羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

午後の研修会

2005年10月16日 08時01分34秒 | Weblog
 午後は、呼吸法から話し始めた。
 午前の最後に「動きと呼吸」について質問され、それに答える約束をして終えていたからである。
 
 野口先生の呼吸の研究は、昭和30年代半ばに集中的な行われた。
 その成果は『原初生命体としての人間』の初版に、丁寧に書き込まれている。
 それをもとに、その後先生の中で熟成した「呼吸」について、実技を交えて話をするのは、私としては楽しい。
 なぜか? それは、あの難しい『原初生命体としての人間』を読み始めて、最初に実践をしてみたのが第三章「生き方と息方」からだった。
 それから30年、とくに「姿勢」と「呼吸」と「動き」、三位一体の関係について語るのは、先生から教えられたことにプラスして、私自身が野口体操をおこなううちに実感として得たこともプラスできるからだ。

 後半の後半は、「制御」としての筋肉の働き方に絞って、実際の動きと理論を結びつけて展開した。
 
 なんといっても五木寛之氏の「車」の話は、例として皆さんに伝わりやすい。
 野口先生の言う「非意識の自動制御能」としての筋肉の在り方は、いろいろな角度からもっと検討されていい問題だと思っている。

 それにしても一人の人間が20代から60代そして70代へ、さらに最晩年に向けての道筋のなかで「変わるもの」と「変わらないもの」があって、それを丁寧にみないことには「本質」といえること「真実」といえることは、つかめないということを、最近頓に実感している。
 そういった点では、三島由紀夫が45歳で命を自ら絶ったことは、非常に残念である。しかし、それもまた社会への問いかけとして、命を懸けた意味は深いだけに、一概にたった一つの基準で、ものを見たり考えたりすることは危険だと思っている。
 横道だが、以前、読んだ雑誌に、人の名前には若い名前・老けた名前があって、三島由紀夫という名前は、それ自体が「若い」といった人がいた。それにくらべて遠藤周作という名前は、若いときから年寄りじみている名前だと。冗談めかしたショートショートの話題だったのだが、なんとなく言い当てているような。

 さて、関西大学での研修会でも気付いたことだし、昨日15日の朝日カルチャー土曜クラスのレッスンでもさらに進めることができたことがある。
 野口先生が長い間おこなってきた「上体のぶらさげ」の方法は、晩年に変化した「上体のぶらさげ」とは、違った意味で「基礎」であり「基本」であることを確信したことだ。「骨盤」と「股関節」のことだけを取り出しても、この「上体のぶら下げ」はすごい動きなのだと。
 やり続けながらの時間がもつ意味合いがますます深くなる。

 ところで関大に集まった先生方は、大学で体育を教えておられる方を中心に、いずれの方も体育を専門としておられた。だから女性も「腕立て伏せ」は3・40回やっても「平気なのよ」といえそうに鍛えていらっしゃったのだ。
 さすが、さすがである。

 野口体操は、これからだ!
コメント
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