カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

二度目のポニョ

2008-08-16 | 映画

 大橋のぞみちゃんの歌声を聞くとついつい合わせて歌いたくなるのだが、そして実際にいつのまにか口ずさんでいて家人に煙たがられる(恐らくいつも歌詞が違うためではないだろうか)のだけれど、やはりこの曲は単純ながら名曲に違いないと思っている。お盆なので親戚が集まっていろいろなことが行なわれたが、詳細は省略するとして、地獄の釜の蓋が開くといわれるので、そのことが直接に関係がないにせよ、墓などには近寄れないということなので、姪っ子がポニョを観たいと言っているらしくて、おおそれはナイスな心掛けではないかと思われ、二度目のポニョを楽しむことが出来た。
 田舎の映画館で(長崎のステラ座は閉館するというのに)生き残っているのが不思議な感じのする某所に行ったが、一回目よりたくさんのお客が来ており、評判が上っているらしいことが伺えた。人が並んでいるのは普段は迷惑に思うが、この映画館の経営のことなどを勝手に考えると、非常に喜ばしいことのように思える。映画館はどんな田舎でもひとつぐらいは生き残ってもらいたいものだ。
 さて、先ず最初に少なからず驚いたのは、一回目より格段に子供にウケているらしい空気だった。前回観た時は客が少なすぎた所為もあるが、ほとんど子供の笑い声は聞こえなかった。宮崎映画らしい人物のドタバタ描写に反応する子供の声が聞こえて、宮崎先生よかったですねと心の中でつぶやいたのだった。もちろん既に興行的に成功したことで精神的にも落ち着かれたことだろうし、やはりなんといってもおおむね好評であるということで流石に宮崎監督であるという不思議な現象が続いているわけであるが、何より子供にウケたかったというのは、恐らく宮崎監督自身の正直な願望だったとも思われ、所期の目的が遅ればせながらも達成できているという時代を作り上げているという点でも、この人はやはり天才であるということが証明された訳である。
 僕も今回は二回目だから、最初の衝撃的な感じからは距離を置いて、だいぶ余裕を持って見ることが出来て、やはり絵がきれいだし、おかしいなりにこんな筋でもまあいいかというような気分にもなり、ポニョが寝てしまうと僕も一緒に睡魔に襲われたりして、さらに楽しく鑑賞することが出来た。この世界観はやはりどうにも説明は不足しているにせよ、あってもいいものとして認知したということになったのかもしれない。いろいろ言ってみたところで、宮崎監督には女に強くあって欲しいという願望が人一倍強いらしいし、竹熊さんの言うように、彼は本当に話の筋などというものはどうでもいいと考えているのかもしれず、場面場面は妙に印象に残り、つい最近観たと言う事もあるにせよ、ほとんど細部逃さず映画を覚えていたのであった。子供時代に楽しかったという体験が描かれているということもよく分かって、また見ることが出来てよかったという満足感も残った。下の息子は姪っ子がこの映画を観て失望するに違いないと心配していたようだけど、姪っ子は見終わって楽しかったといった。どの程度そのように思ったのかは僕には分からないにせよ、じわりと子供心を捉えていっていることは間違いの無いことなのであろう。これでもうしばらくすると、また作品を最後のつもりで作ってくれという世論が形成されていくに違いなく、宮崎駿はまたどこか遠くの宿に逃げ出して構想を練ることになるのかもしれない。売れなければ本当に困ることになるにせよ、売れることは今の宮崎監督にとって、本当にいいことなのかどうかは分からなくなってしまった。お元気なうちはいつまでも求め続けられる存在ではあるだろうけれど、そう簡単に死ぬこともままならない人生の後半期に入ってしまったのではないか。好きなことを続けられる人が、必ずしもしあわせなのではないようにも思えて、勝手な僕の空想に過ぎないにせよ、人というのはままならないものだとも思うのだった。これの何十分の一でも他の才能ある作家のもとにこの幸運のかけらが舞い降りてくれたら、バランスとして、さらに多くの人がしあわせになれたであろう。しかし天才という存在は凡才のそれとは違うものなのであるから、たとえ獰猛な世論の波に食いつかれてしまったとしても、そうそう強靭な翼がもげていないことを切に願っているのである。
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石鹸買いますか?

2008-08-14 | 雑記

 筒井康隆の小説を読んでいると、老人の家には石鹸がたくさん溜まっていて上等のやつから惜しみなく使っても恐らく死ぬまでには使い切れないだろうというようなことが書いてあった。なるほどそんなものかもしれないな、と思っていたのだが、母に聞くと石鹸は買わなければとても足りないし、実際に時々は買うのだということだった。老人でも男と女は違うのだろうかとも思ったが、確かに母の言うことの方が本当らしく、今は石鹸の時代でさえないのかもしれない。
 先日職場での中元の分捕り会があって、ありがたくいただいた中元の品を分配した。その中には確かに石鹸がひとつもなかった。どれぐらい以前だったか確かな記憶はないが、いつからこのようなことになったのだろう。
 つれあいに聞くと、だいたい今の子供は石鹸を使いたがらないのだということだった。あれはなんという方式なのか知らないが、ポンプ式の泡が出たり石鹸水のようなものが出たりするようなものが主流になっており、石鹸だと申し訳程度にしかこすらないのでかえって不衛生なのではないかということだった。すぐに泡が出ないと子供は諦めてしまうのだろうか。
 だから石鹸に復権を、と言いたいわけではない。僕はいまだに体を洗うにも洗顔(あんまりしないが)にも石鹸を使うことのほうが普通だ。時代の流れにまったく気づかなかったといっていい。そういえば忙しくて家に帰らないような日々が続くと、石鹸の消費が減っていないようにも感じたし、逆に石鹸が切れても補充されるのに時間がかかっていたように思い当たった。家庭内でも僕ぐらいしか石鹸の消費をしていなかったのかもしれない。さすがに今はシャンプーを使うことが当たり前になって久しいが、以前は髪も石鹸で洗っていたぐらいの石鹸派だったのだけれど、いつの間にか僕も消費について不熱心になってきており、出張先では洗顔フォームを使うこともあるし、髭剃りにもシェービングクリームなどを使っている。化粧は仮装大会のときやパンクライブの時はやっていたけど、このように石鹸を使っていたものを多様化して別のものを使うという行為は、ある意味で日常の化粧化現象のように思われないではない。消費の多様化というのは、知らないうちに進んでしまうものだということなのだろう。石鹸という一見閉鎖的に思えるような商品の世界にも、既に大きなイノベーションが起こってしまっていたのだということに、まったく気づいていなかった。
 ためしに家にあるボディソープで体を洗ってみると、たくさん泡が出てなかなか気分がいい。これだけの泡を楽しむには、石鹸をタオルに何度ゴシゴシ押し付けなければならなかっただろうか。僕は素直に石鹸に別れを告げて、イノベーションに身を任せることにしようと思ったのだった。
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宇宙少年ソラン

