ひびレビ

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「機動新世紀ガンダムX」を観て

2013-12-20 00:00:01 | アニメ・ゲーム
「機動新世紀ガンダムX」を視聴しました。

とにもかくにも、ティファが可愛らしかったです。最初こそ口数が少なく、話す相手もガロードやジャミル、テクスぐらいのものでしたが、次第に人と触れ合うことに喜びを感じるようになり、最終的にはガロードへの思いを率直に口に出せるほどに。「私を見て」の可愛さは、第1話のティファからは想像出来ません。何故口紅を持っているかと問われて「秘密、です♪」と答えたり、自分から進んで仕事を手伝おうとしたり、段々とガロードへの思いが募り、頬を赤らめたりその他諸々・・・ただ、ティファ1人ではここまで変われなかったとも思いました。ガロードがいてくれたからこそ、ティファもここまで変わる事が出来たのでしょうね。

未来を予言したり、目的地を思い描くなど、不思議な能力をたびたび見せるティファ。時にはガロードが撃墜されたり、もう逢えなくなるかもしれないという、不吉な未来を見ることもありました。けれども主人公のガロード・ランは、彼女が見た不吉な未来を悉く打ち破り、望む未来を勝ち取っていきました。
ティファに不思議な力があるからではなく、ティファを1人の女の子として好きになったから、研究施設だろうと宇宙だろうと、どこまでも助けに行く。ガロードにはティファやジャミルのような力はありませんでしたし、時には力を求めることもありました。けれども、普通の人間としてあがき続けた結果、人工ニュータイプであるカリスを破り、ダブルエックスを奪取し、宇宙に単身乗り込んで、月の施設にまでたどり着くことが出来ました。

例え未来が見えたとしても、それを現実にしようとしなければ、その未来が手に入るわけではない。ティファの力を信じながらも、それでも超えてみたいと思い動いたガロードだからこそ、未来を変える事が出来たのでしょう。見えてしまった未来に悲観するのではなく、それを変えようと足掻く力強さ、人の思いの強さで未来を切り開けるのだということをガロードは見せてくれました。


また、ガンダムXは戦後世界における、ニュータイプを巡る物語だったと思います。

ニュータイプとは何か、ティファはニュータイプなのか、ニュータイプを道具扱いする新連邦軍、ニュータイプ主義を掲げる革命軍、そしてオールドタイプとニュータイプのいずれをも憎み世界を破壊しようとしたフロスト兄弟・・・1つの存在を巡り、地球と宇宙の戦いが再発するまでに発展しました。

特にシャギアとオルバのフロスト兄弟は、兄弟間で離れていても通じ合えるという能力の持ち主ではあったものの、フラッシュシステムに対応していなかったため、カテゴリーFの烙印を押されることに。ニュータイプ、オールドタイプのいずれをも憎んだ彼らは、世界を滅ぼしても尚余りある憎しみを抱いているとはティファの言葉。D.O.M.Eに触れようともせず、ただただ戦争を起こし、世界に自分たちの力を知らしめ、破壊の限りを尽くそうとした彼らもまた、ニュータイプという言葉の被害者でもあったのでしょう。そんな彼らにニュータイプは幻だったと言ったところで、逆効果でしょうね。自分たちを落ちこぼれに仕立て上げた原因でもある「ニュータイプ」という存在が幻だったと言われては・・・
もしも彼らの能力がニュータイプよりも先に認められていたら、ニュータイプと呼ばれる人間の中からフロスト兄弟のような存在が生まれ出たのかな・・・

戦後生まれだからこそ、かつての価値観に捕らわれず、自由な発想で世界を切り開いていくことが出来る。作中では民族問題で対立している国家もありましたが、対立の最中に産まれた子供たちは、そもそも何で自国と相手国が対立しているか分からないのではないでしょうか。「昔から対立していたから対立する」のではなく、戦後に産まれた子供たちのように、争いを一から見直す事の出来る視点というのも大切だと思います。

「過ちを繰り返すな」とはカトックさんの言葉。序盤こそサテライトキャノンを使う機会もありましたが、次第にここぞという時にしか使わなくなった印象があります。むしろ、その破壊力を知ってしまったからこそ、迂闊に引き金を引くことは出来ないのでしょう。ダブルエックスのツインサテライトキャノンは1発で島を跡形も無く破壊し、超長距離攻撃すらも可能にする恐ろしい兵器でした。力を持つからこそ、その力の危険さを知り、正しく使わなければならないのでしょう。
戦争を知らないガロードたちですら、同じ過ちを食い止めようとしていたのに、何故戦争を、過ちを知ったはずの大人たちが再び争いを始めるのか・・・


