羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

独楽の命は粋!

2005年10月19日 08時11分59秒 | Weblog
 昨日、江戸独楽作家・福島保氏の工房を訪ねた。
 20数年のお付き合いで、初めてのこと。
 
 工房の棚では、「黒檀」「紫檀」と名称が書かれた箱や、これから独楽に生まれ変わる木材等々が、出番をまっている。
 今年の新作は、真ん中に薄い輪があって、回すと上下するもの。
 福島さんをご紹介するためにお連れした知人は、始めて目にする独楽つくりに、びっくりした様子で
「こんなに、多様な独楽があるなんて、想像もできませんでした」
 と感激することしきり。
 
 まず、ごく普通の独楽、次にまんなかに輪のある独楽、それから福島名人といわれる「芥子独楽」を二つが、目の前で、つくられていく。

「そろそろ老眼でしょ」
 ちょっと意地悪な質問を私がすると
「老眼もそうなんだけど、小さすぎてそんなにはっきりとは、見えませんよ。だから、始から小さいものはつくれないの」
 大き目のものをつくって、木材がちいさくなり、勘がはたらくようになってから、芥子独楽に取り掛かるのだそうだ。
「最初の青いのは9ミリね。もうひとつの赤いのが6ミリね」
 確かに見えないだろうと、素人目にも納得がいく。

 小さな芥子独楽から、最大級の40センチくらいある曲独楽まで、つくる刃物は同じ大きなもので削っていく。そうやって形をつくり、彩色をするのだから驚きである。
 
 形もでき、彩色をする。その色を輝かせるのは、蝋を塗ること。蝋が塗られると、艶やかな色に変身するところで、見ているものは、もう独楽の虜になる。

 なんといっても圧巻なのは、独楽のからだを一点でささえて回す先端を、母体の木材から切り離す瞬間である。芥子独楽は、木屑のなかにもぐってしまう。そこで、6ミリの芥子独楽などは、削っていく刃物の先で掬い取るようにして、取り上げるのである。
 
 独楽とはいえ、いや独楽だからかもしれないが、誕生の瞬間に、えもいわれぬあたたかな息が、独楽それ自体の内部にかようのが見える。聞こえる。感じられるのである。

 何時見ても、何回見ても、飽きない。
「昔話シリーズ、極小独楽シリーズ、お雛様シリーズといろいろあるんです」
 一寸法師、桃太郎、竹取物語。見せていただいたことを思い出す。
 作家は、柔らかな頭で、独楽に物語を与えていくのだという。

「これはベンハム・トップ」
 人の目の錯視を利用した独楽である。確かイギリス人が考えた独楽だったような記憶があるが、定かではない。
 CD版を独楽に加工した上に、モノクロの幾何学模様を描いた紙をつくり、着せ替え人形のように紙の円盤を乗せ替えてみる。
 不思議や不思議! モノクロの色の中から、緑色や暖色系統の色がほのかに立ち上がって見えてくる。
「回転方向をかえてやると、内側と外側と、色の筋が交替するでしょ」
 実に、面白い現象だ。
 以前に、この原理を読んだことがあった。詳しいことは忘れしまった。原理もさることながら、目の前で繰り広げられる色の魔術に、魅せられていく。
 独り遊んで楽しむと書く「独楽」は、つくる人も独り楽しんでいることが確かめられた。


「独楽の命は、粋ですからね」
 福島氏は、あっさりとした口調で語りながら、用意してあった独楽を次々と見事な手さばきで回してくれた。
 
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