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沖縄の基地を (再掲)

2015年04月12日 16時13分13秒 | 国を憂う
友人から紹介されたものの転記です。僕は賛同の意思表示をしました。
この記事を読まれた方の賛同をお願いします。


  著名な学者・文化人らが本日(4/1)添付の緊急声明を発表しました。
  ぜひこれを広めようではありませんか!  ご協力お願いします。

  ここにリンクされてる賛同フォームに飛んでいただき、署名してください。

  第1次〆切 2015年4月20日、第2次〆切 同年5月20日

     浅岡美恵(弁護士)
     淡路剛久(立教大学名誉教授)
     礒野弥生(東京経済大学教授)
     内橋克人(評論家)
     遠藤誠治(成蹊大学教授)
     大江健三郎(作家) 
     加茂利男(立命館大学教授)
     川瀬光義(京都府立大学教授)
     古関彰一(独協大学名誉教授)
     小森陽一(東京大学教授)
     斎藤純一(早稲田大学教授)
     高橋哲哉(東京大学教授)
     千葉 眞(国際基督教大学教授)
     寺西俊一(一橋大学特任教授)
     中野晃一(上智大学教授)
     西川 潤(早稲田大学名誉教授)
     西谷 修(立教大学教授)
     原科幸彦(東京工業大学名誉教授・千葉商大教授)
     前田哲男(評論家)
     間宮陽介(京都大学名誉教授)
     宮本憲一(大阪市大・滋賀大学名誉教授)
     和田春樹(東京大学名誉教授)
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庭の春

2015年04月09日 10時30分33秒 | つれづれなるままに
ここ2日3日冬に逆戻り。昨日はみぞれが降った。でも東京で4月に雪が降るのって珍しくないようで、5年前にも降ってるようだ。散りかけた桜も凍りついたんじゃないか。

でもうちの庭 着実に春の装いを増してます。

    垣根のレッドロビン 新葉で真っ赤。そろそろ切りそろえる作業かな。近所の方がかみさんに「ゆっくり切って。この赤い色を楽しみたいの」と告げたらしい。毎年僕がすぐ切るからな。で今年は伸び放題だ。

    ボケ 去年木全体を小さくしたので上品に咲いた。もう散ってる。

    サツキ 庭にたくさんあるが、これだけが花芽をしっかり見せてる。早熟なやつだ。

    ベニシダレ 新葉と花芽。 この時季が一番綺麗と思うんだが。

    藤の花芽 幹に蟻が巣を作って相当に傷んでるが、また花を咲かせる。嬉しいね。世代交代を進めてるが、若い方が花を付けるのは10年も先だろう。

    テッセン もう1m位伸びてる。専用のネットに間隔よくとり着くよう毎朝誘導してる。

    椿 これは終わっていく方。切り花にして1月から室内の数か所にこうやって飾り、なごんできた。最後の飾りじゃないか。
下に敷いてる布は会津で買ってきた公演記念品だ。

    ハナニラ これは増えるね。庭のあちこちに塊になって増えてる。雑草風だけど花はいいんじゃないか。  
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先生を見舞う

2015年04月08日 06時04分06秒 | オペラに挑戦
昨日オペラの先生を見舞った。
会津公演から無事帰ったこと、レンタカーを返納したこと、金が余ったことなどを月曜午前奥さんに報告した際、リハビリ専門の病院に転院したことを聞いた。それがうちの近所の病院だという。これは何かの縁だと思い、午後の用事が済んだ足で見舞った。

夕食前で奥さんとお母さんがいらっしてて、くつろいだ感じの所へひょっこり顔を出したものだから驚き、緊張感みたいな顔をされた。辛い感じの面会にはしたくないので場を和らげようと考えた。

先生自身は体の右半分に機能障害があるようで、歩くことができない状態。移動は車椅子を使ってる。しゃべるのもちょっと辛そう。僕の見立てですが、脳の中で言葉を見つけてくる機能がちょっと低下してるのかな、しゃべろうとしても言葉が出てこない感じがした。

