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新幹線に今のサラリーマン

2015年04月17日 23時44分58秒 | つれづれなるままに
葬儀からの帰り米原から新幹線で帰ってきた。
金曜日の夕方6時頃の東京方面に乗車したわけで、車内は出張帰りと思われるサラリーマンばかりという状態だった。
自分も昔こんなことしたなと思いながら観察してた。
まずひとつ。 まだ20代と思われる若いサラリーマン、顔がアルコールで紅く染まってた。スーツ着て、ネクタイして酒で顔を赤くしてるのはちょっと度を越してるのじゃないだろうか。新幹線で帰路についてるのはまだ仕事中でしょう。怪我すれば労災になるだろうから。顔に出ちゃうという損な体質かもしれないが、ちょっと減らすとか慎まないと。どうでしょうか。
もうひとつ。 車中でPC開いて仕事する人って多いんですね。僕の時代はPCがこんなにコンパクトじゃなかったから持ち運びにはまだ無理があった。だからやらなかっただけかもしれない。今20程若い現役だったらやってるんだろうな。
新幹線という高速鉄道の中、仕事移動のさなかだというのにPCに向かってる。どこか滑稽に見えませんか。そんなに急いでどこ行くの? 今のそんな仕事のやり方は自分の首をしめることになりませんか。仕事させたがる誰かさんの思う壺で、次は「寝る間も削ってやれ」と言われますよ。もう言われてるか。
リニア新幹線を作ると言う。リニアの中ではどんな光景が見られるのだろう。超高速車輌の中でPCに向かっておしゃべりしてたりして。お~怖わ。
「新幹線の中では」とか「何時から何時までは」とか条件つけて「PC不使用運動」を国が率先してやるべきじゃないんでしょうか。人がいなくなって、ロボット人間だらけになる。異様ですよ。
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従弟の葬儀

2015年04月17日 22時54分19秒 | つれづれなるままに
水曜朝に「亡くなった」の連絡を受け、そこから一機に葬儀モードだった。ちょうど水曜の夕方山梨での自治会総会を予定してた。それをキャンセルして神奈川に帰る。その頃木曜夕方通夜、金曜告別式との連絡を受ける。水曜は福井帰る準備、木曜午前福井に向け出発。夕方通夜、夜は式場で線香を絶やさぬ通夜。そして今日午前告別式、火葬まで済ませて帰ってきた。トータル63時間のあわただしく、疲れた葬儀モードも終わった。

母方の従弟達、その配偶者も入れて従弟会をつくってる。おばあちゃんが自分の子の家族の和をとっても大事にした人で、いつの間にか従弟会の集まりに発展してきた。今までは伯父さん伯母さんの葬儀において力を貸したり、香典供物を統一する決まりでやってきたが今回そのメンバーから他界者がでてしまった。初めてなので急遽メンバーの葬儀の香典、供物をどうするかをきめなくちゃならなくなった。それもどうにか決めることができて、今回からその決まりで納めることができた。

葬儀の運営も今回は我々従弟仲間でしきることになり、僕は受付を担当してきた。皆が親を送ってきた経験があるのでその辺は滞ることなくばっちり。従弟の子がデータ入力をやってくれたこともあって、出棺の時点では香典の整理もきれいに済んでた。頼もしい仲間達だ。最初のメンバー葬儀を従弟たちで無事にすませられたのはこの会にとっても大きな財産になったと思う。後から入ってきた配偶者さん達もこの会のよさ、力を見たんじゃないだろうか。
ますますみんなの協力関係が深まる事を期待してるのだ。

亡くなった従弟は3つ下だ。14年前に脳梗塞を発祥して半身が不自由になり、さらに血管のバイパス処置も受けた。奥さんの助けがないと生活ができない状態だったのだ。お坊さんが講和でこう言ってた。「体の不自由をかかえながらしっかり生きる姿を私達に見せてくれたのです」そうだったな。「かわいそうだ」と簡単に思い、口にしてたかもしれない。いかんいかん。

今頃世話になったおばあちゃん、おじさんおばさん達に会って、「僕が一番で来ました。」と報告してるのかな。やすらかであってくれ。残された奥さん今まで御苦労さまでした。ゆっくり休んで、ゆっくりこれからを考えてください。
彼女は東京から難しい因習がまだまだ強い福井に御嫁に行き、人間関係で苦労した。そこへ旦那の生活支援だったのだ。ゆっくりな。

歳下の従弟の葬儀は絶対嬉しいものではない。お疲れ様でした。
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