イベントで缶詰になっていて、やっと終えたらひどい風邪になった。とても外の世界へ出ることはできない。ちょっとした浦島状態で、今自分の置かれている位置を見失っている感じである。早く復帰できるように静養に努めるしかないのだが。
体調が悪いと改めて感じるが、何か後ろ向きな思考にばかり偏ってしまう。今始まっている忘年会には参加したくないし、書き始めていない年賀状もとても手をつける気がしない。やっと終えたイベントも来年は白紙に戻して欲しいし、もう年内は職場復帰しなくてもいいような気分にさえなってしまっている。このクソ忌々しい風邪だって、本当によくなるものなのだろうか。よくなるとしたらいったいいつ位になるのだろう。外は雨だし、腰は痛いし、背中はゾクゾク寒いし、寝ていてもだるくてつらい。
まあしかし考えてみると、体調が悪いのにやたら前向きな考えになったり元気にしている方が気持ちが悪いわけで、病人らしく暗い雰囲気を楽しむというのもまっとうな生き方かもしれない。息子も風邪で学校を休んでいるので、一緒にうだうだした一日を過ごすということも、親子にとっては貴重な体験になるかもしれない。まあ、居間でwiiしてる様子を眺めるだけのことなんだけど。
仕方がないにしろ、無為なる一日を過ごせる贅沢というか特権をあたえられたということもいえるわけで、こうして曲がりなりにも久しぶりにブログだって更新しているわけで、何も悪いことばかりでもなかったわけだ。
そういえば具合が悪くなるとなんとなく思い出す風景というのがあって、21ぐらいの時に中国内陸の西寧という町で激しい熱と下痢に悩まされ、ホテルの人が医者を呼んでくれてどうも赤痢らしいということになって、部屋がそのまま隔離病棟のような感じになって、その部屋の窓から赤い砂漠が広がっているのが見えて、ものすごく寂しく不安になったものである。もう日本に帰ることが出来なくなるのではないか。つまり僕はこのまま死ぬのではないかと本当に思った。しかし今でも僕はこうして生きていて、いくら具合が悪いといっても、朝からオジヤを食べて温まり、どんよりした空であれ、自宅の見慣れた風景として目の前に広がっている住宅を見下ろすことが出来るのである。なんだかざまあみろという気分さえしないではない。誰に向かってそう思っているのかは不明にしろ、今の具合の悪さなんて十分しあわせな状態なのであった。ああ、段々気分が晴れてきた。悪い状態というものであっても、経験はしておくべきなのかもしれないのであった。