろんその延長線上で、女性に良く思われたら、それに越したことはないけれど・・・。


木にも夢中

2014-11-04 | 仕事について

木のものが好きで、材質の違い、杢の違いを見分けて楽しむ人になりたいと私も思っていました。

それは何か、一部ではあるけれど大人の教養のように思えるようになっています。

工房楔のものはいくつか持っていて、使っていえるけれど、「こしらえ」の万年筆に今は夢中になっている。

銀色のペン先のパイロットカスタムヘリテイジ912、金色のペン先のパイロットカスタム742の首軸から先のユニットごとつけることができる木軸ボディで、これは当店と工房楔の共同企画のオリジナル商品になります。

工房楔の永田さんが扱う素材はいろいろあって、そのどれもが審美眼によって選ばれた銘木揃いだけど、日本の木に憧れた時期で桑で作ってもらいました。

堅くて軽い木で、道具の柄などによく使われる素材で、桑でこしらえを作ってもらうことで、万年筆に道具感を出したかった。

日本の木の多くがそうであるように、模様や色合いに劇的なところはないけれど、静かで強い生命感を感じさせるところが和木の特長かと思っています。

変化の少ない桑ですが、見所はあって、木目が消えている硬くツルツルした部分の手触りは何とも言えない気持ちよさがあり、飽きずにいつまでも触っていたい感触です。

桑のこしらえは2本あって、1本にはSFのペン先をつけたダイアリーやノートを書く用。

少し柔らかいけれど、通常の使い方ができるある程度コシのある書き味のペン先で、軽いエボナイトのこしらえにはこれくらい柔らかくても、けっして使いにくくない。

もう1本にはフォルカンのペン先がついています。

ペン先左右に切り込みを入れてしなりやすくして、ペン先が硬くなる要素である刻印も必要最小限に留めている。

フォルカンはその見た目から、今まであまり惹かれることのなかったペン先ですが、使ってみると本当に楽しいと思いました。

筆圧を軽く制御できないと使えないという、ある程度慣れが要求されるペン先ですが、細字の中に強弱がはっきりと出てくれる。

さすがに手帳書きにはクドい印象ですが、手紙や日記によく使っています。

これからも当店は木を楽しむことを訴え続けていくだろう。その中で永田さんが届けてくれた桑のこしらえは、それを自分の楽しみの一部として取り組ませてくれる要素になっていて、とても感謝しています。


カメラ散歩

2014-11-02 | 仕事について

7年もここに居るのに山手幹線から北へはほとんど行ったことがなくて、ずっと行ってみたいと思っていた方向に散歩することができました。

目的地があるわけでもないし、何があるのかも知らないので、ただあてもなく歩くことは一人でないとできないことなのかもしれない。

でもそういうことはちょっとした冒険のように感じて、何歳になってもワクワクする。

県庁の間を通って、相楽園も通り過ぎて、神戸小学校の少年野球を見ながら緩い坂を登って行きました。

山本通り、再度筋、この辺りは閑静な住宅街で、当店の周辺よりもさらに静かな雰囲気。

諏訪山公園に登っていく歩道はいくつかあって、車道から徒歩で入っていくことができます。

神戸の街が一望できる諏訪山の一部を公園にしたもので、人気がない山道をひたすら登って行きました。

こういうどこに行くか分らない道を、この先をイメージしながら行くのは楽しい。たいていイメージは外れているけれど、それで方向音痴だと言われるけれど、あまり気にしない。

カメラを下げているのに、写真を撮ることを忘れてどんどん山を登って行くと小高い山の中腹に公園が開けました。

もっと上まで行けそうでしたが、店の開店時間に間に合うように戻らないといけないので引き返しましたが、小高い中腹からも山と海に隣接した神戸の街を見ることができました。

高層ビルもまばらで、狭いのにゆったりとした神戸の景色。

雨上がりなど、空気が澄んでいる時は対岸の大阪の方まで見渡すことができる。

店は自分の部屋で、ずっとここに居てもいいと思うくらい好きな場所だけど、たまにたとえ数十分だとしても、こうして出掛けると気分も変わる。

私の場合、遠くに行く必要はなくて、日常の少し先にある行ったことのない道を歩いているだけで結構楽しめるのだと思いました。


ビルケンシュトックの部屋履き

2014-10-26 | 仕事について

オリジナルなものに惹かれる。きっと誰でもそうだと思いますが、何の真似でもない、安心してどこにでも持っていけるもの。

昔の日本製にもあったし、今の中国製品の多くにある、既に名のある商品のデザインだけコピーしているものは、価格が安いとか、日本人の使用を考慮したという良い点もあるのかもしれないけれど、コピー商品をお客様に提供して、そのお客様がどこかで恥をかくことがあるということをその商品を提供する会社は考えないといけない。

