カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

計算違いの夜

2008-12-11 | 雑記

 風邪をひいて具合が悪いのは当然だが、いつまでも具合が悪いでは済まないのが浮世のつらいところだと思っていた。まあ、多少は無理もしないと務まらないという感じはあるようだ。年末でもあるし、もちろんやることだってある。
 そうやってちょっときついなとは感じながらも、片付けるべきは片づけておくという律義さは、少なくとも持ち合わせているつもりではあったのではある。
 そういう訳で、少し先延ばしにさせてもらっていた忘年会のようなものに参加する。風邪で髭も剃れないので、風貌もそれなりにワイルドになっている。話のついでに風邪の話になると、まあ、大変ですねということにはなる。実は昨日までは熱があって寝てました、ということになると、少し相手の顔色が変わる。どの程度の熱なのか、ということらしい。素直に9度近くなってまいりました、というと、やはりインフルエンザではないか、と声が出る。むつかしいものだな、と思うのだ。
まあ確かにうつすのはよくないことだとは思うけれど、このような空気の中では、たぶん熱のことは隠す人も出てくることだろうなとは思う。結果的にそのことがどうなのかと、いうことにもなるのではないか。風邪気味の人は出歩かないというモラルは理解するにせよ、これを先に利用するのは、おそらくそういう根拠を必要とする人であろう。
 まあしかし、相手方はあんまり酒は得意でないというので油断した。僕としても病み上がりだし、適度で失礼する算段もあって風邪を持ち出したのだったのだが、酔うとそこのあたりの計算は狂うことになる。すでにタクシーは呼ばれ二次会へ。主賓はそこで睡眠に入るが、そのつれが歌好きでママさんたちとデュエット大合唱になった。確かにやたらに歌が上手い人で、聞く分には苦痛ではないにしろ、時間の経過はそれなりのダメージとなっていくのだった。
 要するにまたぶり返したようだ。まあ、これは自己責任には違いなくて、まだ忘年会ロードは序の口なのであった。仕方がない。精神力で治すよりあるまい。
そういえば、一時会でY泉君とばったり会って、結婚式に誘っていいかと問われたことを今思い出した。いきなり会ってそういうことを言われたので、ろくにお祝いの言葉も出なかった。しかしそれにしてもいつ結婚するというのだったろうか…。
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容疑者Xの献身

2008-12-10 | 映画
容疑者Xの献身/西谷弘監督

 推理のトリックのために話が組み立てられるということは当然あって、だから悪いというのではないが、そのために必然的な背景がうまく構築されないということはたびたび起こりうることなのであった。しかしそのトリックが見事なのであれば、そういう背景には多少なりとも目をつぶってみるということは、普通に修正できる了解事項ともいえることなのかもしれない。原作である小説の方も確かに良くできていて、純愛ということを考えると、十分に納得して感心して読んだという経験があった。そういう意味では、やはり相当に原作が良かったということは、まず第一にいえることなのだとは思う。しかし、この映画は、それでも大変に優れた映画だと思えたことも確かだ。小説の中で、もう少し踏み込んで納得できないしこりのようなものが残ったこともないではなかったのだが、映画の展開は、そういう疑問を払拭させるに十分な、細かい演出が光っていたのである。いやむしろ見るものを飽きさせない、新たなサスペンスの要素をふんだんに取り入れることによって、むしろ純愛の静かな深みを増すことに成功させてしまった。原作を読んでいながら、ほとんど筋道を知っていながら、あふれ出てくる涙をこらえることができなかった。ほとんど号泣のような気持ちになって、スクリーンを直視できなくなるのだった。
 もうそんなに時間がないのかもしれないが、年末に必ず観ておくべき映画としてあげておかなければ、とても年を越せるものではない。たまたま時間が空いてその空白を埋めるものがこんなに巨大な感動を生むものだとは、まさに映画を見ることの醍醐味だという奇跡的な経験をすることになったのだった。
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ひどい経験

