1泊2日でこんなに書くことがあるなんて、いかに中味が濃かったかということです。
(書いてる今) 実はとっても眠いのです。日曜に帰って来て、今は月曜の夕方5時半。1日置いて疲れが出たみたい。歳の証明でしょうか。でも明日に回したくない。力入れてがんばろう。
公演の日は2次会のカラオケまで行って2時半就寝、朝6時起きの朝風呂まで番外編1で書いた。
番外編の2は日曜日をどう観光したかです。
病気で倒れた先生、本来なら自分が案内して、自らの凱旋に協力してくれた関係者を労うつもりだったろう。それが逆にとんでもない迷惑をかけることになってしまった。そうなった以上座間からできる手配はすべてやり、できないところはメモを作り、自分の分身に教え込んで、「こうしてやってくれ」と依頼するしかなかった。全部こなせないほど予定を作ったようだった。
総勢26,7名の団体さん、数か所に別れて宿泊してたのでまず9時頃に「鶴ケ城」の市営駐車場に集合でスタート。
「鶴ケ城」

天気は小雨。集合場所に来ないグループが出た。お1人様まだ部屋にて爆睡中でホテルから動けないとの連絡。「10時半には来て」で城内見学開始。ボランティアのガイドおじさんが近寄って来て「ガイドしますよ」とおっしゃるからお願いする。秀吉時代から明治維新までの300年程の間ほんとにいろいろあったお城なんですわ。断片的には知ってるものの、つながっては理解できてない。知識になってないことを理解した。生きてるうちに勉強したくなったら今回の知識に血肉をつけることとしよう。ひとつだけ 天守閣の下の石組みと城壁の石組みの表情が違う。秀吉時代と江戸時代の差なんですって。桜はまだしっかり堅い蕾。
天守閣の最上階から撮った横の庭。奥の一見書院作り風の建物は「茶室 麟閣」です。右がその解説。
これは城内にあったケヤキの大木。この大きさのケヤキは初めて見た。幹の直径は3mあるんじゃないか。樹齢はわからず。迫力あったな。
「末廣酒造」
会津は日本酒所。僕もここに注目してた。それというのも数週間前上の娘がこの地に「蔵ツアー」にきて試飲ざんまいをやり、1本お土産をくれた。これが美味かった。今回ぜひ1升瓶で1本買おうと決めてた。先生の作った観光メニュにも酒造がしっかり入っていてこの末廣さんに案内された。11時から工場見学をさせていただき、いろいろお勉強させていただいた後、試飲して購入。僕は運転があるので多くを試飲できなかったかれど、舌の上に置く程度で3種試飲した。高いのは美味いんだけど綺麗すぎる。もう少しあらっぽさが欲しいなんて理屈をつけておてごろ料金の1本を購入。「伝承 山廃純米 末廣」の1升瓶。ゆっくり味わいたいが、飲みだすと1週間程でなくなってしまうのが常。
左の写真は酒造の入口にあるとてつもなくりっぱな神棚。酒作りに込めた精神を感じるね。
「渋川問屋」
もうお昼です。先生は「ぜひ渋川問屋というお店で昼を摂って」と指示されてたようだ。でも26人にもなると入りきらん。なんとなくバラバラになり僕はこの店班12名の中を譲らなかった。


北前船が活躍してた時代、新潟で降ろされた海産物を会津に移送し、一手に売りさばいた渋川家のお店の跡らしいです。格式を感じるお店。先生が味わってと考えた理由が解る。この内陸の盆地で出される料理が鰊、鱈がメイン、豚肉じゃないとこが海鮮問屋ベースを思う。写真左から 外観、中庭、客室の入口、客室、下がトイレの入口。トイレ入り口の床板の輝きがこの店の品格を感じさせたね。凄い。会津は終戦間際空襲を受けてないんだろうね。
いいものが残ってました。この先も残して欲しい文化財ですね。 下は頂いた料理。


