羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

午後の研修会

2005年10月16日 08時01分34秒 | Weblog
 午後は、呼吸法から話し始めた。
 午前の最後に「動きと呼吸」について質問され、それに答える約束をして終えていたからである。
 
 野口先生の呼吸の研究は、昭和30年代半ばに集中的な行われた。
 その成果は『原初生命体としての人間』の初版に、丁寧に書き込まれている。
 それをもとに、その後先生の中で熟成した「呼吸」について、実技を交えて話をするのは、私としては楽しい。
 なぜか? それは、あの難しい『原初生命体としての人間』を読み始めて、最初に実践をしてみたのが第三章「生き方と息方」からだった。
 それから30年、とくに「姿勢」と「呼吸」と「動き」、三位一体の関係について語るのは、先生から教えられたことにプラスして、私自身が野口体操をおこなううちに実感として得たこともプラスできるからだ。

 後半の後半は、「制御」としての筋肉の働き方に絞って、実際の動きと理論を結びつけて展開した。
 
 なんといっても五木寛之氏の「車」の話は、例として皆さんに伝わりやすい。
 野口先生の言う「非意識の自動制御能」としての筋肉の在り方は、いろいろな角度からもっと検討されていい問題だと思っている。

 それにしても一人の人間が20代から60代そして70代へ、さらに最晩年に向けての道筋のなかで「変わるもの」と「変わらないもの」があって、それを丁寧にみないことには「本質」といえること「真実」といえることは、つかめないということを、最近頓に実感している。
 そういった点では、三島由紀夫が45歳で命を自ら絶ったことは、非常に残念である。しかし、それもまた社会への問いかけとして、命を懸けた意味は深いだけに、一概にたった一つの基準で、ものを見たり考えたりすることは危険だと思っている。
 横道だが、以前、読んだ雑誌に、人の名前には若い名前・老けた名前があって、三島由紀夫という名前は、それ自体が「若い」といった人がいた。それにくらべて遠藤周作という名前は、若いときから年寄りじみている名前だと。冗談めかしたショートショートの話題だったのだが、なんとなく言い当てているような。

 さて、関西大学での研修会でも気付いたことだし、昨日15日の朝日カルチャー土曜クラスのレッスンでもさらに進めることができたことがある。
 野口先生が長い間おこなってきた「上体のぶらさげ」の方法は、晩年に変化した「上体のぶらさげ」とは、違った意味で「基礎」であり「基本」であることを確信したことだ。「骨盤」と「股関節」のことだけを取り出しても、この「上体のぶら下げ」はすごい動きなのだと。
 やり続けながらの時間がもつ意味合いがますます深くなる。

 ところで関大に集まった先生方は、大学で体育を教えておられる方を中心に、いずれの方も体育を専門としておられた。だから女性も「腕立て伏せ」は3・40回やっても「平気なのよ」といえそうに鍛えていらっしゃったのだ。
 さすが、さすがである。

 野口体操は、これからだ!
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バレーボールと日常の動き

2005年10月15日 09時14分54秒 | Weblog
 食堂への移動の途中に、参加している女性から声をかけられた。
「私はバレーボールを指導しておりますが、今日の鞭や腕回し、野口体操の動きの原理はまったくそのとおりで、ものすごく参考になりまたの」
 さらに彼女は、力を抜くことを考えながら、日常生活を見直していると話してくれた。
 だから初めてでも「腕回し」が両腕でも、すんなりとこなせたのだったと納得がいった。

 それで、思い出したことがあった。
 野口三千三先生が「ぶどうの会」で山本安英から聞いた話しである。
(注:若い方々はまったくご存じないとしても不思議はありません。昭和30年代半ばから40年代にかけての時代ですから。すでに亡くなった方ですが、山本安英さんは、夕鶴の主演女優で、新劇界の大御所である。)
 山本さんは、特別に身体訓練や体操をすることはなかったけれど、日常生活の中での立ち居振る舞いの研究は、ものすごくされていたらしい。それがそのまま舞台に活かされるのだったという。
一般には、日常の暮らしの中で、自分の動きを特別見直すなどという人はすくないだろう。
 
