羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

森のパースペクタ

2005年10月24日 07時25分14秒 | Weblog
 神は細部に宿る。
 そうした言葉がぴったりの写真展を見た。
 乾期のバリだという。
 
 少年、老人、成人した男性が立つ姿には、自然と人間の生命を隔てる戸は立てられていない。自然のなかに溶け込み、神々に許される存在として、生きる姿がそこには映し出されている。
 ところが少女と女性は、どこか違う。
 その印象を、どう言葉にしたらよいのか。
 女の性というものは、自然のなかに溶け込むというよりは、からだそのものの中に、自然を抱き宇宙を呑み込んでいるようにもおもえる、と言えるかもしれない。すくなくともそこに展示されている写真が映し出しているものには、それを感じた。
 おそらくその印象は、写真がモノクロであることから来ることかもしれない。
 
 モノクロが内在させる訴える力は、今、このときだから強い。
 あらゆるところに色があふれ、あらゆるところに音があふれ、あらゆるとこに形があふれている現代。あふれすぎると、時として、見えなくなる。いや、目を閉じたくなるか、耳を塞ぎたくなるか、麻痺してしまうかである。
 
 空間片面の壁に展示されている写真は、多様な植物が、それぞれの命を繁茂させる姿を、モノクロの濃淡、しかも微細な部分までも鮮明に映し出し、静かなる闘争の出来事を伝えている。
 
 はじめはある植物と他の植物の見分けがつかない。しかし、観ているうちに違いが向うから浮き上がってくる。ベンハムトップのモノクロ独楽が、回転によって色が生まれるように、見ているこちら側の脳のなかで切り取られた空間から、ざわめきが鳴り始め、静止した形態から色がうまれ、多様な生命の営みが顕現する。

「森のパースぺクタ」佐治嘉隆写真展は、いろいろなものに見飽きてしまった方にとくにおすすめしたい。
「本来の美」を求めてやまない人に、真実を語りかけてくる写真展だ。
 
 今年はあえて、モノクロに挑戦した写真家の真骨頂が、みごとに表出した写真展である。

 30日(日)まで、新宿5丁目にあるコンテンポラリー・フォト・ギャラリーにて。
 ☏03(3226)9731 13時~19時
コメント (3)
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