2008-08-13 | 音楽

 盆前に食事会というのをやるのが恒例になっていて、経営難で大変そうなジャスコに行ってきた。夏休みの涼をとるためなのか大変な人だかりでそれだけでも疲れてしまうのだが、食事会なのにここに行きたいという理由は実は食事の後の買い物にあるのであって、いろいろといわれるままに買い物するのだった。
 さて、Iちゃんの目当てであるが、第一にCDである。懐かしの歌謡曲(飛んでイスタンブールとか)の入っているものを一つ選んで、イージーリスニングも持っておきたいというので、ポール・モーリアというオッサンのものと二枚はすぐに決まった。もう一枚はアニメソングがよかろうというので何にするか聞いたら「宇宙少年ソラン」だという。なんですかそれは。まあ僕があんまりテレビを見ないせいなのか聞き違いがあるのか棚にはそのようなCDは無くて、一緒に居たTよし君にも聞いてみたところ、「ソラン無いの?」と不思議そうにしていた。無いなら仕方ないな、ということで、柳ジョージで我慢することにしたようだ。
 帰ってからネットで見てみると、こりゃ売ってないよね、と納得したのだが、世代が違うというのはお互いの理解に障害があるのは当然だとも思うのだった。
 それにしてもIちゃんは、そのあと電気屋に寄ってダブルカセットデッキというを4,980円で買った。すると別の買い物をしていたE上さんもその話を聞いて私もどうしても欲しいといい、結局もう一台買いに行った。戻ってきてその話を聞いた数名がやはりダブルデッキを欲しいと言っていたようで、またここではカセット物がはやるのかもしれない。というか、今までのコレクションが復活するということなのだろう。ちゃんと音質が良く残っているといいのだが…。
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活字狂想曲

2008-08-12 | 読書
活字狂想曲/倉阪鬼一郎著(共同通信社)

 会社勤めに向かない人は多いのだろうとは思う。本人にとっても不幸なことには違いないが、それはそういう人に勤められた会社にとっても不幸なことだ。書いている本人もそのことには自覚的で、しかし分かっているにせよ、自分の性格は早々直せるものではないらしく、最小限の譲歩はしているようだけれど、極めてわが道を行くことは守りぬいているように見える。まあ、後に作家になることを割り引いても、こんなことは長くは続かないことは、重々理解した上での日常だったのではあるまいか。もしくはそのまま勤め続けていたとしても、何か大きな犯罪への引き金になってしてしまったかもしれないというような、非常にアンバランスな均衡の上に何とかふらふらなりに立っていたというような危なっかしい面白さがユーモアたっぷりに描かれていて、正直言ってかなり笑える物語である。ちょっと爆笑し過ぎて人前で読んだりするには苦労しそうな気もするが、それぐらいの苦労は楽しみの前に仕方のないことだろう。怪訝に思われても素直に笑うより仕方がないだろう。
 それにしてもその屈折ぶりには呆れてしまうのだが、しかし不思議と大いなる共感に満ちた気持ちになるのが不思議である。いや、日本社会の縮図というか、会社という組織の不条理な世界において、人々はいかに屈折を強いられながら生きていかなければならないことか。そういう実は不条理に対して真っ正直に戦っているようにも見える主人公(著者)に対して、このまま頑張ってほしいというような不思議な感情が湧いてくるのである。主人公も変なエリート意識が過剰で協調性のかけらもない問題の多い性格であることは間違いなく、そのこと自体がかなり可笑しいのだけれど、しかしその彼に対する会社側の腫れものに障るような緊張感が何ともいえず面白い。お互い困ったことになっているが、主人公自体は全く仕事ができないというわけでもなく、時には至極まっとうなことをしているだけなので、なんとなくというか、事件は起きるがそれなりにおさまってしまう。むしろ会社の中には彼以上に変な人間はたくさんおり、変でありながらやはり変なバランスをとるような流れが生まれ、あるものは潰され葬られることもあるにせよ、それで何とか成り立っている社会が会社という場所なのかもしれない。それにしても時には傲慢で慣習的な横並び社会と、不条理な縦社会倫理のまかり通った非情で馬鹿げた閉塞感の漂うエピソードの数々が、心の隙間を寒くするようなことも多く、日本人が生きていくということの痛切な批判になっているのは見事という気もする。このような社会の中で生きていかざるを得ない日本人は、極めて運命的に不幸を背負わされているというようなことも言えるのかもしれない。
 結果的にはじき出されるよりなかった変な人間の方が、実は人間的な正直な姿なのではなかったかという感想さえ持ってしまって、しかしそれではやはり困ってしまうのは自分自身(読者)という不幸にならないように注意されたい。(080812)
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なかなか雷は落ちない

