昨日高校同期の忘年会をやった。 男12名、女2名の参加だった。 本格的に「よっしゃ 仲間集めるぞ」とふんばった招集じゃなく、日頃の「お集まり会」の延長線的な会。だから参加人数はこんなもんでいいんです。集まったのも日頃よく会ってる仲間。
そこで話題になったのが「女性をもっと参加させようよ」ということ。 僕達の同期は男380人女性70人 半男子校的な高校だったんです。だから9クラス中 7クラスは男ばかり、1クラスは女性だけ、残りの一つが半々の混合クラス。1、2年次はこのクラス分け、3年では理系文系で分けたので4つの理系クラスにそれぞれ2人の女性がいた。文系5クラスも混合でした。
ちなみに僕は1、2年は男子のみクラス、3年は理系で女性2人クラス だからこのお二人はよく覚えてます。逆にほかの女性はほとんど知らずじまい。クラブも男子系運動部だったので女性っ気全く無し。 共学校にいったはずだったが。
今書きたい「70を超えた同期会になぜ女性は参加したがらないか」ということにこんなクラス編成だったことが一番の原因とは考えてないんです。でもお互い知り合うチャンスが少なかったのは事実で、大きな要因ではあるのだろう。
僕が考える一番の原因は「70過ぎたおばあちゃん姿をわざわざ他人様に見せることもないわ」の心情があるんだと思うのです。「同期の男性達、高校の頃の 美人だったとは言わないけれど、まだまだピチピチしてた私を印象してるかも」と考えちゃうんじゃないかと思うのです。
どうなんでしょう、そんな思いがあるんでしょうか。 そして、そのハードルを超えてまで男の人と話しなきゃならんなんて億劫よ、何かいい話がある訳じゃないし となるんでしょうね。
そんなこと男は全く考えてないんだがな。だいたい、自分がすでに「醜い爺さん」になってることを自覚してるもの。「もうそんなこと関係ないよ」の境地に至ってるんじゃないかな。
そんなことはどうでもよくて、その先にある「楽しみ、喜び」「同期と話す和み」を素直に求めてるんじゃないかな。 僕はそんな風に考えるんです。
僕個人としてはこうも言える。僕高校の時ぎょうさんいる男の中の1人でしかなかったわけで、あの頃と今を比較されようがないという大きな安心感はあるな。
そこで昨日 高校同期のBLOGにこう書いた。
「遠慮しないで、恥ずかしがらないで、ありのままの自分で参加してくださいよ。
そういう貴女を待ってます。」
そこで話題になったのが「女性をもっと参加させようよ」ということ。 僕達の同期は男380人女性70人 半男子校的な高校だったんです。だから9クラス中 7クラスは男ばかり、1クラスは女性だけ、残りの一つが半々の混合クラス。1、2年次はこのクラス分け、3年では理系文系で分けたので4つの理系クラスにそれぞれ2人の女性がいた。文系5クラスも混合でした。
ちなみに僕は1、2年は男子のみクラス、3年は理系で女性2人クラス だからこのお二人はよく覚えてます。逆にほかの女性はほとんど知らずじまい。クラブも男子系運動部だったので女性っ気全く無し。 共学校にいったはずだったが。
今書きたい「70を超えた同期会になぜ女性は参加したがらないか」ということにこんなクラス編成だったことが一番の原因とは考えてないんです。でもお互い知り合うチャンスが少なかったのは事実で、大きな要因ではあるのだろう。
僕が考える一番の原因は「70過ぎたおばあちゃん姿をわざわざ他人様に見せることもないわ」の心情があるんだと思うのです。「同期の男性達、高校の頃の 美人だったとは言わないけれど、まだまだピチピチしてた私を印象してるかも」と考えちゃうんじゃないかと思うのです。
どうなんでしょう、そんな思いがあるんでしょうか。 そして、そのハードルを超えてまで男の人と話しなきゃならんなんて億劫よ、何かいい話がある訳じゃないし となるんでしょうね。
そんなこと男は全く考えてないんだがな。だいたい、自分がすでに「醜い爺さん」になってることを自覚してるもの。「もうそんなこと関係ないよ」の境地に至ってるんじゃないかな。
そんなことはどうでもよくて、その先にある「楽しみ、喜び」「同期と話す和み」を素直に求めてるんじゃないかな。 僕はそんな風に考えるんです。
僕個人としてはこうも言える。僕高校の時ぎょうさんいる男の中の1人でしかなかったわけで、あの頃と今を比較されようがないという大きな安心感はあるな。
そこで昨日 高校同期のBLOGにこう書いた。
「遠慮しないで、恥ずかしがらないで、ありのままの自分で参加してくださいよ。
そういう貴女を待ってます。」