2008-12-09 | 雑記

 イベントで缶詰になっていて、やっと終えたらひどい風邪になった。とても外の世界へ出ることはできない。ちょっとした浦島状態で、今自分の置かれている位置を見失っている感じである。早く復帰できるように静養に努めるしかないのだが。
 体調が悪いと改めて感じるが、何か後ろ向きな思考にばかり偏ってしまう。今始まっている忘年会には参加したくないし、書き始めていない年賀状もとても手をつける気がしない。やっと終えたイベントも来年は白紙に戻して欲しいし、もう年内は職場復帰しなくてもいいような気分にさえなってしまっている。このクソ忌々しい風邪だって、本当によくなるものなのだろうか。よくなるとしたらいったいいつ位になるのだろう。外は雨だし、腰は痛いし、背中はゾクゾク寒いし、寝ていてもだるくてつらい。
 まあしかし考えてみると、体調が悪いのにやたら前向きな考えになったり元気にしている方が気持ちが悪いわけで、病人らしく暗い雰囲気を楽しむというのもまっとうな生き方かもしれない。息子も風邪で学校を休んでいるので、一緒にうだうだした一日を過ごすということも、親子にとっては貴重な体験になるかもしれない。まあ、居間でwiiしてる様子を眺めるだけのことなんだけど。
 仕方がないにしろ、無為なる一日を過ごせる贅沢というか特権をあたえられたということもいえるわけで、こうして曲がりなりにも久しぶりにブログだって更新しているわけで、何も悪いことばかりでもなかったわけだ。
 そういえば具合が悪くなるとなんとなく思い出す風景というのがあって、21ぐらいの時に中国内陸の西寧という町で激しい熱と下痢に悩まされ、ホテルの人が医者を呼んでくれてどうも赤痢らしいということになって、部屋がそのまま隔離病棟のような感じになって、その部屋の窓から赤い砂漠が広がっているのが見えて、ものすごく寂しく不安になったものである。もう日本に帰ることが出来なくなるのではないか。つまり僕はこのまま死ぬのではないかと本当に思った。しかし今でも僕はこうして生きていて、いくら具合が悪いといっても、朝からオジヤを食べて温まり、どんよりした空であれ、自宅の見慣れた風景として目の前に広がっている住宅を見下ろすことが出来るのである。なんだかざまあみろという気分さえしないではない。誰に向かってそう思っているのかは不明にしろ、今の具合の悪さなんて十分しあわせな状態なのであった。ああ、段々気分が晴れてきた。悪い状態というものであっても、経験はしておくべきなのかもしれないのであった。
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内心怖いです。本当に

2008-12-04 | 時事

 皆さんもう知っているだろうけど、予算関係ものすごいことになってるよ。何でも通るという感じ。終わったと思われていた政治家先生もかなり跋扈しておられますねえ。やっぱり権力持ってたんだ。ゾンビもそうとう生き残るでしょうね。破滅へ向かってまっしぐら。もう何も怖くありません。とほほ。
 それと北関係はそうとうやばいですよこれ。本当に死んだのかもしれませんね。何で報道は掴めないのか。そのことが不思議です。これもくわばらくわばらということなんですかねえ。
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紹介もれ映画編

2008-12-04 | 映画

昨日に続いて映画編。

ピアノの森/小島正幸監督
 実はアニメと知らずにDVDセットして、始まったら一気にのめり込むように見てしまった。素直に面白い。まあ、漫画ならではのありえない話なのかもしれないが、思わず力を入れてみてしまうような力のあるストーリーなのではないか。元気にもなるので年末にいいのではと思います。

天空の草原のナンサ/ビャンバスレン・ダバーン監督
 この人たちは今もこういう生活を続けているのだろうか。そしてこのナンサという子供も大きくなってもこの生活を選択するのだろうか。坦々とした展開の中にそういうことを考えずにいられない人間の不思議さを思った。僕も田舎生活をしているとはいえ、人間の叡智を結集したある意味で完結した世界が以前にはあったのだろうということを忘れがちである。文明というのは、進んでいくものではないのかもしれない。

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド/ポール・トーマス・アンダーソン監督
 これって、ちょっとめちゃくちゃなんじゃないかという話なのだが、妙に心を打たれた。演技が凄いというべきなのか。観終わってしばらくはまとまりのつかない感情に支配されて戸惑った。人間の欲望に忠実な生き方というか、どんどん暴走していく怖さというか。変な話には違いないが、いい映画だと思います。

