自分のデジタルカメラで古いレンズを使うことができるというのはカメラの楽しみを何倍にもしてくれます。
オリンパスのカメラがオリンパスとパナソニックのレンズだけしか使うことができず、しかも新しく発売されたものしか使うことができなかったとしたら、私はもしかしたらとっくにカメラに飽きていたかもしれません。
先日、忘年会の時にル・ボナーの松本さんが置いていってくれたクラシックレンズのうち1本を使っています。
借りたレンズなのにMマウント用のアダプターまで買いましたが、将来このカメラにライカのレンズをつける日がくるかもしれないので、けっして無駄使いではない。
古いレンズはその姿を見ているだけで、何か醸し出す雰囲気があって、いいなあと思います。
プラスチックなど使われていない金属の塊感。そしてガラスの透明感。
カメラのレンズは不思議で、ただ鋭く、ひたすらきれいに写ればいいというわけでもなく(もちろんそれらは大変価値のあることだけど)、写りが鈍くてもそれは味ということになったりする。
でもそういった曖昧さ、スペックだけでないようなところにとても惹かれ、万年筆に近いものを感じます。
私がレンズに関して、写りよりもカメラにつけた姿がいいものが一番だと思い込んでいる理由はそんなところにあることをご理解いただきたい。
仕事でもルーペというレンズを使っていて、もしかしたら私の仕事において、一番大切な道具なのかもしれません。
そのルーペも明るくて、全体がきれいに見えるものよりも、外側はボヤけているけれど、中心に持ってきたペンポイントがはっきり見えるものが使っていて、楽に感じます。
少しコツが必要でそれをスマートに使えるようになった時、一人前になったような気がしました。
慣れなのかもしれないけれど、あまり高価ではないそのレンズが自分に目の一部になっている。
カメラのレンズと仕事、考えれば考えるほど必要なもので、それほど無関係ではないことを関係各所にはご理解いただきたい。