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マイナカード問題を議論した

2023年06月22日 10時13分38秒 | 国を憂う
昨日会社時代の先輩、同期の3人で昼食べて、お茶して4時間近く喋ってきた。年に2,3回やってる懇親会で、取り留めも無い話をダラダラと語ってくる集まりです。
昨日は昨今のマイナカード問題が話題になり、少々反省もし、勉強したかも。
僕は現状を「ともかく、一旦停止して、出てきた問題点を整理し、解決策を講じた上で仕切り直しがいいんじゃないか。 保険証のカード化は実施時期を再検討するでいいだろう」と考えてます。心情的に「国のやることはどれもこれもまともじゃない」がベースにあるもので。
それに対して同期の友人は「イヤイヤ、このまま進めていいんじゃないか」と言うのです。その理由は 「いずれはそういう新しい世界に移行するんだから、少々の問題は走りながら修正していくでいいんじゃないか」、「表面化してる問題は単純な人的操作ミスがほとんど、量的にも万に一つ、十万に一つというオーダーだろう」、「実施されることでのコスト的なメリットは大きいはずだ」 と言うのです。
彼も僕もコンピュータを使って社内の業務効率化を進めてきた者同士、振り返ってみれば、そういうやり方(GOしてから、修正していく)で強引にシステム化してきた経験者です。「お前だってそういうやり方で進めてきただろう」という口ぶりで解説されると、「確かにな」と考えさせられました。 さらに、「メリットの大きさを考えてよ」という。これから「子供手当」等で個人に支援金を配ろうとしてる。そこを自動振り込みにできれば事務の効率化、コスト削減は少々のトラブルを帳消しにして、さらに十分な余りがあるだろう。  そして大きな視野で見た時、行政としての国民管理業務を個人番号をキーにして効率的に行う社会「デジタル社会」は否定されるものではないでしょう(僕もやらねばならん事と理解してる)。
だから友人が言うように (印象悪い言い方だが)ある程度は「強引」に進めて行くという部分があってもいいのかもな と考えたのです。
とした時、今何がたりないのか、どうすべきなのか なんですが。 要は「国の説明不足」ということに尽きるんじゃないでしょうか。中身の説明不足は昔から指摘されてる。「我々を信じて。決して悪いようにはしませんから」止まりですよね。これでは人心がはなれて行きます。 次に表面化してきたトラブルの説明だが、これも「そんなことはあんた等は知らんでよろしい」が強すぎます。余りにも軽率なトラブル故に恥ずかしいというのもあるんだろうけど、もっと素直でいいはず。今の社会人はみなさん「コンピュータシステムのトラブル」については経験者で、中身が想像できてるはずなんですよ。なのに敢えて隠すから信用がなくなるんです。
さらに「効果の説明不足」ですね。国民に「社会的効果」をもっと説明しないといけない。それも概念的なのはだめ。定量的な説明をしないと。「これだけの経費が、人手がカットされます」と金額換算でなければ。 近未来働き手が減っていき、「業務の効率化」は避けて通れないのは国民みんな薄々感じてるんです。 まさに「理路整然と、丁寧に説明しつくす」ことですよ。
きちんと解説しない、出来ないというのは 自分達にも「解消しきれてない不安」があるんじゃないだろうか。 そこはシステム設計者として逃げてはいけないし、そこがまさに「あんたの仕事」と言いたい。

ついでにですが、保険証のカード化は急がねばならない理由が解らない。急ぐ必要がないのなら延期してもいいのではと考えてます。実施環境があまりにもお粗末。おそらくこのままだと効果が消えるトラブル量になるのでは。
コメント (4)
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