ウェイトレス~おいしい人生のつくりかた/エイドリアン・シェリー監督
 フェミニストが観ると、なんじゃこりゃ、という映画ではないか。今だに米国というのはこのような閉鎖性のある社会が残っているということでもあるのだと思う。まあ、それでもカタルシスはちゃんとあるので大丈夫である。コメディといえばコメディで、見た目よりおしゃれでないところが気に入った。

春夏秋冬そして春/キム・ギドク監督
 不思議な話だが、この世界観は凄いと思った。性描写などはあからさまだから注意はいるかもしれないが、だからといって悪い映画ではない。最後の方で監督自ら演じているが、なかなか凄い人なんだなあと改めて感心した。哲学があるんでしょうねえ。

イカとクジラ/ノア・バームバック監督
 あからさまに家庭というものが何であるかということを実験的に考えさせられる。ここまで家族をさらけ出せたということも、なかなか見事というよりない。日本だと個人主義である親の身勝手と考えてしまう人もいるかもしれないけど、彼らは正直なところがあるというだけのことなんだろう。

マーダーボール/ヘンリー=アレックス・ルビンとダナ・アダム・シャビーロ監督
 これは本当に紹介しそこなったという後悔があった。もの凄く面白いし、多くの人に見てほしい映画だ。変だといえば変だけれど、人間という生き方の面白さに僕は感動すらしてしまった。あくまで人工の突き進み方なんだろうけど、僕には人間の業のようなものさえ感じられて、唸ってしまった。ああ、一応ドキュメンタリーですけどね。

アメリカ、家族のいる風景/ヴィム・ヴェンダース監督
 変な映画ともいえるけど(まあ、変な映画は好きだけど)、割合まともでもある。いまさら感のある親子の愛情だが、どうしても許せないのは、それはいまだに愛しているからなんだと思う。思ったほど軽々しくないのが愛なんだと再確認できて、大変に良かったのであった。
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紹介もれのお勧め本

2008-12-03 | 読書

 既に紹介した本は除外して、紹介もれをいくつか振り返ってみる。どういうわけか今年はあんまり本を読まなかったのだけど、年をとると疲れやすくなるためだろうか。まあ、それはそれでいいけど、好奇心が減退するようで、気分的には今一つだった。暇になったのに読めなくなるなんてなんだかもったいない話である。

モテたい理由/赤坂真理著(講談社現代新書)
 さて、これは日本の女性論というものらしい。僕は女性雑誌をまともに開いたことがほとんど無いので、こういう世界が展開しているなんてことはまったく知らなかった。女という生き方は本当に大変だと心から思った。後半もなんだか凄い展開になって、結構面白い。日本という立場もそうだったんだ、という感じ。なるほど。

ラクをしないと成果は出ない/日垣隆著(大和書房)
 多少勇み足のようなところもあるけど、立ててある項目を読むだけでも面白い。効率化のノウハウが詰まっており忙しい人はこの本を読んでから忙しさにアタックしてもいいんじゃないか。まあ、やるべきことはルールに従ってやるというのが結局は早道ということなんだろう。

チームハックス/大橋悦夫・佐々木正悟共著(日本実業出版社)
 これは仕事をする上でものすごく参考になった。特にチームを作って何かに取り組まなければならない仕事(一般の仕事はほとんどそういうことが多いだろうけど)をしている人には、かなり納得できる仕組みが満載でお得である。プレッシャーがやる気になるというはその通りだし、やらざるを得ない状況をつくることが結局やる気になったりする。当たり前だけど、そういう当たり前の状況になかなかなれない仕組みになっている職場環境がかなり存在するのではないか。

「ことば」の課外授業/西江雅之著(洋泉社新書)
これは素直に面白い読み物だった。僕らは言葉というものをかなり勘違いして捉えているのではないかと目から鱗が落ちた。言葉が正しいとか正しくないということ一つでも、考え方でずいぶん違ってしまうものである。別に難しい話はほとんど無いので、なるほどという世界を散歩されてはいかがでしょうか。