2008-08-11 | 散歩

 雷がゴロゴロ鳴っているのになかなか雨粒は落ちてこない。しかし時々道行く車が濡れていたりする。ごく局地的に落ちてはいるらしい。こうした局地的な集注豪雨を降らせるのは、長く雨が降らない所為もあるだろう。子供の頃にあった7月23日の水害の年も、まったく空梅雨のまま暑い日が続いていたことをよく覚えている。長く暑い日が続くと大雨が降りやすくなるのだろう。
 雷が鳴るとそれなりにおっかないのは確かだが、近くに落ちないものかという期待が少しばかりあるようにも思う。僕は目の前の木に雷が落ちるのを一度だけ目撃したことがあるが、たまがって腰が抜けてしまったものだ。夜だったが、轟音とともに昼間より明るくまわりが見渡せて、ものすごくシュールな気分になった。気がつくと杉の木だったと思うが、メラメラと炎が上がってメキメキ枝が音を立てていたが、いきなり大雨になって火事にはならなかった。いつまでも耳がキーンとなっていて、現実に戻るのにしばらく時間がかかった。そのあとどうやって家なり仲間のところに戻ったのかまったく記憶がない。覚えているのは本当にその雷が落ちたという前後のことだけで、なんでその時山の中にいたのかということさえ、今となってははっきりと思いだすことはできない。
 しかしそういうおっかない体験をしているにもかかわらず、雷に打たれてみたいような、そんなはかないような希望もある。雷に打たれることで人間に何か大きな変化がもたらされるような、そんな気がするのかもしれない。
 やはり子供の頃に雑誌か何かを読んでいて、雷に打たれて生き残った人というような特集記事があったように思う。多くの人はあたり前だがそのまま亡くなってしまわれるようだが、中には雷に打たれながら生きながらえる人がいるらしいのである。特に目を引いたのは、二度も雷に打たれて、一度目は失明し、二度目にまた視力が戻った人というのがいるらしい。なんだか凄いが、どのようなショックでそんなことが起こるのだろう。僕は視力が悪いので、雷に打たれて視力が戻るというのは、ものすごく得なのではないかと思ったりした。その前に失明するなんてことは置いておいて、都合のいいところだけは体験したいのである。さて、実際に雷に打たれる人がその悲惨な目に遭いながら再生するという体験に、なんとなく惹かれるものを感じていたのだろうかとも思う。僕にも雷が落ちて生まれ変わるような体験ができるのではないか、という根拠のない希望は、そういうことで植え付けられているように思う。そうして今だに雷がゴロゴロ鳴りだすと、なんとなくウキウキして窓の外を眺める。派手にピシャーとなったりすると、本当にうれしくなってくる。あの雷が今にも近くにやってきて、僕の上にも轟くと、ひょっとして奇跡の体験ができるのかもしれない。しかしやはり僕には雷は落ちずにこうやって無事に生活が送れている。もちろん感謝すべきことだとは重々わかっているにせよ、なんとなく残念なような気がするので、僕はあくまで雷に何かを期待してすがって生きているのかもしれない。
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西洋人は相変わらずだ

2008-08-09 | 時事

 僕は単純なオリンピック嫌いなのではないのだが、オリンピックが始まってみると嫌いだった理由を初めてのように思い出す。これも断らないと分からない人がいるから断るが、僕は日本びいきの感情が極めて薄い日本人だということも前提に置いておいて欲しい。日本の金メダルが何個だなんて実にくだらない話題だと思う。
 しかしそれでも谷の試合はやはり不公平だと思う。一発勝負でこのようになってしまったが、彼女の四年間は差別のために終わるだけなのかという感情が普通に芽生えるような判定だった。中東がテロを行なうのは普通にまっとうだと改めて思う。しかしテロは中東が行なうのは少ないのだけれど…。西洋という国国は、公平という概念がそもそもまったく違うということは理解している。しかしそれは単に卑怯なこともまったくストレートなのだということも含めて公平概念があるということでもある。彼らとまったく公平に勝負することは夢のような不可能な領域なのだとも理解した方がいいと思う。彼らは最初から差別主義者なのだ。アジアの猿など考慮の入れない方が公平だということなのだろう。まあ、同じ人間でもないのだからそれはまっとうな判断なんだろうなとは思う。納得などいかないけれど…。
 日本がメダルを取れないことは誇りに思っていいとも思う。西洋社会とは違うまっとうさ、ある意味で健全さを保持している証左でもあるだろう。インドがメダル取れないよううに(本当は意味が違うようだが)。日本にはオリンピックという西洋の偏った思想が理解できないことの方が尊いとは改めて思う。参加だけしておいて傍観している季節なんだろう。事実、高校野球より興味のある種目も少ないことだし。
 中国でオリンピックが開催されることは歴史上意味のあることだとは思うが、こういう偏見の塊みたいな大会は、早晩中国の人権問題より先に改善されるべきものだと思う。遅れた西洋至上主義が居残っているという意味でも、過去の産物として葬り去られる様な異物を見学する大会なのだということが、何よりのオリンピック鑑賞術なのかもしれない。
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流れる星は生きている

2008-08-08 | 読書
流れる星は生きている/藤原てい著(中公文庫)