話されたことから察するに、こんな病気を発症したことに大きい悔しさがあり、何かに当たりたい気持ちがあるようだった。これは当然だよな。でも発症後10日近くたち、「悔やんでも悩んでもしょうがない、前を向こう、がんばろう」と思うようにもなられてるようだ。この当たりは時間かかるよな。「来年は会津に行きましょうね」の励ましには「行きたい」とおしゃった。そういう気持ちがあれば激励のしがいもあるというもの。僕らにできることがあって、それを受けてくれるベースはありそうだ。

明るい話。この病院に移った当初状態の検査診断があった。検査項目に「声の長出し」というのがあったそうです。当然ですが医者が声の美しさと常人以上の長出しに驚き、奥さんも「実はオペラ歌手なんです」とばらさざるをえなかった。この件で先生院内の人気物になったようです。
もうひとつ。 夕食前に看護師さんが2人来て、「着換しますので」と退席を促された。患者を着換させるのに最初っから屈強な看護師さんが2人入ってこられたんです。あの巨体ですからね。院内でもうすっかり有名人みたいですよ。

歌手だとばれてるんだったら、「病室で歌教えて下さいよ。リハビリにもなるでしょう」「今なら僕の方が上手く歌えるかな。僕が教えますか」そんな冗談をかましてきました。やる気になる材料を提供していこう。

これからどれくらい時間かけて、どこまで回復するかはまだ解らない。並以上に頑張らせましょう。あの美声を聞きたいし、冗談多いレッスンをとりもどしてもらいたいものだ。
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会津公演 番外編2

2015年04月06日 17時36分09秒 | オペラに挑戦
1泊2日でこんなに書くことがあるなんて、いかに中味が濃かったかということです。
(書いてる今) 実はとっても眠いのです。日曜に帰って来て、今は月曜の夕方5時半。1日置いて疲れが出たみたい。歳の証明でしょうか。でも明日に回したくない。力入れてがんばろう。

公演の日は2次会のカラオケまで行って2時半就寝、朝6時起きの朝風呂まで番外編1で書いた。
番外編の2は日曜日をどう観光したかです。

病気で倒れた先生、本来なら自分が案内して、自らの凱旋に協力してくれた関係者を労うつもりだったろう。それが逆にとんでもない迷惑をかけることになってしまった。そうなった以上座間からできる手配はすべてやり、できないところはメモを作り、自分の分身に教え込んで、「こうしてやってくれ」と依頼するしかなかった。全部こなせないほど予定を作ったようだった。

総勢26,7名の団体さん、数か所に別れて宿泊してたのでまず9時頃に「鶴ケ城」の市営駐車場に集合でスタート。

「鶴ケ城」

           

天気は小雨。集合場所に来ないグループが出た。お1人様まだ部屋にて爆睡中でホテルから動けないとの連絡。「10時半には来て」で城内見学開始。ボランティアのガイドおじさんが近寄って来て「ガイドしますよ」とおっしゃるからお願いする。秀吉時代から明治維新までの300年程の間ほんとにいろいろあったお城なんですわ。断片的には知ってるものの、つながっては理解できてない。知識になってないことを理解した。生きてるうちに勉強したくなったら今回の知識に血肉をつけることとしよう。ひとつだけ 天守閣の下の石組みと城壁の石組みの表情が違う。秀吉時代と江戸時代の差なんですって。桜はまだしっかり堅い蕾。