 もう一人、テレビ局のディレクターの方が話されたこと。
「野口体操の番組を作り始めて、驚いたことがあるんです。それは、日常生活のなかで、妻がどんな動きをしているのか、すごく気にかかって、意識的に何日か見たんです。するとものすごくいろいろなからだの使い方・動かし方をしていることに気付いたんですよ」
 なるほど、家事といわれる仕事の動き、これを検討することも大事なのだなぁと、この二人の話から考えさせらたことがあった。

 それに、野口体操を始めたころ、母とのやり取りでこんななことがあったことも……。
「お母さん、肩にも腕にもすごく力入っているみたい」
「何いってるの。力入れなきゃ、洗えないでしょ」
 手のついた鉄のフライパンを、母が洗っているときの会話である。さらに一言。
「そうそう、人の前で、からだを揺するのはやめてね」
 ハッとした私。
 そうか野口体操を初めてから、知らないうちに、無意識のうちに、からだが固まってくると
「揺すっていたんだ」
 
 そんなことを思い出しながら過した昼食後の時間は、あっという間に過ぎていった。
 
 後半である。
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もののけ

2005年10月14日 08時13分26秒 | Weblog
 参加者は関西大学の先生方を中心に、関西在住の大学関係者ほか20名ほどである。
 年齢は20代半ばから60代後半まで、男女の比率も半々というところ。
 いよいよはじまった。

「野口体操をひとことで言うのは難しくて……」
 紹介の挨拶の言葉を受けて
「私も、野口体操をひとことで言うとどうなりますか、必ずマスコミの取材で聞かれるのですが、短く言うのが難しくて、むにゃむにゃむにゃ~」
 こんな言葉から、はじめてしまった。(内心、なんとかしなきゃ!)

 ところが、これをいってしまうと、後は楽になる。
 大学で野口体操を教えるときの失敗談を交えて、朝、読んでいた本を引用しながら、「鞭」を鳴らす。
「おぉー」
 どよめきが起こる。
 ものの威力はスゴイのだ。

 続いて、昨年も参加している若手の研究者、もちろんみごとな体躯の男性である。その彼に鞭を渡す。
「エッ、どうして。。。。。。」
 力では、どうにもならないことを、すぐに実感する。
 
 そこで、紹介したのが河合隼雄著『日本人の心のゆくえ』(岩波書店)である。
 ー第八章「もの」という日本語。ー
 「もったいない」という言葉の英訳の難しさから、日本人は主体と客体が不明確にしたまま、そのときの文脈に応じて適当な判断を加える傾向にある話から、「もの」をどう捉えているのかという話へつなげながら、野口体操の「もの」と「ことば」と「うごき」の関係を語っていった。
 『「物質」や「事象」をこえて、鬼や魂に及んでいくこと。そして、感情的な心のはたらきと関連して用いられることである。物と心という二分法の世界とは無縁の考えである』という河合氏の前後の文章を読み上げながら、野口三千三先生の物語へとつなげていく。
 
 椅子を用意してもらったのは、やっぱり正解だった。
 椅子を活かしながら野口体操の「重さの移り変わり」も実感しやすいし、なにより話を、落ち着いてゆっくり話を聴いてもらえる。

「あぁ~、そうか」
 先ほどの男性が立ち上がって、もう一度、鞭を鳴らすと、今度はいい音がするのである。
 それは、一通り鞭の原理を語ったあとのことだった。

 こんな風に、午前中の二時間は、野口体操の動きの原理を伝えることに終始した。
「話が多すぎました」
「いやいや、ものすごくストレッチをした後みたいにほぐれてますよ」
 中年の男性教師が目を丸くして答えてくれた。

「では、1時まで休憩に入ります。食堂へいらしてください」
 ところが、何人かは食堂へは行かず、鞭を鳴らしにそばにやってきた。

 バシッ!

