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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

仕事を永続させる

2015-11-15 | 仕事について

ル・ボナーさんが製作してくれているオリジナルダイアリーカバーが入荷しました。ペンホルダー、ベルトもない潔さ、静謐さを感じる原点のこの形もやはり良いと思います。キラキラしたシボをもつサフィアンゴート。

 

どんな人も齢をとるし、同じことを何年も続けていると必ずマンネリ化してくる。
その仕事や立場が生活の糧だからとしがみついて安住しようとする人の仕事に、誰が惹かれるのだろうかと考えると、世代交代は必ず考えなければならないことだと思います。

私もまだそれほど年老いたわけではないと言いながらも、来年は年男で若いとは言えない
店のこと、店に来て下さっているお客様のことを、仕事仲間のことを考えると、そろそろ後継者と言える世代の人を育てておかなければならないと思っています。

自分の持っているもの全てを伝えて、それとその人の個性がミックスされるように、そして自分を超える存在になってほしい。

後継者は一人でいいのか、どうやって養うのかとか、いろいろ考えないといけないけれど、自分が一人前風になった時間を考えるとあまりゆっくりともしていられません。

仕事が自分の世代だけでいいとするのは、私の考えでは言い方は悪いけれど、道楽なのではないかと思う。

自分のやっていることを仕事だと思うのなら、自分自身がいなくなっても、その仕事が続いていくようにしないといけないと思っています。

今の仕事を8年続けてきて、毎日の生活、日常にとても愛着を持っていて、これが永遠に続けばと思えるくらい幸せな時間を過ごさせてもらっているけれど、自分ができることの可能性を広げたいとも思っています。

店を始めた頃は、自分がこんなことを考えるなんて思わなかったし、後継者なんて考えられないと思っていたけれど、そういうこともきっと皆考えているのだろうなと、最近よく思います。


便りを書く

2015-11-01 | 仕事について

なるべくお客様方に感謝のお便りを書きたいと思い、葉書を出すことがよくあります。

手紙は何となく堅苦しい感じがするし、大した内容ではないのでカジュアルに葉書に書きます。

こちらの気持ちは伝わって欲しいけれど、誰かご本人以外の人が読んでも当たり障りないような文章を選び、お互いにしか分からないように書くことは心掛けています。

よく手紙の書き方とか、作法とか言われて、それに疎い人は書いてはいけないのではないかと思ってしまうけれど、葉書も手紙も気持ちを伝えるために書くものなので、そこにあまり囚われ過ぎて定型文で葉書1枚を費やしてしまうのは本末転倒なことのように思います。

その人らしさや人間味が伝わるのが手書きの便りで、私はその人の生き方も伝わるものではないかと思います。

相手の返事を要求するものではないので電話する必要もないし、ものすごく急ぐものではないのでメールでもない。

相手が夜家に帰って、ポストを開けた時に夕刊と一緒にDMではない手書きの葉書を認めて、何?と思って読んでくれればよくて、感謝の気持ちを伝えるのにこの手段を使うのも自分の生き方や美学を表していると思っている。

郵便という手段がよくぞ生き残ってくれていると感謝の気持ちすら持っています。

葉書での便りというと、雑誌の記事などで文豪たちが友人に宛てたものをたまに目にすることがあります。

太字の四角く研がれたペン先丸出しの筆跡で豪快に書いたものを見て、自分もあのように書きたいと思って憧れていました。

真似しようとしたこともあったけれど、自分がやるとどうもサマにならない。

細めのペン先でサラりと書いた方が自分らしく、そこの収まっているように見えるのは、きっと生き方の違いなのではないかと思っています。

今まで細かいことを気にして、狭い範囲の中でコセコセと生きてきた自分の生き方が目の前の自分の文字だと思うと、受け入れざるを得ないけれど。

アウトドアを嗜み、大酒を呑んで豪快に生きれば自分も四角い大胆な文字を書くことができるだろうか。

自分は豪快にカッコ良く書くことができないと知ってから、太字の万年筆を新たに手に入れなくなってしまった。

万年筆の字幅というのは用途によって使い分けるものだけど、書く文字の雰囲気、表現したい世界観によっても選ぶものが違ってきて、これはインクの色も同様だと思います。

生き方が表れると言うと、大袈裟な感じがすると思いますが、万年筆で書くということにも生き方が表れている常々思っています。


目に見えない力

2015-10-20 | 仕事について

当店で商品を買って下さるお客様がおられるのは、私が知らないところで大きな力が働いているからだと本気で思っています。

もちろん自分の意志でPen and message.に来ているよと言って下さるお客様もおられると思います。

当店に初めて来られたお客様に聞いてみると、一度当店に来られたことのある人から話を聞いて来られたという方がほとんどです。

人伝え、口コミというものがお店にとって、とても大きな力になっていると考えると、はじめに書かせていただいたことも現実からそう離れたものではないと思えてきます。

店は、掃除をしたり、商品をお揃えたり、そこで買いたいと思う理由付けをしたり、最低限の努力はしないといけないけれど、自分が売っているとか、お客様が集まってくるというふうに考えない方がいいと思います。