        天守閣の最上階から撮った横の庭。奥の一見書院作り風の建物は「茶室 麟閣」です。右がその解説。

    これは城内にあったケヤキの大木。この大きさのケヤキは初めて見た。幹の直径は3mあるんじゃないか。樹齢はわからず。迫力あったな。

「末廣酒造」

      会津は日本酒所。僕もここに注目してた。それというのも数週間前上の娘がこの地に「蔵ツアー」にきて試飲ざんまいをやり、1本お土産をくれた。これが美味かった。今回ぜひ1升瓶で1本買おうと決めてた。先生の作った観光メニュにも酒造がしっかり入っていてこの末廣さんに案内された。11時から工場見学をさせていただき、いろいろお勉強させていただいた後、試飲して購入。僕は運転があるので多くを試飲できなかったかれど、舌の上に置く程度で3種試飲した。高いのは美味いんだけど綺麗すぎる。もう少しあらっぽさが欲しいなんて理屈をつけておてごろ料金の1本を購入。「伝承 山廃純米 末廣」の1升瓶。ゆっくり味わいたいが、飲みだすと1週間程でなくなってしまうのが常。
左の写真は酒造の入口にあるとてつもなくりっぱな神棚。酒作りに込めた精神を感じるね。

「渋川問屋」

 もうお昼です。先生は「ぜひ渋川問屋というお店で昼を摂って」と指示されてたようだ。でも26人にもなると入りきらん。なんとなくバラバラになり僕はこの店班12名の中を譲らなかった。

        
    

北前船が活躍してた時代、新潟で降ろされた海産物を会津に移送し、一手に売りさばいた渋川家のお店の跡らしいです。格式を感じるお店。先生が味わってと考えた理由が解る。この内陸の盆地で出される料理が鰊、鱈がメイン、豚肉じゃないとこが海鮮問屋ベースを思う。写真左から 外観、中庭、客室の入口、客室、下がトイレの入口。トイレ入り口の床板の輝きがこの店の品格を感じさせたね。凄い。会津は終戦間際空襲を受けてないんだろうね。
いいものが残ってました。この先も残して欲しい文化財ですね。    下は頂いた料理。

       
                     
上品で僕に似合ったお食事だったと思います。  そうか?

「飯盛山と饅頭」

昼食を探して街に散らばったみんなも2時には駐車場に集合。そして次の観光地へ。
会津に来てここに寄らなかったら殴られるみたいな場所 白虎隊が自決した飯盛山です。山に登ったり、白虎隊ゆかりの記念館を見たりということは全く考えず、登り口にある饅頭屋さんに行く。そこも先生お薦めのスポット。なんてことはない、自分が書いた色紙が飾ってあったんです。これを見せるためにこの場所薦めたのか?です。今見るこの色紙、「ロドルフォ 古川」って書いたんだ。今回の公演準備で訪れた際に書いた物で生々しい。主役で舞台に立つ日を思い書いたんだな。

    

僕は買わなかったのでお店の名前も忘れましたが、知る人ぞ知る有名店だそうです。少ないんだけどそこに色紙かざれるんだからそれなりの有名人なんでしょうね。それともこれから名前売るぞの意思表示だったのかもな。

「帰路」

ここでもう3時を過ぎた。メモには野口英世記念館、藩校「日新館」があったようだが、ここで解散することになった。

帰りは各車バラバラ。誰がどこ走ってるのやら。僕たちは都心の渋滞を嫌い、ギャンブルだけど圏央道を選んだ。東北道と圏央道はつがってない。10km程一般道を走るのだが、ここさえうまく切り抜けられれば後は真っすぐ座間の横まで帰れる。一般道の混雑と道に迷わないかだけが心配。幸いナビがある。迷うことはないだろう。ここで初めて同乗の女性に運転を代わってもらった。僕の体力を心配してくれるてるので遠慮することもないだろう。
一般道はナビのおかげで真っ暗な中迷わず走れた。普段僕はナビを使ってない。でもこんな場合はあるのとないのでは月とすっぽんだね。混雑もなく30分ほどで圏央道の入口へ。ここまでくればもう1時間かからずに座間に帰れる。これもまたいい道ですね。これから東北道使う場合はここを通っていくのが絶対便利。
8時過ぎに座間近辺に戻り、同乗者を1人づつご自宅までお送りし、最後に僕が家に着いたのは9時過ぎだった。当初想定より1時間以上早かったろう。
ともかく無事終えた。運転者の責任も果たせた。そしてなによりも会津公演を成功させられた。先生に顔向けできるし、貸しを作れた。これが大きいと思う。先生に強く言える貸しになるんだから。