「鳴った、鳴った! いやいやほんとうにリズム感だ。大事なのは、リズム感だ。そしてものへの畏敬の念ね。。。。。。。。」
 伴義孝先生は、そう話しながら、大喜びされた。
 伴先生は、実は、この研修会の研究代表者だった。
(伴先生が鳴らせないときのフォローの言葉を探りながら、鞭を手渡したのだったが。「野口先生は、フォローが上手かったよなぁ~」と思いつつ、鳴ってくれてありがとう状態の内心でした。)


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山の霊気

2005年10月13日 07時51分27秒 | Weblog
 会場まで車で20分ほど。
 市内を抜けると、田畑が広がっている。
 しかし、山が接近しているので、専業農家は少ない様子が、窓から見える。
 近年、このあたりは大阪のベッドタウンとして開発され、ますます田畑が失われているという。
 
 確かに、家並みをみると、みごとにつくりが分かれている。
 古い家は重厚な瓦屋根に、塀にまで瓦を載せ、庭には松や柘植、山茶花や椿、実のなるもの等々、植栽されている樹木はみな一様に手入れが行き届いている。
 とりわけみごとな懸崖の松ノ木が門の脇に張り出している家があった。
「造園」と看板が出ている。
「なるほど」と、合点がいく。
 
 新しく建てられた家々は、それとは反対に庭木もなく、瓦もなく、東京近郊のベッドタウンの町にある家のつくりとまったく変わらない。

 そうこうするうちに小さな川をわたると、曲がりくねった山道にさしかかる。
 「高岳館」と呼ばれるセミナーハウスは、山の中腹にある。
 ここは、霊仙寺という地名だ。
 日光の「いろは坂」とまでは行かないが、右に左にカーブを切って、数分で目的の会場に到着した。

 降り立つと山の霊気が、からだを包んでくる。
 秋のひんやりした空気は、湿気がなく、さらりとしている。

 会場は昨年同様に、会議室である。床はフローリング。天井も高く、左右に開放された黒枠のサッシュは大きい。部屋の広さは200畳はゆうにある。

 東京を発つときからイメージしていた使い方をしたい。
 現実に部屋の真ん中に立ってみると、より一層その思いが強くなる。
 昨日から、細やかな配慮をしてくださる関西大学の田村典子先生が近寄ってきた。
「おはようございます。打ち合わせ通り、椅子を並べてよろしいですね」
「立ったり腰かけたりもしますから、すこしゆったりと間を空けて、円形に並べてていただきたいの」
 
 すでに会場に到着している参加者も加わって、椅子が運び込まれた。
 開け放たれた空間には、山の木々の香が風によってほのかに運ばれてくる。

 準備は、完了。

「椅子に座るの?」 
 参加者が、遠巻きに部屋の隅に腰をおろして資料を読んだり、ストレッチをしたりしながら、時間をやり過ごしている。
 表情は、皆、穏やかだ。
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透かされる雲

2005年10月12日 08時10分57秒 | Weblog
 朝、目覚めてカーテンを開ける。
 窓の向うに見渡す限り海と空が見える。
 そんな家に住みたくて、引越しをした人がいる。

「なるほど。気持ちはわかるなぁ」
 10日の朝、いつもの通り、5時30分には起き上がった。
 自宅では、窓を開け、新聞を取りにいって、ざっと目を通す。
 6時すこし前から味噌汁をつくり始める。
 冷蔵庫の中から夕飯の残り物や、朝食用の食べ物を見つけ出し、簡単な調理をして、朝ごはんを食べるのは、6時すこしまわったころ。
 それが私の一日の始まりである。
 
 ところが高槻では、何もすることはない。
 仕方なしに、枕もとにある音楽が聴けるボタンをまわす。
 夕べから聴いているのは、“名曲”や“イージーリスニング”チャンネル。
 チャンネルを交互に替える。
 そして、できるだけ音は絞っておく。BGMとしてご機嫌な状況を作り出すためだ。
 
 それから、枕をクッション代わりにして、ベッドの上で新幹線のなからの続きを読み始めた。
 
 しばらくして本から顔を上げると、太陽光線が遠慮会釈なく目のなかに飛び込んできた。
「おぉ~、この部屋は南東向きだったのか」
 心が膨張する。いや、からだが解かれた感じだ。
 空が見える。雲も浮かんでいる。朝日を斜めから浴びて、透かされる雲の形が僅かな時間で崩れていく。
 たかだか四階でもこの空間が広がってくれるのだから、10階建てのマンションや、高台の家はきっと気持ちがいいのだろう、と想像する。
 