 なぜか本棚にあって(買っていたのだろうから当然だが)手に取ったら止まらなくなった本である。面白いというのではなく引き込まれるという感じかもしれない。書いている本人は生きているので記録が残せたはずだから、結果的には引き揚げてきたということが分かっているにせよ、いったいどうなるのか予断を許さない展開というか、絶望の世界にあってどうなってしまうのだろうということが気になってページを置くことがなかなかできない。夫の新田次郎は読んだことがないが、夫があってこの文章が世に出たのだろうことは想像できるが、やはり書かれるべくして、世に出るべくして生まれた本であることは間違いがない。後に息子も有名になるが、このような体験を経たのちにあのようなユニークなキャラクターになったのだと思うと、人間というものは分からないものだなと改めて思うのだった。
 僕の住んでいるところは長崎県の小さな町だが、長崎県の特徴として原爆教育がある。ほとんどの小中学校は9日は登校日になっているだろうし、子供の頃にはこの日は戦争の話を聞くということが当たり前だった。ずっと後になって他県の友人に長崎は変わってるんだねと聞かされて、初めて他所では特にそのような戦争についての教育があまりないことにかえって驚いたことがある。おそらく広島や長崎以外のところでは、このように熱心に繰り返し戦争の体験記などを聞かされる機会は少ないのかもしれない。それでどうだという気はさらさらないが、僕自身は長崎にたまたま生まれたことは個人的にいいことだったのかもしれないとは思っている。
 いまさら戦争の体験を進んでするわけにはいかないのだが、戦争体験のない人たちが多数になってしまった世の中では、本当の戦争について分からなくなるのではないかという不安がないではない。知らないというのは愛の反対だそうだから、愛のない世界に近づきつつあるということなのか。しかし、本当の生の声は聞こえないにしろ、多くの戦争の記録は残っている。本というのは手に取る人次第の体験である。戦争を知らないまま生きていくことの困難を思うと、やはり多くの人に手に取ってもらいたい本ということになるだろう。
 もちろんベストセラーにもなったというから、多くの人が既に読んだはずの本である。戦闘の悲惨ということを記録してある戦争の話ではないが、戦時下にあって人はどのように翻弄され、どのような考え方をするのかということが、克明に描かれてある。将来に希望があるわけではないが、何とかして生きなければならない。乳飲み子を含め子供を抱えたままどのような思いで本土の土を踏もうとするのか。極限状態での女の強さと弱さ、まわりの人間のどのような内面が現れるのかという残酷さ。異常な世界にあって人間という生き物がどのような行動をとるのかということは、同じ人間として知っておいた方がいいと思う。誰が悪いということではなく、このような環境に人間を巻き込んでしまう戦争というものを、嫌というほど考えることになるだろう。
 今年の夏も暑いが、外には夾竹桃の花が実に見事に鮮やかに咲いている。そしてこのような暑い夏に戦争は終わった。しかし、戦争が終わった後にも、人間の地獄の世界は続いていた。暑い夏が過ぎてすべてを凍らせる季節になっても、本当には戦争は終わっていなかったのである。終わりの見えない残酷な拷問を強いるのが、戦争というものの正体である。このことは正義を語る前に知っておくべき体験の世界なのだと思う。
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がんばれ桐生一高

2008-08-07 | 時事

 甲子園に出場している群馬の桐生一高の野球部員生徒がわいせつ容疑で逮捕されたというニュースは知っていた。それでそのまま辞退せず出場するということになって、いい学校だなと思っていたらこのようなニュースが出た。
http://www.yomiuri.co.jp/sports/hsb08/news/20080807-OYT1T00019.htm?from=rss&ref=mixi 
 甲子園に出場するような名門高校だからニュースになったにせよ、野球で勝ち上がって出場の権利を得たチームが出場するのはものすごく当然のことだ。むしろ辞退するという行為の方が無責任で異常な行為である。今までそのような行動をとってきた高校があったということの方が、一部のものに対する未熟で愚劣な暴力行為であったと思うが、やっと日本もまともな人が増えて当たり前の正常な感覚の常識人のいる教育者が育ってきたのだと思っていたのに残念だ。苦情を言うような人の方がかなり精神的には未熟な人に違いないのに、何故そのような人に配慮をするような子供の態度をとるのだろう。本当に悪かったのは罪を犯した人(生徒)の方であって、その被害をマスコミによって受けそうになっているのは出場している野球部員やその関係者だ。その人を非難するのは傷口に毒をなすりつけるような非道な趣味を持っている人たちなのではないか。僕らが世論として守るべきものはそのような弱者であって、傲慢で卑劣なクレーマーではない。
 彼らの存在が時折起こる残忍な殺人事件などの引き金になっている可能性もありうるとも思う。一つの犯罪が、その所属する団体や社会まで過剰な反応を引き出す効果があると分かれば、個人の恨みや欲望を満たすだけの愚劣な行為が、社会的な反抗の象徴になったり、テロ行為として英雄視(または嫌悪でも同じようなものだが)されたりしやすくなる土壌を育てているのではないか。秋葉原の無差別殺人事件でも、ほとんど明らかになっているのは、彼の本当の動機は女にもてなかったという単純なものにすぎなかったという真相である(それは個人にとって深刻であったにせよ)。しかしまわりが勝手に格差社会のひずみから生まれた社会問題のように囃し立てるようになって、似たような事件を誘発させる結果になっているように見える。この責任をだれも取ろうとしない無責任は助長されて、責任の所在さえない弱い立場の人が追い込まれるような社会がまともであるというような世界に住むことは、たとえ今は関係のない部外者である立場にある人たちにとっても住みやすいものではありえない。一般大衆のレベルが政治のレベルともいうが、このレベルの大衆社会が、結果的に日本の将来まで阻害することは、ただの悲劇を超えた不幸なのだと思うのである。
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今年も夏フェスには行かない