関係者のみなさん ありがとうございました。とっても楽しい思いをさせていただきました。皆さんのおかげです。   またこんなツアーをやりたいね。
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会津公演 番外編1

2015年04月06日 14時18分18秒 | オペラに挑戦
公演終了から就寝まで。

公演が終わったのが8時。お客さんを御送りし終わったのが8時半。それから普段着になって舞台の撤収。こういうことも全部自分達でやるんです。皆で手分けしてやれば早いものです。とは言ってもワゴン車の後部いっぱいに積み込み完了したのが9時半。それからホテルへ。とりあえずチェックインし、荷物だけ部屋に放り込んで街へ。夕食だけで帰って寝る派と酒派に分かれる。今回参加したプロ、セミプロさんの中に会津出身の方が何人かいて、お店も予約してくれてた。
僕はお酒派に合流。ソリストさん、演出の先生、ピアノ伴奏者、指揮者、照明さん、小道具さん、それに合唱団5人 20人位で宴会。こういう業界の打ち上げ会に初めて参加した。当然だけど今日の公演の裏話が次々に出て来る。舞台ではソリストさん達がアウンの呼吸で歌いあうわけで、必ずどこかで「あそこお前まちがえたろう」みたいなことが起きてるようだ。今回も何か所かあったらしい。そのあたりをしめっぽくなく、攻めるわけでもなく、笑い話としてきかせてくれる彼等のキャラに感心だ。こんな話し方の中で刺激しあってるんだろうな。
詞が飛んでっちゃってイタリア語らしく「ウニャウニャ歌ってたよ」なんて平気で話す。そんなものなんだ。詞だけならいい、メロディーまで飛ばれるとまずい。そこを察した指揮者「ピアノ伴奏者からも『変ですよ、どうしますか?』の目線が来てたのよ。私もあせったけど、行け!」だったんだって。そんな小さい事故は常におきてるものらしい。そんなことも全て勉強材料だし、あとでの笑い話のネタみたいです。
コッリーネ役は僕の「ブラボー」が聞こえてたらしく、「ありがとうございました。掛けていただくと嬉しいんですよ。気分いいですからね。次回もサクラでよろしく」だって。
ロドルフォ役の高嶋君は代役を引き受けてからの苦難を思い返すように聞かせてくれた。「いい経験をさせてもらったんだから、これを機に2段も3段も上がらないと先生に失礼になるよな。」と柔らかく激励しておいた。こんな経験(突然巡ってくるかもしれないが)をしながら上手くなっていく世界と見た。
書き忘れてたようだ。今回の公演でソロをやられた主役級の方々 初対面ではないです。ノベッラ合唱団に参加するようになって立った舞台で何回かお目にかかってる、いっしょに舞台を作ってきた仲間です。高嶋君は蝶々さん、昨年夏のボエームではチョイ役で一緒しました。第九もいっしょだったな。ムゼッタをやった渡部さんは初めて。会津出身、在住の女性でした。
2時間があっというまの面白い宴会でした。面白い業界ですね。個性の塊みたいな方達ですからね。
12時にお開き、これで寝れるのかと思ったら、「カラオケいきましょう」とのお誘い。ここまで夜更かししたんだ、もうこの流れで行っちゃえ。それから1時間7人(ソリストさん3、合唱団4)でお部屋で歌いまくり。2曲歌いました。当然ですが昔よく歌ってた歌しか歌えません。喉使って、そこをアルコール消毒して、さらに全身の神経をちょっと麻痺させてるから調子のいいこ、調子のいいこと。絶好調でしたね。
オペラソリストさんが我を忘れてオペラじゃない歌を歌う迫力 これも凄いものがありますよ。音の高さが狂わないって言うのかな、「こぶしを回す」みたいな歌い方しないから独特。これもまたよし。
夜中2時半まで酒飲んで、歌ってたなんていつ以来だろう? 20年以上やってないだろうな。それだけ面白かったということです。ホテルに帰ったらそのままバタンキュウ。6時に目が覚めて朝風呂。もっと大きいお風呂だとよかったのに。