何らかの影響を受けるということを否定しているのではなく、もともとのその商品の発想自体がオリジナルから由来するものを見ると腹が立つ。

それは万年筆にも言えることで、どこかのメーカーをコピーする心が感じられるものは、なるべくなら扱いたくない。

それがいくら努力してオリジナルを超える性能を持ったものだったとして、そもそもの出発点が間違っているような気がします。


あまりにも独特なデザインで、服装の好みと合わなくなったけれど、ビルケンシュトックは今も好きな靴のメーカーのひとつで、その履き心地はきっとどんな革靴にも及ばないだろうと思うこともあります。

ずっと欲しいと思っていたけれど、家履きにビルケンシュトックは贅沢なのではないかと思っていたので、躊躇していたけれど、とうとう買ってしまって喜んで履いています。

アッパーは厚いフエルトでしっかりしていて、足裏が靴の出っ張りと凹みにパズルのように合ってフィットするのがいい。底のゴムは何度でも張替えができるし。

ビルケンシュトックは最初硬い履き心地だけど、数ヶ月経つとフットベッドが足に馴染んで沈んでくれるので、全くストレスを感じなくなります。

今も快適だけど、もっと自然な履き心地になってくるのは、万年筆に似ている。

そして、オリジナルを身に付けているという安心感と喜びがあり、それが何よりのものだと私には思えます。

スリッパに・・・、と思ったけれど、その気持への作用もモノの働きで、私たちモノの提供者は意識しないといけないと改めて思わせてくれるものでした。

 


カメラと万年筆

2014-10-21 | 仕事について

先日友人たちと行った加西市への撮影遠足は、カメラが趣味のようになってきていることの象徴的なイベントでした。

始めたばかりで、上手な写真が撮れるほどにはまだまだなっていませんが、撮るのも楽しいし、カメラ本体やレンズについて考えるのも楽しい。

特にレンズにはすごい魔力があって、きっといくらでも欲しいと思わせるところがあるのではないかと、うすうす気付いています。

あのレンズを自分のカメラにつけるとどんなふうに撮れるのだろう、きっといい写真が撮れるに違いないと思ってしまうのは、万年筆に対する好奇心と似たところがあります。

あの万年筆なら自分が今使っている手帳にちょうどいい太さの文字が気持良く書けて、自分の仕事がもっとよくなるに違いない、そしてあの万年筆を使っている自分はきっとカッコ良く見えるに違いないと夢を見せてくれる。

カメラのレンズにはズームや短焦点があって、それぞれ倍率があって、用途にピッタリと合えばより理想的に風景を切り取ることができたり、その空気感のようなものを撮ることができたりするはず。

先日の撮影遠足のようにひたすら移動して、長い距離を歩いて写真を撮るような時はきっとズームレンズが重宝して、実際に私も分らないなりに2本のレンズを持っていったけれど、望遠レンズ代わりに使っている倍率の大きなマクロレンズはほとんど使うことがなかった。

でも短焦点レンズの抜けの良さ、写りの良さを言う人もいたりして、それぞれに良さはあるのかもしれないけれど。

自分が撮りたいと思うものや撮る場所によってレンズの倍率はある程度決まっていて、例えば店の中で撮ることが多いので90mm(マイクロフォーサーズなので実際は45mm)はなかなか使わない。

小さな文字を書くことが多いのにBのペン先を持っていてなかなか使う機会がないという、ペン先と字幅の選択と同じ、最低限の理のようなものがあることが分ってきました。

カメラと万年筆の変な共通点のようなものがあったりして、自分の仕事とカメラを結びつけて考えるのは面白い。

つい最近までお客様との会話は靴の話が多かったけれど、最近はカメラの話が多くなっている。

靴も相変わらず好きだけど、カメラの話が多くなるのは当たり前で、店のテーブルの上に今使っているわけではないのにカメラが置いてあるので、カメラに話にならないはずがない。