2008-08-07 | 音楽

 夏フェスというものがあるらしいことは噂に聞く。僕の住むような田舎にそのような習慣はないのだが、そういう習慣のある地域はいいものだなあと思わないではない。しかしそれなりに暑すぎるので、やっぱり出かけていきたくないという気分もある。いろんな人が来ているので、そういうのをあちこちで楽しむというのはよく分かるが、時刻表を見ながら乗り換えるようなことが苦手な人間にとって(生活上そのような必要がないし)、受動的に順番通り聞いていた方が楽なような気がする。
 しかしながら以前は夏になると野外でロックを聴くということはあった。自分が演奏するということもあるが、友人が夏祭りなどに出るのを観に行くということが多かった。小さい町の小さい祭りでロックをやることはかなり寂しいこともあるのだが、仲間内なので恥ずかしいなりに立ち見をして体を揺らす。若いからできたんだろうなあ、なんて今になって思う。もちろん今の方が大人だから恥ずかしさを感じなくなったことも多いので絶対できないとは言えないかもしれないが、そもそも出向いて観るということもないのである。
 しかし夏フェスというものは想像でしか知らないにせよ、山の中とか少なくとも自然の中で大音量に体を預けて草むらなり土の上でシートやらゴザやらを敷いて、時々ペットボトルや水筒からお茶など(別に炭酸飲料でもいいが)を飲んだりして、背中にリュックを背負って、中にはもしもの雨のための合羽などが入っていたりするような鑑賞態度なのではないかと思われる。冒険家のような非日常が楽しめるような気がするし、わざわざ日本まで来て山の中にやってきて、さらに早朝から演奏するようなけだるい気分でもありながら半分やけくそにならずに頑張っている外国人を眺めるような親しみ深いような慈悲深いようなそういう若者の祭典を楽しむということなんだろうか、などと考える。
 ジャズフェスというのが大分高原であるが、季節がいつだったか忘れたが、友人たちと一緒に行った記憶があって、その時はバーベキューをその辺でやりながらジャズ演奏を聴くというスタイルだった。ジャズバンドなんてほとんど知らないし、演奏されている曲もほとんど知らないから、そういう気楽な感じというのはそれなりに好ましいというのもあって解放感もあって、気分は良かった。当然ビールやらなんやら飲んでいい加減な態度であっても、ステージ上の人たちは特に文句も言わない。ジャズの人たちというのはやたら技術の高い人が多いらしいなということはよく分かって、そういうものを演奏して特にイエーイというような盛り上がりよりも、分かる人に拍手をもらいさえすれば満足というような態度の人が多くて助かるのだった。ロックだと盛り上がらないとそれなりにバンドマンも客も落ち込んでしまうものだが、気楽にやれるというのは強みではないかとバンドマン経験者の僕は思うのだった。
 ライブ映像というものを時々観るが、スタジアムのようなところと、広場のようなところで演奏している感じが少し違うのはなんとなくわかるものである。外とはいえ、スタジアムはその場を巻き込むような音の感じがあり、野外では森に音が吸い込まれていくような、少なくともその場だけでこもる感じがない。たぶん夏フェスでの演奏はそういうものじゃないかとも想像するわけだが、遠くにいてもなんかやってるなあというということでえっちらおっちらやってくると、やあなんだか盛り上がってるじゃん近くに行こう、というのが理想だなあと思う。まあ、管理上は何かの仕切りはあるだろうけど、森を歩いていると音が聞こえてきて、行ってみると別世界だった、なんていうようなライブだと楽しそうだとは思う。やっぱり体力のあるうちに一度は行ってみたい気がしないではないが、やはりあまりにも遠い地方でのイベントなので、願いはかなわないまま一生は終わるのだろうなと思う。
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泥船に乗ってしまったのは誰か

2008-08-06 | 時事

 そういえば内閣改造があったなあ、と既に思ってしまう。大蔵主導の官僚出身者が多いということで増税の布石だと言われたりしている。そういう話になると、今度は景気刺激策優先ということになった。どうせ選挙をやるわけでなさそうだし、せめて少しでも気をそらそうということだとは思う。財政健全化の前に何をやるということは決着していないようにも思う。もう少し膿が出るのではないか。多くの国民と言われる世論の方は、そんなことを考えているのではないか。少なくとも健全でなくなってしまった元の方が変わらないまま増税と言われるのが癪には障る。
 ところで話題提供者の麻生幹事長話しかマスコミは動かない。まあ面白い人には違いないが、何を言うかというのを手ぐすね引いて待っているだけでは、せっかくの面白い人が面白さに用心し過ぎることになってしまう。それでもやっぱりなんか言ってくれそうな雰囲気は健在なので、それは彼の育ちの良さか、はたまた普段の生活習慣の変わりなさなのか。素直と言えばそうだが、政策を語るというか聞いてもらうことの方が彼にとっては望んでいることには違いない。
 国会討論では政治は確かにつまらないものに見える。しかし日曜討論のように政治家自身が話をすると、それなりに聞くべき面白さが生まれるのは確かだ。なぜそのように国会で話せないのか。結局官僚のペーパーが必要だと思っているから、そんなことになっているのではないか。自分の言葉で話す政治家がいないというのが、根本的に問題なのだということなのではないだろうか。
 さて麻生さんで続くが、彼はどうして泥船に乗ったのかという話がある。現段階で選挙の責任を取るのは幹事長であることは間違いない。選挙はどうなるかそれはわかったものではないが、一度民主党が政権を取るにせよ、すぐに自民が取り返すことができるということなのか。その時はどうだというようなことがあるのか。いや、まだ決まっていないことで、十分巻き返しの勝算ありということなのか。日本人は懲りない人が多いのでそのような選択をする人が多いことも知っているけれど、そうなれば国民ともども泥船に乗っているということなのか。そんなら先に乗ったところでたいした問題でもないということなのか。沈んでさようならで済むんであれば、それでいいのだろうか。よく分からないが、どうにもならないところにいるという恐怖感が希薄なのは、水の底の世界のことを知らないだけなのではないだろうか。
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朝バナナな毎日