    (宴会、カラオケは写真なし。)
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ラ・ボエーム会津若松公演

2015年04月06日 10時34分48秒 | オペラに挑戦
    僕のオペラ趣味も2年半で地方公演に行くまでになった。

と言うほどに上達したわけじゃなく、偶然にもこんな機会がめぐってきて、面白そうで参加したのだ。
オペラを教わってる先生御夫妻は会津若松の出身。会津は昔から声楽が盛んな土地のようでその道に進む、進んだ人が大勢いるようだ。そんな土地だから先生もいつか自分が作ってる舞台を故郷で公演したいと考えていたようだ。想いが具体化してきた時点で我々合唱団にも参加してほしい依頼がきた。演目のボエームは2度、3度公演してるから不安はない。一方で歌仲間と一泊二日のドライブ旅行、宴会もあるぞでそっち目的の参加者が15,6人。僕もそのひとり。
ところが3月末に事件が起きた。故郷に凱旋するはずだった先生ご自身が病気で倒れ、参加できないことに。当然奥さまも参加できない。主役を務めるはずだった2人の突然の不参加。中止も考えたようだが、代役をお願いして公演を行うことに決まった。重い気分を関係者各位がもちながら、準備、練習を続けた。
もっとも緊張し、心臓が破れる思いをしたのは突然ロドルフォという大役がまわってきた高嶋君ではなかったか。まだ若いし、聞いてみるといろいろ経験はしてきてるが、こんな大役は初めてで、主役なんて初めて。公演の後で「苦しかった。なんでオレなんだよ。」と思い続けてたと話してた。そうだろうな。
裏ではそんな苦難があったわけで、そこにいろんな人間ドラマが生まれるのは当然。そのあたりを書きとめておきたい。

土曜日朝6時に駅集合。2台の車に男2人、女性10人が分乗、他にJRで向かう仲間もいた。僕はレンタカーの運転手。前日の夜車を借り出しに行って、朝5時半家を出た。集合は順調、みなさん大人だね、きちんとしてる。「成功させなくちゃ」の心情もあったろう。先生の奥さまも早朝というのに送りにきてくれた。「みなさんお願いします」が読みとれる。「成功させなくちゃ」をまた思う。
東名、中央環状、東北道、磐越道と通って会津若松へ。現地到着13時を厳命されてる。都心の渋滞が心配で心配で。用賀からは混んでたがイライラするほどではなかった。大橋から新しい中央環状に入る。驚いた。これが都心の首都高かと疑うほど通行量が少ない。快適に短時間で東北道に入れた。便利な道ができたね。
土日は天気もさほど良くない予報、それに東北道方面の桜はまだと判断されてるのだろう、東北道も混雑してない。110~120km/hで走れる。必着厳守は守れそうと余裕がでてきた。途中で都心を出発した別グループの車を発見。お互い無事を喜び、今日の幸運を感じる。

      磐越道に入る。猪苗代湖の北側はまだ晩冬といった風情。磐梯山は雪だし、パーキングの歩道の上は5m程の雪の山が残ってる。神奈川では桜が散るといってるのに。日本も広いものだ。SAで昼食を済ませ、開場に12時半に着いた。まずは一安心。