 こんな気持ちよい朝を過すのは、久しぶりだ。
「たまだから、有り難いのよ」と、誰かがささやくのが聞こえた。
「はい。。はい。。。。。。。。」
 再び、本の活字に、目を落とす。
「これだ。今日のテーマはこれにしよう。せっかく鞭を持ってきたのだから」
 付箋を貼って、線を引き、行間にメモを入れた。
 講習会のイントロの言葉は、これにしよう。声にしてみる。
「ばっちりだ!」
 時計を見ると7時をすこし廻っていた。

 もう一度、空を見る。
「海の見える家に引っ越されたのは、フランス文学者の内田樹さん。ちょっと、うらやましいわ~」
 そんな気持ちを抱いてエレベーターで、一階へ降りていく。
 
 カフェレストランには、誰もいない。一番乗りである。
 バイキングの皿に、最初に箸を入れた。
 なんだかちょっと緊張したたったひとりでの朝食だった。
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結納

2005年10月11日 08時33分08秒 | Weblog
 京都から高槻まで、快速電車で15分である。
 播州赤穂行きの車内は、連休を利用した旅行客が多かった。
 東京を発つときは、どんよりとした雲の間から、パラパラと落ちるものがあった。
 京都は晴れ間がのぞいていた。
 昨年も一日違いに関西大学に来たのだか、今年の方が秋らしい気温だ。
 そんなことを感じながら揺られている。
 すると視線が、客席に座っている男性の手元にひきつけられた。
 初老の男性は、かなり大きな文字で印刷されている冊子をゆっくりと読んでいる様子だ。
 芭蕉の句らしい。門外漢の私にもそれとわかる内容だ。
 どうやら、京都を中心として、いくつかの庵に滞在し、句会を開いている話で構成されているらしい。

「書き取っておけばよかった」と、今、おもっている。
 
 秋の月見の句会。
 芭蕉は、前日から体調をひどく崩して、句会には出られなかった様子が文面から伺える。
 無理やりにつくった句も、芭蕉らしからぬ作だと解説がなされている。
 
 この冊子は、マニアックなサークルのメンバー向けのものらしい。
「やっぱり、京都に来たのだ」
 日曜日でもあり、古都を巡る人々の表情は、JRの電車とはいえ、雰囲気がまるで違う。ある種の気だるさと日常を離れた開放感とが複雑に入り混じった空気が漂っている。
「夕方のせいもある」と、一人の旅人になったちょっとした気分を味わう。

「明日の講習会がなければなぁ~。播州赤穂まで、乗っていくのも一興」
 などと思っているうちに、高槻駅に到着してしまった。

 約束の時間には30分ある。といってどこかに行くには短かすぎる。
 ふと見ると、駅前のデパートに気付いた。
「東京とどう違うのか」と思いつつ、足を踏み入れてしまった。
 四階まで行く。
 その階は美術工芸品や家具売り場である。
 
 予想は当たった。古材を生かした調度家具があった。古い家の戸を小さくまとめて衝立にしたものや三角コーナーの飾り棚。
 なかでも心が動いたのは、小振りの杵にかなり重さのものまで測れそうな棒ばかりが斜めに差し込まれているオブジェ風の置物だ。
「鞭も持ってきたし、杵はハンマーだし、棒ばかりは天秤で、バランスの説明にはなるし…大きすぎる。残念無念! あきらめなきゃ、でも。。。。。。。」
 
 これ以上、見ない方がいいと、思いなおして、反対側の売り場に歩みを変えた。
 すると目に飛び込んだ鮮やかな色彩と造形に、足を止めたというより、目がとまると同時に、足が止められた。
 鶴に亀、翁像、俵やスルメ等、水引で作られたみごとな造形群。
「奥にもございます」
 その言葉に促されて、ついつい入り込んでしまった。
 そこは、ブライダル売り場だった。
 結納の目録とともに飾られるお目出度い納品である。
 赤・白・金銀・緑、よく見ると使われている水引の色は、思ったよりも単純である。しかし、色と形の多様さは、みごとなものだ。
「迷い込んでしまったなぁ、このまま今さっき来た道を引返して、京都に戻ってしまいたい」
 などと不遜な思いを断ち切って慌てて外にでた。