本はどう読むか/清水幾太郎著(講談社現代新書)
 この古典は名作といっていいのではないか。ブログ書いている人は結構参考になると思う。文章も面白いし、ちっとも古くなっていない。読書論というのは鼻につくものが多いものだけど、これは全然そんな感じが臭わない。僕はこの本を読んで無謀にも洋書にチャレンジしてみる気分になったが、やっぱりちっとも歯が立たなかった。内容に感銘を受けても、受け取る人間の能力の低さをすべてカバーできるわけではない。まあ、これからもコツコツやるよりないんでしょうね。これは生き方にも影響を与えうる教養書の見本のような本であった。読むべし。

空中ブランコ/奥田英朗著(文藝春秋)
 まあふざけたものも読んでリラックスするのもいいだろう。僕はこの本を或る人の入院に際してプレゼントした。明るい気分になれるんじゃないかと思ったからだ。主人公はかなりハチャメチャだが、何故だか本当に救われる気分にさせられる。何じゃこりゃという話ばかりだけど、結構真実をついているんじゃないかとも感心してしまった。

きみのためのバラ/池澤夏樹著(新潮社)
 小説家なんだから当たり前のことなんだろうけど、文章が上手だなあと思った。ちょっと寓話と説教が混ざったものもあるにはあるが、言わんとすることに反発は感じない。そして実際の話、たぶんそうなんだろう。人間を仔細に観察して考えたことが物語として語られている。ジワリとしみいるように軽く感動するという感じが心地いいのだった。

その数字が戦略を決める/イアン・エアーズ著(文藝春秋)
 やっぱり直感だけでものを考えていては駄目なんだな、と思う。統計の数字はどのようにとってどのように考えるのか。今はコンピュータの関係で、ものすごく大きな数字を扱えるようになった。そうすると人々の感情のようなものも数字として読み取ることができるようにもなっているのである。まったくの個人の感情は歯が立たなくても、集計して動向を調べて手を打つことはできる。それでも直感で動いている人は、結局この人たちには勝てないのかもしれないのであった。

ピギー・スニードを救う話/ジョン・アービング著(新潮社)
 小説家がどうして物語を紡ぐのかということが、これほど腑に落ちたことはなかった。それはペギー・スニードを救うためだったのだ。もちろんその何故は、読んで確かめてほしい。この一話を読むだけで、人生というのは無限大に豊かになっていくのではないか。たとえそれが小説家でない人であっても、少なくともこの話の教訓は身につけて損はしない。僕もペギーを救うことができるといいなあと思う。もちろん小説を書く以外の方法で。
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聞いたこともない流行語

2008-12-02 | ことば

 流行語大賞というのが話題に上がるが、僕は毎年特に気にしているわけではないにしろ、新聞などを読んでいるついでに目にすることがあるのは確かで、やはりついでにフムフムトとその流行語とやらで今年を振り返るということは、年末の行事となっていることは確かである。どこかの神社だから寺だとかで今年を象徴する漢字を書いたりするなどのようなこともあるようだし、何か今年の世相を象徴するものを欲するという心情があるらしいことは理解できる。
 さてしかし、今年の大賞というものが選ばれているのを見ると、なんでだろうと少なからぬ驚きを禁じ得なかったのであった。特に「アラフォー」という言葉は、まったく見たことも聞いたこともない。そんな言葉が流行語だという社会に、僕自身が所属しているということがおかしいということなのだろうか。いや、他の「グー」というのは見たこともあるし知ってもいるけど、「惚れてまうやろ(だっけ?)」だとか「あるとおもいます」と比べて印象に残っていない。「グー」と言いながら踊られても、だから何?という反感は覚えるが…。あれが面白いというのは、本人が幼児か、もしそうでなければ相当幼稚な人なのではないか。上野投手は流石に凄いなあとは思うけど、そんなに彼女ばかりに投げさせなければならないという日本のチームが強いと言えるのかという疑問の方が大きいし、正確に413球であったと話をしている人の方が少数で、誰か知っている人がそうであったといえば、へえーと感嘆の声をあげるという風景の方がよく見られたことではなかったのか。それをまとめて「上野の413球」なんて、話題が終わった後で作った言葉なんじゃないか。
 まあしかし、トップテンの顔ぶれを見ると、確かに今年はよく聞いたなあ(見たなあ)というのは並んでおり、むしろなんでこれがトップスリーではないのだろうというようなものが、「居酒屋タクシー」「後期高齢者」「埋蔵金」あたりだろうか。しかし「後期高齢者」という言葉で受賞者という人がおり、短距離マスターズ日本記録保持者の、山崎英也さんというのは、まったく意味が分からない。この言葉で騒いでいたのは「みのもんた」ではなかったのだろうか。