      
一服して1時半から最初で最後の現場練習。開場は一昔前地方の町によくあった小規模な舞台。すごくレトロ。そこがなんかいい。なつかしさを感じる。お客さんは300人しか入らない。舞台から放射状に座席が並び、後部に向かって少しづつ高くなってる。
今回の演出 2幕の最初の出は客席の後ろのドアからクリスマスイブの雑踏が入ってくる仕掛。客席が小さいからできる演出。でも歌い始めは舞台までたどり着けない。客席の通路で歌う事になりそう。歌いながら舞台への階段はきついかな。最後の練習だ、細かい点はもう無視。関係者一同がいいものにしようと努力する力を信じるしかない。
5時開場、5時半開演。始まった。お客さんは200名こえてるんじゃないかな。座席7,8割は埋まってる。1幕ラストの拍手も大きいぞ。そして2幕。驚かされる入り。お客さんの顔がほころんでた。がっちりつかんだのを感じた。いつものことだが、始まったらドッ~と進んで、あっというまに終わってしまう。
合唱団は3幕の頭3分ほどで出番終了。僕はそれから客席に行って、舞台を見ることにしてる。もう緊張がないから心地よく美声を堪能するわけだ。4幕でコッリーネが自分の古い外套を売って、ミミのために金を作ろうと歌うアリアが特に好き。これを聞くと「ブラボー」と声を掛けたくなる。今回のコッリーネ役はたおれた先生の後輩でまだ若い。先生への思いも込めて歌ってるだろう。それと会津の人に「オペラは静かに見るだけのものじゃなく、自分も中に入らなくちゃ。入って行けばいいんです。歌舞伎だってそうでしょう」を解ってもらいたくてより大きな声で「ブラボー」をやった。お客さんが僕を振り返ることはなかった。そこは気を使ってくれたかな。それより「かけ声の後は拍手でしょ」と思うのだがどうも拍手がわきそうな雰囲気じゃない。ここも僕からしかけようでちょっと小さい音で始めた。お客さんも拍手してくれた。ちょっとは解ってくれたかな。よかった、よかった。楽しんでもらいたい。楽しまなくっちゃ。
4幕終了前にカーテンコール、アンコールのため舞台袖に戻った。
ここでまた事件(僕にとっては)。 このオペラ 最後は死んだミミを思ってロドルフォが「ミミ、ミミ」と叫んで終わる。テノールの高い声が開場いっぱいに響いて最高潮に達するものと思ってる。ところがその声が聞こえない。耳をすます。かすかに聞こえる。泣いてるようにも聞こえる。演技じゃない。思った。「高嶋君やりとげられたことに感激してるんだな」。そうだよ。あたりまだな。そうでなくっちゃな。お客さんからみれば泣いて当然の場面で役者が本気で泣いてるんだからこれはグッとくるよな。こういう演出もありだ。美しいテノールの叫びだけがオペラじゃない。
幕が降り、袖に戻ってきたソリストさん達、みなさん涙を浮かべてた。倒れた先生への思い、責任を果たせた満足、まちがいなく成功させられたとの実感 そんなものが一機に関係者の中にひろがった。今これを書いててもグッとくるんです。
そしてカーテンコール。一番気持ちいい時間。ここで演出の橋本先生が、主役が倒れたことで役者が変更になったことをお詫びし、倒れた先生と自分の関係、先生の今、先生がこの公演にかけてた想いなどを声を詰まらせながら話した。これにもまたぐっときたね。関係者一同、お客さんまで感きわまってたんじゃないかな。目がしらにハンカチをあてるお客さんもいらっした。それから開場にいる全員で「ふるさと」を合唱。これも先生がぜひ実現したかったアンコールの演出。ここは福島、会津だもんな。成功したなを実感できた。
それからロビーでお客さんのお見送り。圧倒的に年輩の方が多い。そんなおじさんおばさんが「よかった。すばらしい。また来てね。」と言って頭を下げていかれる。「暖かいな。福島の人はこの4年間で優しくなったんだろうな」を思った。
そして「来年は先生御夫婦といっしょにまた来なくちゃいけないんだろうな」と思った。

古川先生 来年行きましょう。 先生が歌うに越したことはない。もしですよ、歌えなかったとしても総監督として舞台に立ちましょう。それを目標にがんばりましょうよ。
合唱団の僕等は先生を会津に連れて行く義務があるんじゃないだろうか。先生のために。そして会津の街のために。
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皆既月食だって