 夕暮れが迫っている。
 時計をみると、5時30分にあと3分。
 待ち合わせの時間だ。
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団塊女性の鬱クライシス

2005年10月09日 08時01分29秒 | Weblog
 昨日、キオスクで「週刊朝日」10・21号が手に入りました。

『団塊女性の鬱クライシスー「人生の転換点」にきまじめさゆえに悩み深く…解決法はきっとある』
 テレビドラマでも取り上げられている中高年女性の問題に、焦点を当てた記事になっています。
「○○すれば○○なる」的な書き方をしていないところがよかったとおもいます。
丁寧に取材され、読みやすくまとめられています。
 ご一読をおすすめ。
 
 ひとつ感じたこと。
「中高年女性問題を取り上げることで、社会と時代がみえるんだなぁ」と。
 戦後民主主義・女性の高学歴化・社会進出(取り残された無念さも含めてですが)といったことが複雑に絡み合った「団塊女性の鬱クライシス」。そのことと表裏の関係として、少子化問題、つまり出産年齢期にある「女性側の言い分」も見え隠れしているかも……。

 更年期といわず「鬱クライシス」といったところに、記者からの女性へのメッセージが最大限こめられているのでは。

 因みに「クライシス・crisis」①危機<明治>の語源は、←ラテン<ギリシャcrisis(危機)⇒crinein(分ける・選ぶ)⇒ラテンcernere[ケルネレ(「ふるい分ける、区別する、識別する」を意味するラテン語の動詞。]
 訳語=頂上。病の善悪の判れる候。とある。
   注:①ギリシャ文字を見つける時間がありませんでした。ごめんなさい。
     ②とりあえずいちばん簡単な角川「外来語の語源」を引いてみました。

「病の善悪の判れる候」というのは、実に味がある、と思いません。
「人生いつも綱渡り」
 どっちにも落ちないって結構難しい。
 でも、落ちてしまう快感も時にはありかな!?(なんちゃって)

 今日は、これから関西大学に出かけます。
 明日のブログは、ちょっとお休みするかもしれませんが……。
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ソニーよ 再び!

2005年10月08日 08時46分30秒 | Weblog
『ソニーが背負う 夢と社会的使命』ー小学生が、血が飛び散る「バイオハザード」に熱中するプレステを発売始めたころから、ファンが離れ始めた。ー
 今朝の日経新聞プラス1:「山根一眞・デジタルスパイス」の記事に同感である。
 ソニーがプレステーションというゲーム機を低廉価で発売したころから、ソニーに異変が起こり、それまでの大人のファンが離れ始めた。
 おっしゃるとおり。
 
 思えば、私のソニーイメージも、そこには夢があった。その夢が壊されて
「何もソニー製品でなくたって、ナショナルでいい(最近ではパナソニックというらしい)」
 (松下電器には申し訳ないが),、何時ころからか、そういう価値観に変わっていった。
 この記事を読んで
「なるほど、納得。プレステーションからなのか」
 この記事、「ソニーが背負う 夢と社会的使命」という指摘、なかなかに卓見である。
 
 ところで、“バング アンド オルフセン”という北欧のメーカーがある。
 ラジオつくりのメーカーとして出発したらしい。
 音に対する感性が抜群である。なにより音に対する哲学がある。その哲学をしっかり守って、オーディオ製品をつくり続けている。
 形のない哲学を伝えるために、株式会社にしているのだという。
 数年前、初めてその音を聞いた。
「この曲はなんですか」
「映画の“情熱と冷静の間”です。私が好きな曲なので、ついかけてしまうの」
 その売り場の女性が、嬉しそうに答えた。
 さっそく、翌日、映画を見に行ってしまった。
 そのときの「音への驚き」は、ソニーに最初に出会ったときの驚きに似ていた。
 それから、しばらくして
「いや、いい音でしょ」
 ある日、友人が、ヘッドフォーンの音を自慢げに聞かせてくれたことがあった。
「ボクに手が出せるのは、このくらいですけれどね。オルフセンはね…フフフ…」
 曲は「海の上のピアニスト」だった。

