羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

もののけ

2005年10月14日 08時13分26秒 | Weblog
 参加者は関西大学の先生方を中心に、関西在住の大学関係者ほか20名ほどである。
 年齢は20代半ばから60代後半まで、男女の比率も半々というところ。
 いよいよはじまった。

「野口体操をひとことで言うのは難しくて……」
 紹介の挨拶の言葉を受けて
「私も、野口体操をひとことで言うとどうなりますか、必ずマスコミの取材で聞かれるのですが、短く言うのが難しくて、むにゃむにゃむにゃ~」
 こんな言葉から、はじめてしまった。(内心、なんとかしなきゃ!)

 ところが、これをいってしまうと、後は楽になる。
 大学で野口体操を教えるときの失敗談を交えて、朝、読んでいた本を引用しながら、「鞭」を鳴らす。
「おぉー」
 どよめきが起こる。
 ものの威力はスゴイのだ。

 続いて、昨年も参加している若手の研究者、もちろんみごとな体躯の男性である。その彼に鞭を渡す。
「エッ、どうして。。。。。。」
 力では、どうにもならないことを、すぐに実感する。
 
 そこで、紹介したのが河合隼雄著『日本人の心のゆくえ』(岩波書店)である。
 ー第八章「もの」という日本語。ー
 「もったいない」という言葉の英訳の難しさから、日本人は主体と客体が不明確にしたまま、そのときの文脈に応じて適当な判断を加える傾向にある話から、「もの」をどう捉えているのかという話へつなげながら、野口体操の「もの」と「ことば」と「うごき」の関係を語っていった。
 『「物質」や「事象」をこえて、鬼や魂に及んでいくこと。そして、感情的な心のはたらきと関連して用いられることである。物と心という二分法の世界とは無縁の考えである』という河合氏の前後の文章を読み上げながら、野口三千三先生の物語へとつなげていく。
 
 椅子を用意してもらったのは、やっぱり正解だった。
 椅子を活かしながら野口体操の「重さの移り変わり」も実感しやすいし、なにより話を、落ち着いてゆっくり話を聴いてもらえる。

「あぁ~、そうか」
 先ほどの男性が立ち上がって、もう一度、鞭を鳴らすと、今度はいい音がするのである。
 それは、一通り鞭の原理を語ったあとのことだった。

 こんな風に、午前中の二時間は、野口体操の動きの原理を伝えることに終始した。
「話が多すぎました」
「いやいや、ものすごくストレッチをした後みたいにほぐれてますよ」
 中年の男性教師が目を丸くして答えてくれた。

「では、1時まで休憩に入ります。食堂へいらしてください」
 ところが、何人かは食堂へは行かず、鞭を鳴らしにそばにやってきた。

 バシッ!

「鳴った、鳴った! いやいやほんとうにリズム感だ。大事なのは、リズム感だ。そしてものへの畏敬の念ね。。。。。。。。」
 伴義孝先生は、そう話しながら、大喜びされた。
 伴先生は、実は、この研修会の研究代表者だった。
(伴先生が鳴らせないときのフォローの言葉を探りながら、鞭を手渡したのだったが。「野口先生は、フォローが上手かったよなぁ~」と思いつつ、鳴ってくれてありがとう状態の内心でした。)


コメント (1)
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