でも興味のあることがひとつずつ増えて、それらに仕事を無理やり結びつけて考えることができて、仕事にフィードバックできることがあるというのは、何とも幸せなことなのだと思っています。

 


古くから変わらないもの

2014-09-30 | 仕事について

言うまでもないことかもしれませんが、新しく発売された時代の先端を取り入れたものよりも、古くからある定番中の定番と言われるものに惹かれます。

私の感性が保守的で、新しいものになかなか飛びつくことができないということもあるけれど、それよりもずっと続いてきたということに価値を感じるからです。

世の中の多くのことが目まぐるしく変わって、流行がどんどん移り変わっていく中で、いつもそこにあって生き残ったきたことに魅力を感じるのです。

もちろん時間というフィルターをも通ることができてきたという安心感もあるけれど。

店においてもそういうものを提案したいと思うし、稀に出る新しく発売されたものの中でも続いていくものを見極められたら素晴らしいことだと思っています。

仕事の道具、例えば私が仕事に就いたばかりの頃、連絡の手段は電話ばかりでFAXにも驚いたけれど、気がついたら電子メールが当たり前になっていて、自分も気付いたら使っていた。

そういう仕事の道具はどんどん便利なものができて、それは変わっていくものなので、古いものにこだわるの必要はないけれど。

ずっと以前にあるお世話になった人が「古典を読みなさい。ずっと読み継がれてきたものを読みなさい」と言っていたけれど、古いものに価値があるのではなく、古くからあるということに価値があって、それは全てのものに言えることだと、やっと分り始めたのはしばらく経ってからだったけれど。

世の中の道理、人間の考えること、突き動かす感情のようなものはそうそう変わるものではないのかもしれません。

私が仕事をするようになって、20数年しか経っていないけれど、大きな流れはしょっちゅう変わるけれど、小さな流れは必ずそこにあって変わらなかったということを実感として持っていて、誰でも感じる大きな流れではない小さな流れに気付くことは古くからある変わらないものを見つけることなのかもしれないと思うようになりました。


7周年を迎えて

2014-09-23 | 仕事について

小さな情熱と生存本能で始めた店でしたが、創業前から多くの人に助けられて、8回目の9月23日を迎えることができました。

思い出すのも恥ずかしいくらいの稚拙な考えと計画で始めて、ここまで続いてくることができたのはツイていたとしか思えません。

力のある人に出会って商品の提供を受けたり、その人脈を紹介してもらったり、お客様がお客様を連れて来て下さったり、行った方がいいよと紹介して下さったりと、こんなに周りの人に恵まれて、助けられている店はそうそうないのではないかと思います。

何となく日柄が良いと思って半年前から決めていたオープンの日、9月23日がたまたま万年筆の日だったということも、この店が何かに導かれていることを表している一例だと思います。

7周年のお祝いに当店ホームページに掲載してきた「店主のペン語り」の今までのものを1冊の本にまとめたものをいただきました。

当店をオープンの日から支え続けてくれた佐野さんが企画して、森脇さん、茂手木さんが賛同してくれて出来上がった本でした。

私たちが唯一できること、少しずつのことを飽きずに継続してきたことに、形を与えてくれた何よりのプレゼントで、3人が私たちの活動を認めてくれたように感じて、彼らにも見守られていたことを改めて想い、感謝しました。

自分の息子だと言ってもおかしくない20代の3人に対して、私がしてあげられたことは万年筆に関することしかなかったけれど、自分の若い頃とは比べものにならないほどしっかりとした若者3人のような人にも、当店は支えられている。

3人それぞれとの歴史があって、それを振り返ると思い出深いものがある。

彼らは、楽しいことだけでなく、40代後半に突入しそうな私とは比べものにならないくらいの多くの悩みや苦しみや迷いがあって、それらも開けっ広げに話してくれる。

3人のそんなところにも親近感を持っていて、特別な存在に感じています。

他にもF井さん、O田さん、M瀬さんの大人の方々からもお祝いをいただきました。
当店をいつも気にかけて下さっていることにも感謝しています。
 

始めるのは情熱だけでいいけれど、続いていくには正しい心の持ち方が大切だということを肝に銘じて、この店を書きやすいペンポイントのように永続させる努力をしていきたいと思っています。