上品で僕に似合ったお食事だったと思います。 そうか?
「飯盛山と饅頭」
昼食を探して街に散らばったみんなも2時には駐車場に集合。そして次の観光地へ。
会津に来てここに寄らなかったら殴られるみたいな場所 白虎隊が自決した飯盛山です。山に登ったり、白虎隊ゆかりの記念館を見たりということは全く考えず、登り口にある饅頭屋さんに行く。そこも先生お薦めのスポット。なんてことはない、自分が書いた色紙が飾ってあったんです。これを見せるためにこの場所薦めたのか?です。今見るこの色紙、「ロドルフォ 古川」って書いたんだ。今回の公演準備で訪れた際に書いた物で生々しい。主役で舞台に立つ日を思い書いたんだな。

僕は買わなかったのでお店の名前も忘れましたが、知る人ぞ知る有名店だそうです。少ないんだけどそこに色紙かざれるんだからそれなりの有名人なんでしょうね。それともこれから名前売るぞの意思表示だったのかもな。
「帰路」
ここでもう3時を過ぎた。メモには野口英世記念館、藩校「日新館」があったようだが、ここで解散することになった。
帰りは各車バラバラ。誰がどこ走ってるのやら。僕たちは都心の渋滞を嫌い、ギャンブルだけど圏央道を選んだ。東北道と圏央道はつがってない。10km程一般道を走るのだが、ここさえうまく切り抜けられれば後は真っすぐ座間の横まで帰れる。一般道の混雑と道に迷わないかだけが心配。幸いナビがある。迷うことはないだろう。ここで初めて同乗の女性に運転を代わってもらった。僕の体力を心配してくれるてるので遠慮することもないだろう。
一般道はナビのおかげで真っ暗な中迷わず走れた。普段僕はナビを使ってない。でもこんな場合はあるのとないのでは月とすっぽんだね。混雑もなく30分ほどで圏央道の入口へ。ここまでくればもう1時間かからずに座間に帰れる。これもまたいい道ですね。これから東北道使う場合はここを通っていくのが絶対便利。
8時過ぎに座間近辺に戻り、同乗者を1人づつご自宅までお送りし、最後に僕が家に着いたのは9時過ぎだった。当初想定より1時間以上早かったろう。
ともかく無事終えた。運転者の責任も果たせた。そしてなによりも会津公演を成功させられた。先生に顔向けできるし、貸しを作れた。これが大きいと思う。先生に強く言える貸しになるんだから。
関係者のみなさん ありがとうございました。とっても楽しい思いをさせていただきました。皆さんのおかげです。 またこんなツアーをやりたいね。
(書いてる今) 実はとっても眠いのです。日曜に帰って来て、今は月曜の夕方5時半。1日置いて疲れが出たみたい。歳の証明でしょうか。でも明日に回したくない。力入れてがんばろう。
公演の日は2次会のカラオケまで行って2時半就寝、朝6時起きの朝風呂まで番外編1で書いた。
番外編の2は日曜日をどう観光したかです。
病気で倒れた先生、本来なら自分が案内して、自らの凱旋に協力してくれた関係者を労うつもりだったろう。それが逆にとんでもない迷惑をかけることになってしまった。そうなった以上座間からできる手配はすべてやり、できないところはメモを作り、自分の分身に教え込んで、「こうしてやってくれ」と依頼するしかなかった。全部こなせないほど予定を作ったようだった。
総勢26,7名の団体さん、数か所に別れて宿泊してたのでまず9時頃に「鶴ケ城」の市営駐車場に集合でスタート。
「鶴ケ城」




天気は小雨。集合場所に来ないグループが出た。お1人様まだ部屋にて爆睡中でホテルから動けないとの連絡。「10時半には来て」で城内見学開始。ボランティアのガイドおじさんが近寄って来て「ガイドしますよ」とおっしゃるからお願いする。秀吉時代から明治維新までの300年程の間ほんとにいろいろあったお城なんですわ。断片的には知ってるものの、つながっては理解できてない。知識になってないことを理解した。生きてるうちに勉強したくなったら今回の知識に血肉をつけることとしよう。ひとつだけ 天守閣の下の石組みと城壁の石組みの表情が違う。秀吉時代と江戸時代の差なんですって。桜はまだしっかり堅い蕾。