 ついつい、回り道をしてしまった。
 一言。
「バイオハザードより、ソニーの夢よ 再び!」祈る。
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連日の雨

2005年10月07日 09時42分51秒 | Weblog
 ブログをはじめて早2ヶ月を迎える。
 結構、はまった。
 毎日キーボードを打つと、何かしら書くことが出てくるから不思議だ。
 推敲もしない。そのまま・ありのまま、とにかく書く。

 で、今日は、匂いの話。木材の匂いについて。

 このところ雨か曇りかという天候が続いた。
 今日はオフの日だし、お天気も「晴れ」とまでいかなくても「まぁまぁ」というところ。
 一斉に窓を開けて、思い切り掃除をした。
 
 そして、今、パソコンを打ち始めた。
 このパソコンやプリンター、そのほか文房具いれの引き出し、バインダーを集めた箱、等々をのせているのは、銀杏の板である。
 この板は、母が祖母からもらったもの。
 
 この板の来歴をちょっとご報告。
 戦争が始まるころ調布の町を歩いていた祖母が、長さ約1メーター60センチ×幅60センチ×厚み15センチくらいの板を、リヤカーに乗せて運んでいるおじさんに出会った。
「この板は何に使うのですか」
「肉屋の俎板よ」
「譲ってもらえません」
「いいよ」
 ということで、祖母は、いとも簡単に「銀杏の板」を手に入れた。
 因みに、銀杏の俎板は、刃こぼれし難いので、檜より好む人がいる。
 祖母はこの板の厚みを半分に切ってもらい、二枚の裁ち板を作って、母に一枚をくれたのだという。
 
 それを私がパソコン等々の台に使って10年近くがたった。
 足はかつて使っていた木製のスピーカーの台。これが高さ50センチ以上あって、なかなかしっかりしたつくりである。その上に板をのせ、下側に四角い卓袱台を入れ込んでキーボードの机にしている。(便利にできている新しいものを買わずに、あり合わせ、つまり、時代物ですませているきらいもあるのだが)

 で、問題は匂いなのだ。さすがに銀杏。雨の日が続き、閉め切りになると匂ってくる。「ギンナンの匂い」を想像していただきたい。60数年はたっている板なのに、いまだに匂う。

 ところで、木材もいろいろ。 
 檜の場合は香という。さっぱりとしていい匂いだ。
 花梨は甘い香がする。
 いちばん癖がないのは、欅だろうか。
 こうして、家の中の匂いを嗅いでみると、さまざまな木の香?がしている。
 銀杏の匂いも許してあげよう。
 雨もまたよし。家の中は林だ、と思えば……。
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週刊朝日

2005年10月06日 07時51分36秒 | Weblog
 「野口ヨガの逆立ち」について、このブログのコメントで、ご質問いただきました。
 手で立つ逆立ちもヨガの逆立ちも、原理は共通です。
 詳しくは、野口三千三先生の著書をはじめ、羽鳥の3冊の本のなかで語っておりますので、ぜひ、ご参照くださいませ。

 さて、9月末に取材を受けた「週刊朝日」に、近々、記事が載るそうです。
 早いところでは、今週末には店頭に並ぶこともあるとか。
 10日は体育の日で、祭日であることが影響して前倒しになるそうです。
 取材のテーマは「更年期」ということでした。
 
 カルチャーの皆様は、緊張することも・排除する姿勢も・かといって迎合することもなく、ごく自然に取材に応じてくださいました。
 慣れというよりは、野口体操の懐の深さとでも言いましょうか、
「来るものは拒まず、去るものは追わず」
 出入り自由な雰囲気です。
 
