実はとある事情で外海町に行っていた。何度か来ているが来るたびに本当に素晴らしい田舎だと思ってしまう。何より美しい。この土地に住みたいかといわれると少し躊躇してしまうのは正直なところだが、この風景を見ていたいという思いは強い。思わず引き込まれるような美しさと壮大さがこの場所の魅力である。迫害を受けたキリシタンが逃げ移り住むことを選んだのは、厳しい環境ながらこの美しさも理由としてあったのではなかろうか。
つれあいとも二十年くらい前に一緒に来たことがあるのだが、その時お袋を連れていった場所がどうしても思い出せないのだった。それらしきところは聞いて地図まで書いてもらって訪れたが、結局その場所だと確信するに至らなかった。人間の記憶というのはよく分からない。いつの間にか頭の中で書き換えられたか、もしくは場所の方が変化したのだろうか。
お袋とおばさんもなじみの場所らしいのだが、こちらの方は60年ぶりだそうで、あれこれどこそこがそうでどこそこが違うと言いあっていた。子供のころはもっと大きいと思っていたが、小さくなっているとも言っていた。そういう感じはなんとなく理解できなくはない。車でぐるっと回ったのだが、歩いて回れば、また違った発見もあったのかもしれない。
ちょっと宿題もできたのでまた来ることもあるだろうが、またこの風景を見るという機会があるというだけで、なんとなくしあわせな感じがする。こういう場所が少し足を延ばせばあるという今の環境こそ、何気なく大変に貴重なものであるように思える。また車社会という現代に生きる恩恵というものも受けているのであろう。今は深刻な不況であると確かに思うが、本当に僕らが車を捨ててしまうことはとても考えられないと思うのだった。
帰りの道すがら「ニックの国」という看板の店があった。息子が「ニックの国って逆さに読んでもニックの国ってことだよね」という。いや、逆さに読んだら「ニクノクッニ」だと思う。まあ、しかしそれでは訳が分からないので、息子の方が大人だと改めて気付かされた。大人になるってそういうことなんだろうね。僕はいつからなり損ねてしまったのだろう。などと思ったのだった。