「末廣酒造」


左の写真は酒造の入口にあるとてつもなくりっぱな神棚。酒作りに込めた精神を感じるね。
「渋川問屋」
もうお昼です。先生は「ぜひ渋川問屋というお店で昼を摂って」と指示されてたようだ。でも26人にもなると入りきらん。なんとなくバラバラになり僕はこの店班12名の中を譲らなかった。





北前船が活躍してた時代、新潟で降ろされた海産物を会津に移送し、一手に売りさばいた渋川家のお店の跡らしいです。格式を感じるお店。先生が味わってと考えた理由が解る。この内陸の盆地で出される料理が鰊、鱈がメイン、豚肉じゃないとこが海鮮問屋ベースを思う。写真左から 外観、中庭、客室の入口、客室、下がトイレの入口。トイレ入り口の床板の輝きがこの店の品格を感じさせたね。凄い。会津は終戦間際空襲を受けてないんだろうね。
いいものが残ってました。この先も残して欲しい文化財ですね。 下は頂いた料理。







上品で僕に似合ったお食事だったと思います。 そうか?
「飯盛山と饅頭」
昼食を探して街に散らばったみんなも2時には駐車場に集合。そして次の観光地へ。
会津に来てここに寄らなかったら殴られるみたいな場所 白虎隊が自決した飯盛山です。山に登ったり、白虎隊ゆかりの記念館を見たりということは全く考えず、登り口にある饅頭屋さんに行く。そこも先生お薦めのスポット。なんてことはない、自分が書いた色紙が飾ってあったんです。これを見せるためにこの場所薦めたのか?です。今見るこの色紙、「ロドルフォ 古川」って書いたんだ。今回の公演準備で訪れた際に書いた物で生々しい。主役で舞台に立つ日を思い書いたんだな。


僕は買わなかったのでお店の名前も忘れましたが、知る人ぞ知る有名店だそうです。少ないんだけどそこに色紙かざれるんだからそれなりの有名人なんでしょうね。それともこれから名前売るぞの意思表示だったのかもな。
「帰路」
ここでもう3時を過ぎた。メモには野口英世記念館、藩校「日新館」があったようだが、ここで解散することになった。
帰りは各車バラバラ。誰がどこ走ってるのやら。僕たちは都心の渋滞を嫌い、ギャンブルだけど圏央道を選んだ。東北道と圏央道はつがってない。10km程一般道を走るのだが、ここさえうまく切り抜けられれば後は真っすぐ座間の横まで帰れる。一般道の混雑と道に迷わないかだけが心配。幸いナビがある。迷うことはないだろう。ここで初めて同乗の女性に運転を代わってもらった。僕の体力を心配してくれるてるので遠慮することもないだろう。
一般道はナビのおかげで真っ暗な中迷わず走れた。普段僕はナビを使ってない。でもこんな場合はあるのとないのでは月とすっぽんだね。混雑もなく30分ほどで圏央道の入口へ。ここまでくればもう1時間かからずに座間に帰れる。これもまたいい道ですね。これから東北道使う場合はここを通っていくのが絶対便利。
8時過ぎに座間近辺に戻り、同乗者を1人づつご自宅までお送りし、最後に僕が家に着いたのは9時過ぎだった。当初想定より1時間以上早かったろう。
ともかく無事終えた。運転者の責任も果たせた。そしてなによりも会津公演を成功させられた。先生に顔向けできるし、貸しを作れた。これが大きいと思う。先生に強く言える貸しになるんだから。
関係者のみなさん ありがとうございました。とっても楽しい思いをさせていただきました。皆さんのおかげです。 またこんなツアーをやりたいね。
こういうイベントがあると、数日間はぼんやりしてしまうでしょう。これは病み付きになるね。多分…
息子が寝てくれそうなので寝ます。おやすみ
僕もこれだけ書くのに疲れた。読み直すと変な文章もある。神経が半分飛んでたようだね。今日読み直して修正だな。どうにか疲れもとれだしたかな。
1泊2日でよくこれだけ遊んだものだ と感心するでしょう。若い芸術家に付き合うのは大変なことだとわかりましたよ。来年また と言われたら行くけどね。
今日午後は会館で同期会のはがき作りだ。こっちも協力しないとな。