コロナ禍にあって、行政(政治家)と科学者(専門家)の立ち位置について朝日新聞に寄稿されたお二人の意見を興味深く読んだ。 一人は前の原子力規制委員長 田中俊一氏、もう一人は千葉大名誉教授・行政学者の新藤宗幸氏。
田中氏は「会議の公開が絶対原則。だれがどういう意見を言ったか、それをどのように議論したか、どういう手続きで、結論づけたか、を全て公開することに神経を使った」と言われる。「そうすることが行政との距離を保つことにつながり、一方で国民に科学的な正しい知見を醸成していく力になると考えた」とおっしゃる。また「自分たちが出した結論はあくまでも科学的帰結であって、それを実社会でどう活用するかは行政の仕事」と線引きすることで自分たちの組織に行政の力が及ぶ事を阻止したともおっしゃる。
そう述べたうえで、今のコロナの専門家会議、分科会に対しては「情報の公開が少ない。透明性が低い。他の専門家がいろいろ言う余地を作っちゃう。うさんくさいイメージが残る。」等々 批判的に見てらっしゃるようだ。
僕も同意見だ。福島事故当時の規制委員会って「もっと強く行政にもの言えよ」と見てたけど、やりすぎることによって本来達成しなければいけない目標すら達成できず、あぶはち取らずになることを警戒された苦心が今更のように理解できる。
新藤氏は行政学者ということもあり、安倍行政の性格(注1)を批判的に見たうえで、まず「専門家よ利用されるな」と警告を発したうえで、「科学的(客観的)知見を主張していかないと、科学に対して『不信』が生ずる。そういう社会での施策の決定は情緒的、恣意的になり、しいては独善的な行政になっていくだろう」と主張される。
この見方にも共感する。
(注1) 審議会、諮問委員会を作り(構成員は自分の肝いりで)、結論ありきで議論させ、
広く意見を取り込んだように見せかけて結論を作っていく手法を駆使する傾向がある。
お二人 切り口は異なってるが、言いたいことは一緒だと思う。
専門家は
・ 行政と対等な位置。取り込まれてはいけない。
・ 科学的知見をまとめることに専念し、その討議過程を全て公開する。
・ 国民の理解が進むように解説する。
・ 行政的施策については語らない。
こういうことなんだろう。今の分科会 やはり安倍さんに取り込まれてるんだろうな。
田中氏は「会議の公開が絶対原則。だれがどういう意見を言ったか、それをどのように議論したか、どういう手続きで、結論づけたか、を全て公開することに神経を使った」と言われる。「そうすることが行政との距離を保つことにつながり、一方で国民に科学的な正しい知見を醸成していく力になると考えた」とおっしゃる。また「自分たちが出した結論はあくまでも科学的帰結であって、それを実社会でどう活用するかは行政の仕事」と線引きすることで自分たちの組織に行政の力が及ぶ事を阻止したともおっしゃる。
そう述べたうえで、今のコロナの専門家会議、分科会に対しては「情報の公開が少ない。透明性が低い。他の専門家がいろいろ言う余地を作っちゃう。うさんくさいイメージが残る。」等々 批判的に見てらっしゃるようだ。
僕も同意見だ。福島事故当時の規制委員会って「もっと強く行政にもの言えよ」と見てたけど、やりすぎることによって本来達成しなければいけない目標すら達成できず、あぶはち取らずになることを警戒された苦心が今更のように理解できる。
新藤氏は行政学者ということもあり、安倍行政の性格(注1)を批判的に見たうえで、まず「専門家よ利用されるな」と警告を発したうえで、「科学的(客観的)知見を主張していかないと、科学に対して『不信』が生ずる。そういう社会での施策の決定は情緒的、恣意的になり、しいては独善的な行政になっていくだろう」と主張される。
この見方にも共感する。
(注1) 審議会、諮問委員会を作り(構成員は自分の肝いりで)、結論ありきで議論させ、
広く意見を取り込んだように見せかけて結論を作っていく手法を駆使する傾向がある。
お二人 切り口は異なってるが、言いたいことは一緒だと思う。
専門家は
・ 行政と対等な位置。取り込まれてはいけない。
・ 科学的知見をまとめることに専念し、その討議過程を全て公開する。
・ 国民の理解が進むように解説する。
・ 行政的施策については語らない。
こういうことなんだろう。今の分科会 やはり安倍さんに取り込まれてるんだろうな。