大きな力が働いているからこそ、お客様は当店で買って下さっている。お客様が来て下さっている。

お店は謙虚にいないと、慢心や傲慢な態度はきっといろんなところに表れてツキも離れていく。

商売では理論だけでは説明がつかない向きとかツキのようなものが、どうしてもあります。

それは賭け事においてのツキとも、神様に頼んでツキを呼ぶというものとも違っていて、ツキが向く朗らかな人間でいるということしかできないけれど。

賭け事も神頼みも、自分で努力しないでただ向いてくれるのを待つというと怒られるかもしれないけれど。

大きな力を信じて、大きな力が向いてくれる店であるように努力する。

これを心掛けたいと思っています。

 


まだ間に合う工房楔のイベント

2015-09-27 | 仕事について

昨日(9月26日)11時の開店時間には、10人のお客様が並んで開店をお待ち下さっていて、とても嬉しく思いました。

しかし、個人店で融通を利かせようと思えばできるのに、公平性を保つために11時開店を厳守したことに、30分以上お待ち下さった方もおられて、申し訳ないことをしたと思いました。

昨日開店直後は、狭い店内は移動できないほどのお客様がおられましたが、欲しいものは意外と分散するようで、「目玉」たちはまだまだ残っていますので、初日に来られることができなかったと、諦めないでいただきたいと思います。

どこがアウトレットか分からない、職人のこだわりのアウトレットのコンプロット10も残っています。

 

革ケース付きのコンプロット3

白檀とスネークウッドのパトリオットボールペン

人気のブロッター。イベント期間中、楔オリジナル専用吸い取り紙サービス。

今回の目玉材ペルナンブーコも全アイテムございます。

 


愚直の時代

2015-09-08 | 仕事について

物事はとても早いスピードで移り変わっていく。私たちが若い頃もてはやした欧米系のファーストフードなどのお店の仕組みや考え方などをすごいな、よく考えられているなと思ったけれど、冷静になって日本人の感覚で考えると、今までムリして合わせていた、何か違うと思うようになりました。
私などは、実際にはないと思うけれど、何か裏がありそうでイヤだと思ってしまいます。

よく考えられた仕組みでも、多くの人が知って、一般化すると陳腐になってきて、それはただのこざかしさのように感じられる。

私達が若い頃、儲かる仕組みを考え出すことが仕事を作ることだと言われていて、私も本気でそれについて考えていましたが、いくら考えても上司が頷くようなアイデアを思いつきませんでした。

自分にできることや、したいことはあるけれど、儲かる仕組みと言われて何か抵抗がありましたし、私の考えが甘かったのかもしれないけれど、少しも楽しいことに思えなかった。

今、ブランディングや仕事を作り出すことを儲かる仕組みを作り出すことと言うと、かなり違和感があって、時代が変わったことを実感します。

仕事を続けるにおいて必要な利益を確保しようとするやり方さえも、こざかしさのようなものが見え隠れすると、お客様は引いてしまうようです。

私が儲かる仕組みについて考えることを上司から命じられていた時、売り上げアップや顧客の囲い込みの手法として、様々なものがあって、今もそのやり方をしているお店を日常的に目にします。

他所のお店について考えると、そういうことはよく見えるけれど、自分もきっとひと昔前の仕事の仕方をしているのだと思うけれど。

自分がこざかしいと思うようなことは、なるべくやりたくないと思っていて、変な計算や世間でよくある陳腐化されたやり方を取り入れるくらいなら、喜んで愚直でいようと思うようになりました。

最近、中国、韓国、台湾、シンガポールなど東アジアからのお客様がよく来られるようになりました。
最初はオリジナルインクを求めて来られていましたが、インクの色見本や壁に掛けてある文字、ペン先調整にも興味を持って下さっているようで、分かりやすい日本語で説明しています。

それはニュースでよく言われてる爆買いとは違う動きで、きっと日本中の表も裏もなく、愚直に作られているものに周辺の国々の人たちは興味を持ち出しておられるのだと思います。

感覚的には、我々日本人とそう違わない周辺の国々の人たち。きっと皆欧米系のやり方に何となくこざかしさを感じ始めているのだと、私は勝手に思っています。


旅への期待

2015-09-06 | 仕事について

年2回長期休暇をとっています。

お盆休みの時期を外した夏季と年末年始で、多くも、少なくもない人並みのものだと思っている。

夏休みは会社に勤めていた時から3,4日はとることができて、毎年ささやかながらも家族旅行に出掛けていました。

息子が小さかったこともあり、お金もなかったこともあって、車で無理せず行ける範囲のそれほど遠くないところに行くことが多かったけれど、それなりに旅の気分は味わえて、家族それぞれに思い出となっていると思います。

