カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

運命の人と強引に会う

2008-12-13 | 雑記

 朝から車すっ飛ばして福岡でのセミナーに参加。バスが普通の車のように割り込んでくる。生存競争が激しいという感じがする。誰もうかうかしてられないということだろう。駐車場も確保して安心すると、まだまだ開催時間まで間がある。仕方が無いからその辺を散歩していると地図を持った青年に道を聞かれる。先を急いでいない風の人間なんて俺一人なんだろう。もちろん聞かれても知らないところのようだった。相手は選んだつもりなんだろうけど、申し訳ありませんでした。
 セミナーは、いきなり全国の会長さんの基調講演だった(実は何のセミナーなのか着くまで忘れていた)。ある程度ご年配の人だと思うが、滑舌は必ずしもよくないけれど聞き取りにくいわけでなく、なかなかしっかりしたお話である。第一内容が新しく毎回驚かされる。相当勉強しておられるのではないか。やっぱり自ら学んでいくという人はいつまでも頭が明晰なのかもしれないと恐れ入った。
 昼の弁当をもらいに行こうとすると、またしてもY泉君とばったり。まあ、なんとなく同業者なのでこういうこともあるにせよ、はっきりいって気持ち悪い。急に親しい友人みたいだ。そういえば講演中に電話があったなと思い出して、ちょっと失礼と外そうとすると、いやあ、僕も電話の用事だった、といって背中をむき合わせてお互い電話するのだった。僕の用事はすぐ済んで、弁当もって席に戻り、弁当食って空箱を捨てに行くと、ロビーで弁当を抱えたまま電話しているY泉君がまだ居た。やっぱりこの人はなんだか怪しいので、結婚式には何か用事でも作って欠席した方がいいのかもしれない。
 また少し散歩して会場に戻ってくると、今度はY泉君はパソコンを抱えて会場を後にしようとしている。どうしたの、と聞くと、逆に聞き覚えの無い労務管理について質問してきた。内容は特に秘すが、ちょっと労務上は問題がありそうな内規だったので、その旨感想をいうと、いやあ、何処でもやってると思うんだけどね、だってさ。何処でもやってるからといって違法は違法だよ。日本人はよその違法行為には割合無関心で、特に知ってても関係なければ言わないだけの話である。Y泉君、ますます怪しいぞ。そうしてそのまま、じゃあ、僕は別のセミナーへ、などと謎の言葉を吐き去っていった。うーむ、あやつの会社の人間は、きっと苦労していることだろうなあ。もし彼が僕の上司だったりすると、僕はきっと家庭で愚痴りながら毎日をおくっているだろうなあ。ああして目の前からいなくなってくれるから、僕はしあわせなのかもしれないなあ。合掌。
 午後からもセミナーだったけど、まあ、内容はパス。
 ただこのようなセミナーで毎回のように見る、今回の講師はどうだったかなどとのアンケートはまったく困ったものだと感じている。問題はセミナーを受ける人間が如何に内容を吸収したかということが重要で、講師の良し悪し、内容の良し悪し、会場の感想などを書かせることによって本当に内容を消化することを妨げていることに気づいていない。先生が悪いから生徒が勉強できないといっているに等しいわけで、そんな生徒が優秀になれるわけが無い。講師が今ひとつと感じる人間が内容を深く考えるようになるなんて事は少なく、評価の前の自分を見失うのだ。今回何が勉強になり参考になったか、そういうことをアンケートは問うべきなのだと思う。こんな主催者の感覚こそ改めて欲しいと思いながら、なんとなくめんどくさいので大変良いと書いて提出した。
 夜はとんぼ返りして市Pの寄り合い。
 会議後懇親会になり、いろんなところで引っかかって、何故だか少子化対策無意味論をぶっているところでお開きになった。そのせいか二次会にもいく気になって、テクテク歩いてたっちゃんへ。ところが今度はK保さんのパチンコの話を延々と聞かされるのだった。彼なりに面白い話なのだろうけれど、僕はまったくパチンコには興味がないし、これからも行かないだろう人間なので、退屈を押し殺しながら笑顔でお話を拝聴するのであった。これも何かの罰なのだろう。アーメン。
 帰りがけにも気の重くなる話を聞いて、かなりどんよりした酔い加減。あまりにも聞いてない話だし、聞いていることとの乖離が激しく動揺前に絶句というあきれぶり。いや、人間が生きていくというのは重たいものですねえ。僕は何にも望んでいないことを抱え込むことが嫌で、いろいろなものを不義理を承知で切ってかろうじて呼吸を保ち生きのびてきたのだけれど、切っても切っても蔦が木々に複雑に絡みつくように、際限なくまとわりつくように人間を取り込んでいくようなのである。もちろんそのような環境にも負けない偉大な先人のおかげで僕らは生かされているわけだが、その責めを負うものは本来的に選ばれた人であるはずなのである。僕自身は、正直に言ってその責にないにもかかわらず、消去法で担わされているに過ぎないのである。だから僕はまじめに役職をまっとうする気は毛頭無いし、ましてややっていることに一筋の喜びすらみいだせない。僕が人々を殺す役割にあえてならざるを得ない不幸というのはどのように考えたらいいのだろう。そんなことも考えたが、まあ、これは一度白紙にするとしよう。今考えてもどうにもならないことのように思える。回答の無いものを求めても仕方が無い。
 M崎さんとタクシーに乗ると、そういえばまったく別方向であった。運転手に別の空いているタクシーを探しながら運転してくれなどといったりしたが、本の木阿弥。結局余分に料金を払ってもらい帰路についたのだった。結果的にちょっと僕の儲けのようです。ありがとうございました。
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