座席は、四人がけのボックスがいい。
列は、太平洋側がいい。
晩秋から冬にかけて、東海道在来線は、温室である。
快晴の日は、ウォームビズどころか、セーター一枚を脱ぎたくなる。
燦燦とそそぐ太陽光ほど、人をここちよい午睡に誘うものはない。
東京駅から乗り込んだ通勤の人の大半は、品川あたりでウトウトはじめ、横浜の手前で目覚める。時間にして30分弱。
秋学期が始まると、週に一回、熱海行きか小田原行きにのって、湘南へ向う。
車中、さまざまな人生に出会う。
男女とも仕事での移動の人は、新幹線などとは雰囲気が違う。乗り込んだとたんに緊張感が解かれるらしい。ほっとした表情を見せる。というより、これから「小田原までか」というような「あきらめ感」がある。「あくせくしてもはじまらない。車中くらいゆっくりしようよ」である。
元気なのは中高年の女性グループである。エキナカで買ったお弁当とお茶、持参したお菓子を楽しそうに食べている。そこだけに安泰な空間が出現するから面白い。
若い女性グループも、にぎやかである。だいたい恋愛問題が主題で、日常のこまごました不快な出来事をしゃべっているうちに、手元のスナック菓子はなくなっていく。
人目を忍ぶカップルもいる。そうした人は、不思議とボックスをさけて、ドアのそばにある二人がけに席を取っている。
葬式や法事に出かけるか、帰ってきたかの家族や親戚の連れ立ち。
独りぶらりと旅に出る人。
そんなこんなの車内を眺めていると、大船観音が白い上半身を小さな杜から覗かせてくれる。観音様が、その日の授業内容を、もう一度確認する時間の目安だ。
なぜか私は東海道線が好きだ。
新宿湘南ラインの方が、近いはずなのに、東京駅まで足を伸ばす。
理由はよくわからない。
とくにこうして出かけ、仕事をすませての帰りは、東京駅がいい。
なぜって、品川を過ぎ、新橋を過ぎると、列車が減速をする。
この減速の仕方が、他の駅に侵入して停車する減速とは、まったく質感が異なる。
「無事に、帰ってきた」
思いが静かにからだのなかを巡る。
周りの風景が、ゆっくりと動き、ビルが迫ってくる。
その迫り方が好きなのだ。
車内に漂う、共通の安堵感。そこからそれぞれの電車に乗り継いでいくのだが、ここでは言い合わせたように「ほっと」皆が肩を降ろすのである。気を抜くのである。
東京駅は、終着駅なのだ。
列は、太平洋側がいい。
晩秋から冬にかけて、東海道在来線は、温室である。
快晴の日は、ウォームビズどころか、セーター一枚を脱ぎたくなる。
燦燦とそそぐ太陽光ほど、人をここちよい午睡に誘うものはない。
東京駅から乗り込んだ通勤の人の大半は、品川あたりでウトウトはじめ、横浜の手前で目覚める。時間にして30分弱。
秋学期が始まると、週に一回、熱海行きか小田原行きにのって、湘南へ向う。
車中、さまざまな人生に出会う。
男女とも仕事での移動の人は、新幹線などとは雰囲気が違う。乗り込んだとたんに緊張感が解かれるらしい。ほっとした表情を見せる。というより、これから「小田原までか」というような「あきらめ感」がある。「あくせくしてもはじまらない。車中くらいゆっくりしようよ」である。
元気なのは中高年の女性グループである。エキナカで買ったお弁当とお茶、持参したお菓子を楽しそうに食べている。そこだけに安泰な空間が出現するから面白い。
若い女性グループも、にぎやかである。だいたい恋愛問題が主題で、日常のこまごました不快な出来事をしゃべっているうちに、手元のスナック菓子はなくなっていく。
人目を忍ぶカップルもいる。そうした人は、不思議とボックスをさけて、ドアのそばにある二人がけに席を取っている。
葬式や法事に出かけるか、帰ってきたかの家族や親戚の連れ立ち。
独りぶらりと旅に出る人。
そんなこんなの車内を眺めていると、大船観音が白い上半身を小さな杜から覗かせてくれる。観音様が、その日の授業内容を、もう一度確認する時間の目安だ。
なぜか私は東海道線が好きだ。
新宿湘南ラインの方が、近いはずなのに、東京駅まで足を伸ばす。
理由はよくわからない。
とくにこうして出かけ、仕事をすませての帰りは、東京駅がいい。
なぜって、品川を過ぎ、新橋を過ぎると、列車が減速をする。
この減速の仕方が、他の駅に侵入して停車する減速とは、まったく質感が異なる。
「無事に、帰ってきた」
思いが静かにからだのなかを巡る。
周りの風景が、ゆっくりと動き、ビルが迫ってくる。
その迫り方が好きなのだ。
車内に漂う、共通の安堵感。そこからそれぞれの電車に乗り継いでいくのだが、ここでは言い合わせたように「ほっと」皆が肩を降ろすのである。気を抜くのである。
東京駅は、終着駅なのだ。