一年に二回、春と秋に新学期を向かえる、と私は思っている。
そう思えるのは、ひとつは大学の授業が、前期・後期、春学期・秋学期、とわかれていることが大きい。そして、カルチャーセンターも暑い夏を越えて、9月でひとつの区切りついて、改めて10月という感じがしているからに違いない。
昨日、土曜日クラスは、何年ぶりかに「野口鞭」を鳴らしてみた。
野口先生から戴いた鞭は、私のからだの大きいさに合わせてつくられている。
しかし、レッスンの間も終わってからも、背丈の異なる何人かの方が、次々に鳴らすことに挑戦されていた。
やってみるとわかるのだが、音を鳴らすのは、あんがい簡単ではない。
時に力づくで、強引に鳴らしてしまう方もおられる。
余分な力を使わずに、野口先生直伝の「鞭の軌跡」を通すやり方は、結構、難しい。
とにかく「リズム感」である。これがつかめると難無く乾いたピシッとした音が響いてくれる。
清涼感のある鞭の音は、打つ人の動きにかかっている。同じに音がしても、恐怖感を抱かせる音・気合が入りすぎて濁りがある音、等々、音にもいろいろな質感覚・クオリアがあるのだ。
聴覚にプラスして視覚の面からも、鞭の先についている麻が、鳴るたびに切れて空中を舞う姿に、ある感興がそそられる。
はらはらと舞う麻の繊維は、鳴っている音と裏腹に、幽そけく儚く淡いものである。そのコントラストもまた鞭の魅力である。
野口体操の原理を見せ・聞かせ・味わわせる鞭は、野口三千三独自の工夫によるひとつの作品であるといえるだろう。
どこかで麻を見つけてこなくちゃ!
そう思えるのは、ひとつは大学の授業が、前期・後期、春学期・秋学期、とわかれていることが大きい。そして、カルチャーセンターも暑い夏を越えて、9月でひとつの区切りついて、改めて10月という感じがしているからに違いない。
昨日、土曜日クラスは、何年ぶりかに「野口鞭」を鳴らしてみた。
野口先生から戴いた鞭は、私のからだの大きいさに合わせてつくられている。
しかし、レッスンの間も終わってからも、背丈の異なる何人かの方が、次々に鳴らすことに挑戦されていた。
やってみるとわかるのだが、音を鳴らすのは、あんがい簡単ではない。
時に力づくで、強引に鳴らしてしまう方もおられる。
余分な力を使わずに、野口先生直伝の「鞭の軌跡」を通すやり方は、結構、難しい。
とにかく「リズム感」である。これがつかめると難無く乾いたピシッとした音が響いてくれる。
清涼感のある鞭の音は、打つ人の動きにかかっている。同じに音がしても、恐怖感を抱かせる音・気合が入りすぎて濁りがある音、等々、音にもいろいろな質感覚・クオリアがあるのだ。
聴覚にプラスして視覚の面からも、鞭の先についている麻が、鳴るたびに切れて空中を舞う姿に、ある感興がそそられる。
はらはらと舞う麻の繊維は、鳴っている音と裏腹に、幽そけく儚く淡いものである。そのコントラストもまた鞭の魅力である。
野口体操の原理を見せ・聞かせ・味わわせる鞭は、野口三千三独自の工夫によるひとつの作品であるといえるだろう。
どこかで麻を見つけてこなくちゃ!