私が道をよく間違えるのと、スピードを出し過ぎることに妻が気付いて、最近では電車での旅行が多くなっている。

今夏は金沢に行きました。

我が家の旅の楽しみは観光というよりも、それぞれの街のお店を巡ることで、それが夫婦共通の楽しい旅の仕方だと分かってから、いろんな街のいろんなお店に行きました。

歴史や知名度の割にお店の少ない町だと思いましたが、金沢でもいくつかお店を訪ねてきました。

古い町に行くと、古くからある文具店などがあって、そんなお店で今では手に入れることができなくなったような筆記具などを買うことも楽しみのひとつだけど、そういうお店は大抵荒れていて、見ているだけで辛い。

自分も齢をとったら店がこんなになっていても、何もせずにいるのだろうかと思うのと、自分はこうはならないと強く思う。

荒れたお店には諦めたような独特の雰囲気があって、それも嫌で長居したくないと思い、今回も何も買わずに逃げるように店を後にしました。

こんなふうに、ステーショナリーハンティングを純粋に楽しめなくなったのはいつからだろうかと思います。


写真を撮るようになって、旅の楽しみは倍増したけれど、以前から旅の出ることで、一番期待していたのは、自分のボンクラな頭に何か刺激を受けて、自分に変化が訪れることでした。

旅の途中で見たことを書いているうちに、何か良いアイデアが浮かばないだろうかということをいつも期待しているけれど、そればかりはなかなか期待通りにはいきません。


ほがらかな心

2015-08-18 | 仕事について

先日の、テレビ番組「ヨルタモリ」でゲストの福山雅治さんがそのキャリアを振り返って、「売れたいとは思わなかったけれど、売れないと続けていけないことに途中で気付いた」と言っていて、確かにそうだ、それは私たちのように商売をしている者にも当てはまると思いました。

私たちの仕事の多くは、理想を追い求めながらも結果を出さないといけない。若い頃は結果と理想は両立しないように思ってしまうジレンマに陥りますが、キャリアを重ねるうちにそれらは自然とそれぞれの居場所に収まっていく。

福山さんは、私たちが仕事をしながら矛盾と感じながら葛藤してきて、気付いたらバランスを取れるようになっていたことを言っている、同年代の人の発言として「そうそう」と大変共感しました。

福山さんが言っていることは当たり前のことだけど、理想と結果の間で葛藤したことのある人ならよく分かることだと思います。

売れないと続けられないけれど、そうしていくために最も大切なことは元気だと、今は思っています。

才能や頭脳だけでは続けることができない、元気は朗らかさと言い換えることができるかもしれない。

心が元気でないとやはり仕事は続けることができません。

心が元気だから、地味な繰り返しの中でもモチベーションを保つことができるし、やりたいことが生まれてくる。

気掛かりがあったり、憂鬱があると仕事のパフォーマンスにも影響が出て、何も生み出すことができなくなります。

私たち商店主も、福山雅治さんと同じように何かを生み出す仕事をするものだったのだと思うと、自分は自分の役割を朗らかに果たしていきたいと思うのです。


書道

2015-08-09 | 仕事について

定休日に書道を習いに行くことになりました。

元々妻がずっと書道を習いたがっていて、息子が小さな時から、この子が手を離れたら習いに行くと言っていた。

妻は普段書く文字も上手いし、小学4年から6年まで習いに行っていたと聞いていたので、子供の手が離れたらと言わずにすぐにでも行くべきだと思っていたけれど、経済的な理由を挙げられるとそれ以上言えなかった。

結局息子が大学3年生になって、やっと行くことができるようになった。

インターネットで色々調べて、行ってみたいと思える教室が須磨に見つかり、興味がなかったわけではなかった私も一緒に行くことになりました。

教室を探し始めて分かったけれど、ネット上に書道教室に関する情報が非常に少ないことが分かりました。

それぞれの先生がホームページを持っていることはものすごく稀だし、先生どころか書道会もホームページを持っていないところがほとんどでした。

車で走りまわって探すということもやってみたけれど、近所にはなくて、垂水区内で見つけることができませんでした。

 