2008-08-05 | 

 朝バナナ・ダイエットというのがあるらしくて、というかその通り実践してみたりしている。朝にバナナ二本とヨーグルトをとる。後はそんなに制限がないらしいとは聞くが、実は暴飲暴食を避けるだとか、就寝4時間前までに食事を済ませるなどという制約はあるらしい。たぶんそれはバナナのおかげというより、一番効果のあるのは最後の就寝4時間前何も摂らないというのが一番ダイエット効果のあることがうかがい知れるのだが、まあそれはいい。総摂取量を減らすと効果のあることは単純に当り前なので、朝飯を減らせるというのは間違いないのだから従うべしということだろう。最近の僕は朝ごはんが何より楽しみになっていたフシがあるので、それを減らせるならいいんじゃないかということだった。朝飯を食べなきゃ健康がどうだという人は、目的外の忠告なので退場した方がいい。健康目的にダイエットをして成功するほど甘い世界ではないのである。ダイエットははっきり言って見た目の正当性を目的にしなければ何にもならない。見た目がどうでもいい人が(僕の思想的にはどうでもいい派ではあるにせよ)ダイエットに成功するということの方が奇跡である。僕としては太っているからどうこうという議論に付き合いたくないのでダイエットをするつもりになったのと、長年の貯金を返済してチョイ人生改革の一環としてダイエットを楽しもうという趣旨である。ダイエットの所期の大きな目的はすでに達成したという気の緩みがあって、ここ一年という長いスパンにおいて、目に見える大きな変化はなかった。そういう反省もあって心機一転ということである。
 しかしこの朝バナナは意外にいい感じであるのは確かだ。何がいいかという第一は、そんなにつらくないのである。バナナ二本というのはそれなりに食べ応えがあるというか、飽きるちょうどぐらいの量なのだ。いや、最初はちょっとやっぱり少ないな、と感じていたが、毎日食っているとそれなりに飽きてくる。またバナナかよ、というような感慨も芽生えてくる。しかし空腹感はあるので食いだすのだが、二本も食うと飽きるのである。そしてそれなりに持ちもいい。調子がいいとそのまま昼も抜くことができる。まったく満足度が高い。食わなければ便の方が滞るわけだが、その方面にもいい感じなのかもしれない。しかし絶対量が減るとどうにもならないので、少し長いスパンの観察は必要だけれど、実感としてなるほどなあと思えるような感覚はつかんできた。
 年長の人にとってバナナというのはそれなりに貴重品であったという話は以前はよく耳にした。病気になって寝ているとバナナを食えるのが楽しみだった(滋養にいいので親が奮発して買ってくれるということらしい)というような話は定番だった。僕らの世代には段々とそんなもんかねという転換の時期だったのでピンとくる人と来ない人がいるのかもしれない。僕は特にバナナが好きだった記憶はないが、後に南国に一時住んでいたので、みずみずしい青いバナナは好きだった。日本に帰ってくると黄色い香りの少ないバナナに戻って、あんまり興味を失った。こんなに毎日バナナを食べるなんて人生において初めての経験であることは間違いがない。
 中国語でバナナを食えというとかなりの罵倒語になるが、意味としては想像できるだろう。まあそういう連想をするような食べ物なのだろう。僕はそっちの方面の想像力が働かない方らしく、あっそうという感じだが、不良っぽい連中はしょっちゅうそういう言葉を使っていたのは懐かしく思い出される。
 しかしバナナは熟れている方が甘味が増して旨くなるということは段々と分かるようになってきた。新しい斑点のないバナナはまだ香りや甘みが足りない。おそらく日本に持ってくる前は青々としたバナナだったものが、時間がたって黄色くなるのだろうと思う。熟れたものを出荷すると、日本に来た頃には痛みが激しいのだろうことは容易に想像できる。バナナは傷みやすいものであるらしく、激しく痛んでいるものはなんとなく気持ち悪くて食う気がしなかった。しかし毎日バナナを食っていると、その多少は傷んだもの方が、かえって食いがいがあるというか、果物としての醍醐味があるということがだんだんわかってきた。水木さんは熟れた果物を食すということだったが、やはり果物は熟れているということが何よりの価値なのかもしれない。
 僕はほとんど果物を食う習慣がなかったのだが、不思議なもので、バナナを食いだすことによって果物を好ましい食物と思うようになってきた。子供の時は食べていたのだが、大人になるとほとんど果物は食べていない。むしろ敬遠していたきらいがある。バナナがその偏見を取っ払ってくれたような感じもする。今年はスイカやメロンはそれなりに口にしている。そして旨いと思っているようだ。しかし果物というのは曲者で、かなりの糖分が含まれているようでカロリーも高いものが多いようだ。果物だけ食べていればそれはそれでいいのかもしれないが、食事プラス果物という組み合わせは、用心が必要なのかもしれない。新しいというか、呼び覚まされた味覚の芽生えに、ちょっと警戒しなくてはならなくなったことは間違いがなさそうである。
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理解できる世代の消失

