「青ヶ島」で検索してもなかなかヒットしなかった本をご紹介します。
タイトルは 黒潮物語、著者は小沢さとし氏。(現在、長野県上伊那郡箕輪町の「美空ひばり歌の里」館長さん)
発刊年はとても古く、1983(昭和58)年3月、当時の著者は45歳。
1番最初のページを開いたとたん、大変興味深い内容になっています。
本書では「高瀬勉先生」と表現されていますが、内容は1950(昭和25)年から1961(昭和36)年まで青ガ島小学校の教師を務めた高津勉先生の実話に基づいた小説になっています。
「青ガ島小学校教師募集」の張り紙を見た高津先生が自ら青ヶ島行きを名乗ったとき、教育庁関係者の職員たちは非常に驚き、「あなた、青ヶ島のことをご存知なんですか?」「いいえなにも・・・」。
真面目な顔で言う高津先生の顔を若い職員はあきれ顔でまじまじと見た。
よほど物好きな男だと思ったのだろう。
(俺はこんな窒息死しそうな狂った東京を離れて、紺碧の大海原と緑の別天地に行くのだ)
東京脱出は昭和25(1950)年11月8日 午後7時。
翌朝、船は八丈島に着いたが、「2、3日のうちには行けると思いますよ」とうやむやのまま、ほとんど毎日欠航。
足止めを食らった高津先生は八丈高校の教壇に立つことになったが、青ヶ島に行きたい気持ちは変わらず。
八丈島から出ている連絡船黒潮丸は年内に出るのは無理なので、緊急の物運搬船の「八丈丸」という漁船でやっと青ヶ島行きが決定。
東京を出て、1ケ月半後の12月15日、青ヶ島の地を踏むことができたと書かれています。
想像を絶するほどの島影を見て、非常にカルチャーショックを受けたときの感想は語弊があるかも知れませんが、とても面白く書かれています。
(写真は中村太郎 作品展 「東京都青ヶ島 1959」の一部)
私も中学のときからずっと青ヶ島に行きたいと夢見て、実際に上陸できたのは今から10年前の1999年。
ヘリコプターで空から降り立つ余裕はなく、還住丸で三宝港に近づくつれにそびえたつ断崖絶壁を見上げながら「同じ東京だというのに、まるで最果ての秘境に来てしまった」と少ながらずカルチャーショックを受けました。
何回も青ヶ島に行くようになると、この風景は見慣れてしまいましたが、初めての方は非常に驚くかなと思います。
タイトルを「黒潮物語」よりも「青ヶ島物語」にすると、本の存在をいち早くキャッチしていたかも知れません。
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