今回の風邪はなかなか厄介で、今だに尾を引いている感じが残って臆病になっていた。つまり朝から散歩に出る気になれない。またひどくなるんじゃないかというのが怖いのである。あつものに懲りて何とかというやつである。時すでに忘年会シーズンなので夜が遅いせいもある。これは素直に朝がつらい。そして、翌日の夜の懸念もあって休んでおきたいという不安もある。体力というか、疲労の蓄積こそが風邪の大敵という感じがあるので、体が予防を欲しているという感じもする。忘年会なんだからひかえておけばいいという考えもあるだろうけれど、これは片づける事項に近いので、忘年会がダメならば新年会と物事を先送りにするような後ろめたさが残る。僕は政治家や官僚ではないから当事者としては、先送りにして物事を済ませるような態度をとるわけにはいかないのである。
そうして重い腰を上げて、エイヤっという感じで夜明け前の闇の散歩に出てみる。放射冷却というのだろうか、確かに頬をさすような冷気が一気に体温を奪っていくのが分かる。杏月ちゃんが元気にリードを引っ張らなければ、とても元気に歩みを進める気にさえならない。それにしても暗くて、足元がよく見えない。早朝といっても、新聞はほとんど配達が終わっている時間帯である。どこかで鶏の鳴き声は響いているし、渡り鳥はバサバサと上空を舞っている。動物たちはすでに朝だと気付いている暗闇なのである。
杏月ちゃんが気になっているマーキングの跡もそれなりの収穫があるようで、すでに散歩を済ませている人たちが相当いるのだろうと思われる。みんな暗くなっても変わらぬライフスタイルを送られているものらしい。なんとなく頼もしい。憶病であった自分が恥ずかしくすら感じられる。また、この世界を取り戻せたという喜びが段々と湧いてくるというものだ。朝やけが広がっていよいよ一日の始まりらしい雰囲気になってくると、老人臭く活力のようなものが湧きあがってくるから不思議なものである。占いなんかより数段、今日一日がいい日になるような予感さえするものなのである。
朝の光がまわりを照らすようになると、朝靄が谷から湧きあがってくるのが見て取れる。仔細に見ると、田んぼの中心に十字に広がる水路などから特に湯気が湧きたつように靄が湧いているようである。夜の間に大地はすっかり冷やされるのだが、相対的に水の方は比較的に温度が保たれているのかもしれない。夜になれば山から海へ風がながれていたものが、朝やけとともに海から山へと風の流れが変わる。吹きあがる風に舞いあげられるように靄が山を吹き上げていくのである。思わず白い息を吐くとともに感嘆の声がもれそうになるような見事な朝靄の流れを眺めて、坂道を登って我が家に帰る。待っているのは暖かいスープとバナナなのであった。