2008-08-04 | ことば

 高島俊男の本をパラパラ読んでいると、女という音はきれいだが、女性というとゲエという感じの汚らしさを感じるという話があった。これは和語の音の響きの話なのだが、これについての投書があったらしい。投書した人は女学生の頃の思い出としてエピソードを引いており、女という言葉を使ったら、女性教師からそのように自分を下げずむことをせず、女性を使えと言われたとの由。ついで男性には女という言葉の響きに色気を感じるのかもしれないが…、というような内容である。高島先生は色気という問題は否定しており、そのような時代背景とは関係がない言葉の響きの話であったはずであると書いている。もちろん当時の女性教師の境遇として、そのように考え至るには理解できるが、と但し書きもあったようだ。
 このようなことになると途端に難しくなるものだなと改めて思う。僕は基本的に差別語という言葉狩りの方に問題があるという考えを持っており、その言葉自体には本来は差別的なものが含まれていないにもかかわらず、それ自体を禁ずる無思想の方に問題が多いと思っている。言葉を使う際には文意として差別的な思想があるかということの方がはるかに重要だと当たり前に考えている。女がダメで女性が正しいという考えは、悲しい歴史や体験があったにせよ、まったくの考え違いであることは明確だろう。
 しかし、やはり言われた本人にとって苦痛を伴う単語というのは確かにあるようだ。朝鮮人であっても、日本人から朝鮮人といわれると問題を感じてしまうように。ある程度は理解できないではないが、これもしかし過剰に過敏なんだとは思うが…。
 また、びっこだとかめくらなどの身体の状態の表現も、文章の中だと使いづらくなった。社会問題だと浮浪者とかルンペンも、規制上使えないだろう。馬鹿げているが、馬鹿を相手に戦っても役場思想家には何も分かりはしない(つまり時間の無駄)。
 しかしだいぶ以前にある武道家の人の講演を聞いていて、自分はメガネでちびで最近は禿だが、確かに自分自身もそのことは十分に理解して納得しているにもかかわらず、これを他人に言われると途端に頭に来るのは何故だろうと思う、というような話をされた。これらは差別語というか、つまり罵倒に使われるというか、正直に言って意味はかなり違うとは思うのだけれど、確かにそのようなことはある。対話においてどういう単語の選択をするのかというのは、やはり気づかう必要があるということだ。そのように身体的な欠点ともとれるようなことであれば、たとえそれが本当のことであっても、面と向かっていうことは無神経ということにはなるのであろう。
 僕は男だから対話の上では女に向っては直接に女といわないかもしれない。それは普段気付けているということではなく、なんとなくそうなっているようにも思う。高島先生のいうように女性という響きは汚らしいとは感じはしても、女性であるとか、女の人などと使う方が一般的だ。文章の場合でも、やはり無意識に女ということを単体で使うことは少ないのかもしれない。つまり、だいぶ時代には感化されているわけで、よく考えてみるとおかしいとは思っていても、流れとして抵抗なくそのようなふるまいをしているわけだ。そしてついには女は差別語として定着する日が来る可能性もあるのかもしれない。結果的には響きとして美しい表現であったものは、その美しささえ誰も感じなくなっていくということなってしまうのであろうか。
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子供より親に衝撃