先月、教室見学に行って、習いに行くことになりました。

とても小さな教室だけど、いかにも習い事をする場に相応しく、先生も気さくな男の先生で習いやすい。

教室で1時間半ほど毛筆を書き、宿題プリントでペン習字をする2本立てで、書くことがとても楽しいと思っている。

妻も書いた文字を先生に褒められて、褒められることがすごく久しぶりなのでとても嬉しいと、私への批判も籠っているのか、喜んでいました。

万年筆店をしているからには、まともな文字を書きたいという思いというか、後ろめたさはずっと持ち続けていましたが、なぜか書道を習いに行くという考えに至らなかった。妻だけでなく私ももっと早く行き始めていればと思っています。


手間

2015-07-14 | 仕事について

モンブランが、筆記具の見積りを出した後にお客様がキャンセルされた場合、本国に出していたら8000円、国内で5000円の見積り手数料を申し受けるというのは、私は高いと思っていました。

高い修理キャンセルの見積り料の発生を防ぐために、店で見積り金額を出して、それ以上の金額がかかる場合はモンブランから連絡があり、その結果修理キャンセルしても、それに対しては見積り料金は発生していませんでした。

しかし、8月1日(水)からの適用で、その場合のキャンセルでも見積り料金が発生することに改定され、波紋を呼んでいます

他の会社の方針で、批判するつもりはありませんが、それは日本人の感覚に合っていないばかりか、私には時代にも合っていないような気がします。

 

店を始めて手に入れた考えの中で最も価値のあるもののひとつが、手間はお金がかからないというものでした。

別に根性論を唱えるわけではありません。経費をかけずに商品やサービスの価値を高めることができるものが手間で、私たちのような小さな店の戦闘力となるものが手間だと思っています。

その考えは今の時代にも合っていて、世の中はそのように流れていると思っています。

多くの人が同じものを望むのではなく、それぞれの人の実情に合ったもの提供する時代。お客様が商品や提供者に合わせるのではなく、提供者がお客様に合った商品や情報の提供をしていく時代にとっくになっていて、それを支えるのが手間です。

それぞれの国や人の実情を無視して、世界統一の方針を施行したり、何でも金銭に換算して価値を高めるというやり方は、デフレやリーマンショック後の高いものが売れにくい時代には競争力を失う、遅れたやり方に思えるけれど。

価値とは価格を上げて高めるものではなく、顧客の信頼を得て維持するものだと言うと、たくさんの人の共感を得るために言っていると思われるかもしれないけれど、きれいごとではなくそのように考えて仕事していかないと通用しない時代に入っていることを実感しています。

時代は、新しいものをどんどん買ってもらうというものではなく、今使っているものを満足して使っていただいた結果、また新しいものを買ってもらえるという風潮になっていて、高級品の物販において修理は重要なカギを握りますし、売れているお店は修理が多いことを私たちは経験的に知っている。

万年筆は、ただそのモノが好きで選ぶのではなく、それを売っている人、店、作っているメーカーの考え方に共感して選ぶのだと思うと、モンブランはとても不利なことを時代に逆行する「グローバルで統一したサービスの提供」のスローガンのもとに始めたと思っています。

 


良い万年筆とは

2015-06-30 | 仕事について

私たちが身に着けるものは全てファッションで、それによって他人からどう見られたいかを表す。もちろん自分の気分が良いという自分への作用もあるけれど。

中にはそういうことに無頓着で、どう見られようと気にしない人もいて、そういう人の心の強さが羨ましく思うけれど、自分には難しいと思う。

見栄え良く見られたいというのがファッションの根底にあるものだと思いますが、見栄えが良いというのはひとつの強みだと言えなくもないので、それにこだわることは人間の防衛本能なのかもしれません。

ファッションは他人から良いように見られたいという目的の他に、自分はこういう生き方をしている、あるいは目指しているといった精神性も表していると思います。

なかなか難しいけれど、私くらいの40才代後半になってくると、他人から良いように見られたいという以上に、こういう生き方をしている、あるいは目指しているという精神を表すものを身に着けたいと思ってきます。

それは本当に難しいことだけど、服装も自分の精神的支えとか、心の拠り所として考えるようになってくるのだと思います。

自分の精神性、考え方を表すものとして、ペンは服装以上にそれを物語ってくれるものだと思っています。

ペンの良し悪しによって、その人が書くことを大切にしている人なのかどうかということが伝わるし、万年筆はさらにそれを強烈に物語ると思っています。

さらにちょっとペンに詳しい人(全人口のどのくらいの割合存在するのか分からないけれど、日本に130000人くらいか?もうちょといるかな?)が見た時にこの人はすごいと思わせるペンを持っているかどうかは、勝負は斬り合う前からほぼ決まっている武士の心境にさえ近いのではないか。

そういう話をすると万年筆は実用の道具ではなく、装飾品、アクセサリーではないかと言われる方もおられるかもしれませんが、私はそれを否定したことはなくて、気持ち良く書くことは当たり前に備えていて、その上にその人の生き方を表す力があるものが、良い万年筆のひとつの条件だと思っています。