 これは野口先生の姿勢そのままで、自由な雰囲気の教室がよい意味で継承されていると思っています。

 それに加えてもうひとつ
「制服はつくらない」という先生のお考えも同じです。
「それぞれが自分に合った動きやすい服装でどうぞ」を、そのままに。
 私もその在り方が好きです。

 先生のいいところは、カリスマ性があった方には珍しく、主張はされても押し付けがましくないこと。
「言われたままを鵜呑みにするのではなく、咀嚼すること。いいと思えたら受容れて」
 そうした姿勢を、終生、貫かれておられました。
 
 何でも同じ色に染めたがる指導者が多いなかで、この姿勢は凄い! 
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サッカー

2005年10月05日 08時53分45秒 | Weblog
 先週末のこと。
 日本サッカー協会に「トップレフリー【主審】養成コースのカレッジがあることを知った。
『優秀な若手レフリーを短期間に集中的に指導し、技術・知識の習得、人間性の育成をめざし、30歳未満で将来、スペシャルレフリーとなりうるトップレフリー候補を養成する』
 とリーフレットに書かれている。このカレッジの名称は「JFAレフリーカッレッジ」。
 
 なんとそこからお声がかかったのだ。
 とてもワクワクしている。なぜだろう。新しさを感じているからに違いない。
 それよりも何よりも、実は、野口先生が亡くなって、最初の教え子の方から戴いた手紙に、そのワクワクのわけはある。
 
 昭和11年、野口先生は群馬県内の小学校に赴任した。
 そこで、高等小学校の生徒に、なんと「サッカー」を指導したのだという。
 昭和11年ですぞ! で、手紙には、当時はまったく省みられなかった「サッカー」を教えてくださった先きどりの気質に富んだ素晴らしい先生だったと書かれている。
「年も近かったし、先生というよりも「兄貴」という感じでした」とある。
 その教え子さんたちは、今は、おそらく80代を迎えている。
 当時、野口先生のお年は、21歳くらい。若かった。

 先生が生きていらっしゃったら、迷わずお引き受けになるに違いない。
「とにかく行ってきます。久しぶりだなぁ~、両肩に先生を背負うのも!」

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関西の拠点?

2005年10月04日 10時31分02秒 | Weblog
 秋の学期が一巡して、予定してあったすべてが開講した。
 新しいメンバーに野口体操をお伝えするということで、新学期はある種の緊張感がまたいいのである。
 男子学生が多いクラスは、はじめからアクティブな動きを取り上げられるところが魅力だ。
 野口体操が老若男女、職業も年齢も問わず、さまざまな人々にメッセージを届けられることが、日に日に証明されて、なかなかに嬉しい。

 今期は、どんな展開になるのか、苦労もあるが、楽しみである方を優先させたい。
 
 10月10日には、関西大学で野口体操の研究会(ワークショップ形式)が開かれる。大学の先生方や学生に混じって一般の方々も参加できる研究会に招かれて、今年で2回目ということで、一歩進めることができるかなぁ~、と思っている。
 やはり本だけではDVDだけではわからない動きを伝えることができるので、関西の拠点になればいいと思っている。
 
 新幹線に乗って京都まで、そこから高槻までサントリーのある山崎を通っていくのも旅の楽しみ! 鈍行ならもっといいかも……。
 
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まっさかさまの世界

2005年10月03日 09時32分21秒 | Weblog
 土曜日のクラスで、8月末から逆立ちの練習を始めた。
 実際に参加者全員を対象に、練習するのは、9月中旬になってからだった。
 10月にはいったばかりだから、それほど時間はたっていない。
 しかし、「野口ヨガ逆立ち」は、確実につかんでいく人が増えている。
 