2015年04月03日 16時22分01秒 | つれづれなるままに
明日土曜日の夜皆既月食が見られるらしい。知らなかった。昨年の10月に長時間の月食があって、またかよです。頻繁に起きるからそんなに報道されないのかな。日食はなかなか起きないんで報道されるということもあるかな。しかも今回は皆既してる時間が12分間と短いらしい。夜9時をはさんで6分づつだって。

さて天気だが。僕会津で公演終わって、片付けしてるか、もう飲み屋にはいってるかの時間だ。予報では会津地方この時間晴天らしい。
公演終わってすっきりしたところで、美味い会津の酒を飲みながら見たいものだ。

これからレンタカーを借り出しに行く。朝出発が早いので今夜中に家にもってきておく。合唱団の女性を7人乗せて行く役だ。
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敦賀気比高校おめでとう

2015年04月01日 17時35分11秒 | つれづれなるままに
生まれ育った福井県代表が甲子園で優勝したのは初めてだ。おめでとう。そしてうれしい。
硬式野球部がある高校は30校ないんじゃないか。おそらく島根、鳥取と最少県を争ってるはず。そんな環境から日本一になる高校が出て来るとは想像できなかった。
他県から優秀な人材を集めてるだろうとは想像するが、優勝したらそれも一策くらいに思える。選手、監督、学校関係者がひたすら夢みてきた「日本一」をなしとげたんだから。

今日の決勝、8回表まで必死に耐えてた試合だった。よく守ってた。そして8回ランナー1人をおいて満塁男「松本」君が打席に入った時、「ホームラン打つんじゃないか」の予感があった。野球って「必死に守り、相手に行きそうな流れ、運を引きとめていると突然流れが変って、勝負が動くドラマ性あるスポーツ」だと思ってる。さらに「その瞬間に必ずラッキーボーイが関係してくる」のだ。そんな僕の思い、経験がそんな予感をさせたのだろう。その予感が当たった時は自分でも恐ろしかった。

次は追われる立場を乗り越えて春夏連覇に挑んでほしい。がんばれ 気比高野球部!!
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オーディオ系再構築

2015年04月01日 11時59分55秒 | つれづれなるままに
  

IPodの故障、MD生産中止に伴う我がオーディオ機器の再構築を始めた。
音源保存の大元はパソコンとし、既存のiTunesデータも活かしながら、この下で一括管理するとした。
新しいIPodを購入して、この中に複写を作り、いろんな生活場面(神奈川の家、白州の家、車の中)での音源にするとした。
車の中についてはカーステレオの更新も考慮したが、まだ騙して使える機械なのでここは簡便法で対応させた。つまりFMトランスミッターだ。音源データをFM電波に変えて飛ばし、車ラジオで受信する方法だ。
室内のステレオではIPodのイヤフォーンジャックからつなぐ専用コードを購入して対応だ。
これで小さいIPod一つでいろんな生活場面で音が聞けるのだ。

写真 左からFMトランスミッター、新IPod、IPodの音をステレオに入力する専用コード。 しめて18,000円弱でした。

FMトランスミッターという技術にはちょっと胡散臭いものを思った。できそうだけど、雑音が入ったり、音が飛んだりするんじゃないかと考えた。昨日購入してきて接続してみた。ところが音が出ない。その周波数の電波が飛んでるのは確認できる。ラジオ側で受信できる周波数を探させるとちゃんとその周波数で探索を止めてるから。
しかし、どうやっても音が出てこない。胡散臭い技術だから場所も関係するかで車を移動させたがそれでもだめ。最後に「これはIPodからの音情報をちゃんと受け付けてないな」と診断して、買った店に車ごと持って行って診てもらった。案の定「これ不良品みたいです」で交換してくれることに。
音が出たとたん驚きました。いい音、しっかりした音、まったく胡散臭さは無いものでした。たいした技術です。技術立国日本ですね。
しばらくは真技術に慣れる努力が必要ですな。
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