羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

結納

2005年10月11日 08時33分08秒 | Weblog
 京都から高槻まで、快速電車で15分である。
 播州赤穂行きの車内は、連休を利用した旅行客が多かった。
 東京を発つときは、どんよりとした雲の間から、パラパラと落ちるものがあった。
 京都は晴れ間がのぞいていた。
 昨年も一日違いに関西大学に来たのだか、今年の方が秋らしい気温だ。
 そんなことを感じながら揺られている。
 すると視線が、客席に座っている男性の手元にひきつけられた。
 初老の男性は、かなり大きな文字で印刷されている冊子をゆっくりと読んでいる様子だ。
 芭蕉の句らしい。門外漢の私にもそれとわかる内容だ。
 どうやら、京都を中心として、いくつかの庵に滞在し、句会を開いている話で構成されているらしい。

「書き取っておけばよかった」と、今、おもっている。
 
 秋の月見の句会。
 芭蕉は、前日から体調をひどく崩して、句会には出られなかった様子が文面から伺える。
 無理やりにつくった句も、芭蕉らしからぬ作だと解説がなされている。
 
 この冊子は、マニアックなサークルのメンバー向けのものらしい。
「やっぱり、京都に来たのだ」
 日曜日でもあり、古都を巡る人々の表情は、JRの電車とはいえ、雰囲気がまるで違う。ある種の気だるさと日常を離れた開放感とが複雑に入り混じった空気が漂っている。
「夕方のせいもある」と、一人の旅人になったちょっとした気分を味わう。

「明日の講習会がなければなぁ~。播州赤穂まで、乗っていくのも一興」
 などと思っているうちに、高槻駅に到着してしまった。

 約束の時間には30分ある。といってどこかに行くには短かすぎる。
 ふと見ると、駅前のデパートに気付いた。
「東京とどう違うのか」と思いつつ、足を踏み入れてしまった。
 四階まで行く。
 その階は美術工芸品や家具売り場である。
 
 予想は当たった。古材を生かした調度家具があった。古い家の戸を小さくまとめて衝立にしたものや三角コーナーの飾り棚。
 なかでも心が動いたのは、小振りの杵にかなり重さのものまで測れそうな棒ばかりが斜めに差し込まれているオブジェ風の置物だ。
「鞭も持ってきたし、杵はハンマーだし、棒ばかりは天秤で、バランスの説明にはなるし…大きすぎる。残念無念! あきらめなきゃ、でも。。。。。。。」
 
 これ以上、見ない方がいいと、思いなおして、反対側の売り場に歩みを変えた。
 すると目に飛び込んだ鮮やかな色彩と造形に、足を止めたというより、目がとまると同時に、足が止められた。
 鶴に亀、翁像、俵やスルメ等、水引で作られたみごとな造形群。
「奥にもございます」
 その言葉に促されて、ついつい入り込んでしまった。
 そこは、ブライダル売り場だった。
 結納の目録とともに飾られるお目出度い納品である。
 赤・白・金銀・緑、よく見ると使われている水引の色は、思ったよりも単純である。しかし、色と形の多様さは、みごとなものだ。
「迷い込んでしまったなぁ、このまま今さっき来た道を引返して、京都に戻ってしまいたい」
 などと不遜な思いを断ち切って慌てて外にでた。

 夕暮れが迫っている。
 時計をみると、5時30分にあと3分。
 待ち合わせの時間だ。
コメント (3)
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