 先週などは、野口先生時代から野口体操を続けている女性を中心に、数名の女性が極めて自然に「逆さかさま」の空間を味わってくれたようだった。

「立てた」と嬉しい声と同時に、表情が耀く様子は、見ていて楽しい。
 実は、そのときの顔はどの人もどの人も「美人」なのだ! ←これを言わずに何を言おうか。
 
 無理はいけない、立つべく時には「立つべくして立ってしまう」のが、野口体操の目指すところである。それが現実のこととして、私の目の前で起こっていた。
 
 逆立ちにとって大切なこと。
 ひとつは「骨盤」の回転がいかに滑らかにいくのか。
 包助者は、その回転を生み出す、きっかけを感じさせること。
 そして、回転が生まれるように、ちょっとだけお手伝いする。
 包助していた彼女のからだ全体の動きを見ていて、包助にとって大切な感覚が身についたことを確信した。逆立ちする人も、包助する人も、力ではない。繰り返すが、感覚」がいかに育つかが問題なのだ。
 つまり、「重さ」の方向を、直感的に感じ取る「感覚」が育つことに尽きる。

 兎にも角にも、「ローマは一日にしてならず」。日毎少しずつ「感覚を磨く」。
 いずれにしても「継続こそ力」そして、「感覚こそ力」。

 お願い:立ってしまった方へ。立ったときの感じをコメントしていただけませんか。
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秋の新学期・鞭の音

2005年10月02日 07時58分37秒 | Weblog
 一年に二回、春と秋に新学期を向かえる、と私は思っている。
 そう思えるのは、ひとつは大学の授業が、前期・後期、春学期・秋学期、とわかれていることが大きい。そして、カルチャーセンターも暑い夏を越えて、9月でひとつの区切りついて、改めて10月という感じがしているからに違いない。
 
 昨日、土曜日クラスは、何年ぶりかに「野口鞭」を鳴らしてみた。
 野口先生から戴いた鞭は、私のからだの大きいさに合わせてつくられている。
 しかし、レッスンの間も終わってからも、背丈の異なる何人かの方が、次々に鳴らすことに挑戦されていた。

 やってみるとわかるのだが、音を鳴らすのは、あんがい簡単ではない。
 時に力づくで、強引に鳴らしてしまう方もおられる。
 余分な力を使わずに、野口先生直伝の「鞭の軌跡」を通すやり方は、結構、難しい。
 とにかく「リズム感」である。これがつかめると難無く乾いたピシッとした音が響いてくれる。
 清涼感のある鞭の音は、打つ人の動きにかかっている。同じに音がしても、恐怖感を抱かせる音・気合が入りすぎて濁りがある音、等々、音にもいろいろな質感覚・クオリアがあるのだ。

 聴覚にプラスして視覚の面からも、鞭の先についている麻が、鳴るたびに切れて空中を舞う姿に、ある感興がそそられる。 
 はらはらと舞う麻の繊維は、鳴っている音と裏腹に、幽そけく儚く淡いものである。そのコントラストもまた鞭の魅力である。

 野口体操の原理を見せ・聞かせ・味わわせる鞭は、野口三千三独自の工夫によるひとつの作品であるといえるだろう。

 どこかで麻を見つけてこなくちゃ!
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では、先生は?

2005年10月01日 08時23分07秒 | Weblog
 昨日、ブログを書いてから、一日、気になっていたことがある。
 では、野口先生自身は、いったいどうだったのか。
 なんとなく、いや、かなりはっきり分かっているつもりだった。
「つもり」ではいけない。
 そこで、今朝、遺言のコピーを読み直してみた。
 野口先生が亡くなる二週間ほど前に語られたこと。
「東洋・西洋と分けるのは嫌い。もうちょっと無理のない自然の価値観で生きよう」
 
 世の中は、どちらかに立ち位置を決めたがる。
 そこで野口体操は、東洋的な体操だと位置づけられることが多い。
 しかし、この最後の言葉でも分かるように、野口先生を貫いていた考えは、単純な二分法的発想をやめようということだった。
 単純な二元論に終始することはやめようということだった。

 このことはすでに『原初生命体としての人間』第六章に、箇条書きされていることでもある。
 心と体・精神と肉体、観念と具体、そうした二項対立で物事を割り切っていくことによる危険性を、常にご自身に語りかけておられた。もしかすると、野口体操に分かりにくさを感じる方は、そのあたりが理解し難いからかもしれない。
 
 先生ご自身は、地球生命体として私(あなた)が自然に貞くこと、そこからかえってくる「自然直伝」という名言を残されていたなぁ。(感慨深げな私の朝…)
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