両軍のトップたちは常に争ってばかりでしたが、頼れる大人たちも大勢いました。「大切に思うのと、大切にするという事は似ているようで違う。こと女性に関してはな」など、タイトル以外にも心に残る言葉たちがありました。テクスがティファに荷物運びを任せたシーンは、後のグレンラガンにおけるニアを思い出しました。ニアも最初はお姫様ということで仕事は与えられていませんでしたが、自分から仕事をしたいと申し出たっけ・・・結果は気にするな!(汗。

ランスローの「今度の戦争に戦後はあるのだろうか」という言葉も印象深いです。第1話のナレーションでもありましたが、地球人口が激減し、環境も激変した時代を経て尚人は争いをやめず、奪う、殺す、支配するといった行動を続けていました。ある人物の中では戦争が終わっておらず、かつての作戦を再開しようとしたり、またある人物は再び戦争を再開しようとしている。戦争が終わっても個人の戦争は続く。けれどもそれも、戦後があるからこそ出来た話だと思います。現実にコロニーレーザーが照射されていた場合、地球には戦後が存在しなかったのかもしれません。

ジャミルはガロードを立ちなおさせるために敢えて厳しい手段を用いるなど、厳しい一面もありましたが、仲間のためにコクピット恐怖症を克服するなど、自らにも厳しく、常に仲間を思う、頼れる父親のような存在でした。そんな彼がルチルを救いに行く際、ガロードがGコンを手渡したのは粋な計らいだったと思います。
ルチルの話の際、ジャミルとルチルが映った写真には折り目がついていました。一度は折って懐にしまったけれども、忘れられずに広げ直して飾っていたのかなぁと思ったり。ルチルの話の後は、折ったまま飾られていたような。

ジャミル以外にもガンダムのパイロットであったロアビィ&ウィッツをはじめ、数多くの登場人物とガロードは触れ合ってきました。が、調べてみたら、ロアビィ18歳、ウィッツ17歳、サラが19歳で、フロスト兄弟19歳・・・若っ!?兄さん、あの風貌はどう見ても俺より年上にしか(略。
たった2歳差ではありますが、ウィッツは大勢の家族の長男でしたし、サラはジャミルの片腕として活動、ロアビィは惚れた女の子たちのアフターケアを欠かさない・・・といった具合に、誰もかれもが子供ではなく、大人として活動していたように思えます。たった2~4年の違いが、こうも大きく出てくるとは。ガロードもでしたが、人口が激減したこの時代、いつまでも親に甘えてはいられず、親がいない子供だっているわけですし、1人で生きていく強さを身につけていかなければならなかったのでしょうか。一見明るそうに見えても、それぞれがそれぞれの問題を抱えて生きている。抱えながらも前向きに生きる強さが彼らからは感じられました。

ガロードも最初のうちは「ガンダム売るよ!」や、仲間との共同生活に慣れなかったり、お礼が素直に言えなかったりもしました。けれども世界の動きに身を投じていく中で、少しずつ大人へと成長していったように思えます。ですが、大人になって世界を見渡すうちに、一番身近なティファへの気遣いをないがしろにしてしまっていました。まるで仕事が忙しくて家族サービスを忘れた親のように。
世界も見据えなくてはならないが、身近な存在も見守らなければならない。大人になるって、難しいことだと感じます。


戦闘シーンに関しては、カリスやニュータイプ候補者との戦い、レオパルドの捨て身の特攻などは面白かったのですが、「アシュタロンに捕まる⇒兄さんがトドメを刺そうとする⇒何かしらの理由で中断させられる」のパターンが多かった印象があります。背後からの捕縛の成功率は高いのに、その後がイマイチ決まらないフロスト兄弟でした。でもDXとの殴り合いはカッコ良かったです。
ガンダムに関しては、XとDXのカッコよさが素晴らしい!OPのDXがシルエットじゃなくなった時はゾクッときましたね。なので、思わずHGAWのガンダムDXを作成しましたw現在、フェニーチェと戦国アストレイも積んでいるのですが、一体いつ作ればいいのやら(苦笑。

戦後世界に生きつつも、戦前から続く思想と向き合い、思いの力で未来を変えていく。子供から大人になっていく過程が描かれた作品だったと思います。ありがとうございました!
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