 世相を反映する言葉が流行語であるという観点とははずれはするものの、我が家にも流行語というものがある。その中でも第一は「(自分の)予想では」というものじゃないかと思う。これは次男坊が口にしだした言葉で、自分の名前の後に、この「予想では」を付け加える。何が面白いのか分かりにくいだろうが、たとえば客の少ない店などに入ると、「この店潰れるんじゃないの?僕の予想では…」というように用いる。あえて自分の手柄のように予想する事がポイントで、誰だって思いそうなことでも先に口にして、出来るだけ酷い結果を誇張していうと点数が高くなるようだ。しかしこの予想があんがい馬鹿に出来なくて、彼の予想した店が閉じたり、無くなったりすることが本当にあって、驚きとともになんだか人の不幸ながら、笑えるのだった。まあ、それも今年の不景気を象徴しているということなんじゃないだろうか。
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ほんとに疲れた

2008-12-01 | 雑記

 三日間、県P大会でほとんど缶詰になって動いていたので、本当に疲れてしまった。実際には待ち時間が多く、立ちっぱなしという状態が、おもな疲労の正体である。慣れない販売で一日立っていると、本当に足の裏がどうにかなったような痛みに襲われることがあるが、今回も基本的にはそういう感じである。やっと終わって懇親会になったのだが、これが立食パーティで、感激的なスピーチを聞く分には苦痛ではないが、黙って立っている状態は拷問に近く、倒れてしまうのではないかというめまいがした。アルコールが入ってから何とか持ち直したが、珍しくビールを飲んで頬が熱くなる感覚になり(僕は酒を飲んでもほとんど顔には出ない体質のようだ。しかし体調が悪いと何故だが赤くなる)、これは流石にやばいのではないかと思ったりした。しかし思いのほかいろんな人たちと打ち解けた話ができて、やっぱり何かともに事業をやるというのは、人間として楽しいことなんだなあと思ったりした。疲れというものを一時忘れてしまうのである。しかしなんでこうも酷く疲れたのかというと、実は土曜の夜に今大会に参加している島原の知人と痛飲したことがやはり大きいのだと思う。日曜の朝は二日酔いでなくまだ酔っていた。昼前に二日酔いが始まったなあという感じなっていき、疲労と重なりつらくなったのだった。これも自業自得で誰の責任ということではないが、重なるときにはこのようにいろんな事が重なる。仕事の方面も厄介な事はピーク状態だし、走り続けなければならない。その上今朝は生活習慣病検診で血を抜かれて気分が悪くなっていつもより血圧が30程上がって驚いた。でも腹まわりは五センチ細くなり脱メタボと言われたぜ。しかし煙草をやめて何かいいことがありましたかというので、そういえば何かあったかなと思案している最中に、もっと前向きに生きましょうと何故か励まされた。前向きに生きることがいいことなんて偏見を持つ方が精神衛生上問題があることに気付かない馬鹿にはなりたくないものである。胃の検査は臆病なのでまた今年もパスしたのだが、胃が悪いので検査したくないと正直に言ったら、全身麻酔で胃カメラという方法もあります、などと真剣に言われて困惑した。悪いところなんて僕は知りたくなんかないのだから、大きなお世話である。ましてやこんなハードな検査が体に良い訳がないではないか。体をいじめて喜ぶ趣味はないし、早期発見などという嘘に騙されるほどお人よしではない。しかし気になる忘年会や新年会の予定がドカドカと入ってきており、自重せねば本当に持たないだろうなあとは思うので、不誠実な人間になれるよう努力いたします。
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