2008-08-02 | 散歩

 花火大会ということで、出かけなくてはならなくなった。家族とではなく一人で。なんだか例年とずいぶん勝手が違って、準備や交通整備とか警備なんかをしなくていいのだけれど、補導見回りをしなくてはならなくなったのだ。結論からいうと、抑止力と(動員の)出席確認のために行かなくてはならないということであると認識している。まあ皮肉を言っても始まらないが、たいして意味のないことだけは間違いはなかろう。
 しかしながら見回りということで少しばかりは散歩の足しにはなるのだろうと、一応は前向き思考で参加する。集合場所では何やら人は集まっているが知った人はいない。早く来すぎて気まずい空気だ。ぼちぼち集まる中に知った顔も出てきて、ちょっとホッとするが、いきなり点呼が始まって、僕の名前が呼ばれたので返事しようとするより先に同じ名字の人が元気よく返事をして何事もなかったような空気があって余計にたじろいでいたら、再度名前を呼ばれて確かにそれが自分らしかった。
 見回りは子供の頃に釣りに行ったような記憶のある馬場先というところらしい。ああ、あそこなら花火はよく見えるだろうと納得して集団で散歩に出た。そういえば懐中電灯を持ってこいということだったのか、みんな手に懐中電灯を持っているのだが、僕は集まるときにもらった団扇だけ持って歩いた。みんな持っているのだからまあいいだろう。学校ごとに腕章を持ってきているようで、なんとなく皆は様になっているというか、補導見回り的ないでたちになっている(ジャージ姿は体育の先生だろう)なかで、僕は完全に浮いているのが自覚できた。まあやる気のなさがにじみ出ているというか。
 そうやって行進して現場に着くと、さっそく花火が打ちあがる。一番奥の防波堤のところから見回ろうかというような事を誰かが言って、ぞろぞろ奥へ進む。車がたくさん止まっていて、終わったら大渋滞になるだろうなあと思いながら奥へ進むと、改造自転車がたくさん駐車していて、なかなか期待に沿う集団がいそうな雰囲気になっていった。それにしてもヤンキーのセンスというのは時代が変わっても愚劣さは変わらなくて、よくもまあ恥ずかしい格好を好き好んでできるものである。この自転車に乗るくらいなら三輪車の方がずっとカッコいいと思うような見事なチョッパーの自転車ばかりになった奥に、中学生の集団がいるらしかった。歓声も聞こえて、先頭に立った先生らしき二人がその奥の方へズンズンと進んでいったのだが、後から付いて行っているはずだった僕らは途中で居残って花火の方を眺めているのだった。二人行ったしいいだろう、的な空気がいきなり醸造されて複雑に驚いてしまったが、僕も結局防波堤の上に座って一緒に花火を眺めたのだから,まったくの卑怯者の一人には違いない。
 そうこうするうち花火は終わり、中学生の集団もワイワイこっちにやってきて各自自作チョッパー自転車にまたがって無灯火で帰って行った。補導集団は懐中電灯を持っていたから、明るく先を照らしてやるのだった。
 さて、残った連中がいないかウロウロすると、いかにもヤンキーというような五人組が材木の上にたむろして座っている。先ほどの威勢のいい先生らしき二人が「高校生?中学生?」と話しかけると、「大学生」と答えていた。「ああそうですか」ということでその場を離れたのだが、本当だったかどうなのかは僕には分からなかった。
 途中で気付いたのだが、花火の途中なのにゾロゾロ帰っていく子供の集団があったのだった。後でつれあいに聞くと10時までに家に帰りつくように指導があっていたらしい。そのためなのか、子供らしい気配がほとんど無くて、花火が始まったのが9時20分だったから、花火が終わった頃にはほとんど補導の対象者などはいないのだった。まったくいないとは言えないのだろうけれど、暗い海岸線の寂すぎる道路を見回って歩いている集団意外に、人なんて歩いていないのだった。
 またかなり衝撃的に驚いたのだが、一緒に補導に来ている人の話では、高校などはこの時期に学習合宿をしたりして、夏越まつりには参加できないようにしているのだという。また(何のかは知らないが)試験なども明日実施するところが多く、祭りどころの状況ではない環境になって防衛しているので、普通の子は非行に走らないのだというのだ。なんという狡猾な親たちよ。子供が悪いというが、こんなにも世の親たちは狡賢く悪い連中ばかりなのかと呆れて声も出なくなった。これで子供の信頼がどうだなどとよくもまあ日頃口に出して言えたものである。それに長年祭に携わってきた人間からすると、基本的には多くの地元の子供たちに、末永く地域を愛してもらえるように、楽しい思い出になるような祭にしていきたいということで、汗だくになって頑張ってきたのである。こんな形で仕打ちを受けていたなんて、夢にも考えたことがなかった。いったい僕らは、何を守ろうとしてきたのだろうか。
 そういうことを聞きながら見回っていた訳だが、僕らの横を原チャリ二人乗りノーヘル・カップルが追い越してゆくのを力なく見守って、補導は各自解散と言われた。花火大会が始まるのが遅すぎるから、物好きしか集まらないんだよね、という声を聞きながら、お疲れ様と挨拶してその場を後にした。万歩計の歩数は伸びていて、それだけが心の支えになっていた。
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若き勇者たち

2008-08-01 | 映画
若き勇者たち/ジョン・ミリアス監督

 だいぶ以前に観た記憶がかすかにあるが、ほとんどというか全部と言っていいほど忘れていた。当時はつまらん映画だと思ったように思うが、なんでまた観る気になったのだろう。しかし今になってこの設定はかなりきついようにも思うが、かえって夢物語で面白くも感じた。以前には深みなどまったく感じなかったように思うが、今回はそれなりに面白いと感じたので、年をとるというのは不思議な現象である。
 高校の授業中にいきなりパラシュート部隊が降ってきて、そのまま町が占拠されてしまう。第三次世界大戦が始まってしまったようだ。高校生の数人がピックアップトラックに乗り込んで山の中に逃げる。紆余曲折あって占拠している共産勢力にゲリラ攻撃を仕掛けていくことになる。
 リアリティがないのは今となっては冷戦が終わってしまったからだが、その今であってもアメリカの一部の町が他国の軍隊に占拠されるという発想はなかなか面白いのではないか。最初は家族や仲間が殺されて、純粋にその復讐のためにゲリラ攻撃をしていくのだが、仲間から裏切られたり、だんだん戦友を失ってゆき、当初は考えもしなかった複雑な感情を押し殺しながら、それでもゲリラ活動をやめるわけにはいかなくなっていく。
 右翼的思想を批判されるジョン・ミリアス監督だが、なかなかどうして、それなりに公平な視点で物事を捉えていて、中南米の軍隊の兵士の様子まで描きだしたりしている。戦うべきときに戦うという勇ましさのメッセージも確かにあるけれど、組織の腐敗や戦争の無意味さも上手く描き出している。巻き込まれて翻弄される人間という姿を架空の戦争でここまであぶりだしたというのは、非凡なる才能ゆえであろう。
 この映画ではアメリカ側の立場ということなんだけれど、実際のテロリストたちはゲリラで戦う被害者の高校生たちと同じような心情であるということも、少し考えるとわかることではないか。アメリカは暴力国家を制裁しているつもりだが、このように殺戮を行っていることには違いがない。理由はなんであれ、一方的に家族を殺された人間にとって、復讐心がわくのは人間的に自然の感情なのかもしれない。しかし、ゲリラやテロで抵抗したとしても、残される感情はどのようなものになるのか。最初は成功続きで士気も上がって良かったのだが、実は自分たち自身の手を染めた血は、自分自身も苦しめていくことになってゆく。
 単なる勇ましい正義感と愛国心の映画だというわけでなく、結果的に反戦映画なのではないかと思わせられることになった。ミリアス監督の意図として、そのような意味があることは間違いないのではないか。結局巷間の評価などというものは、印象やうわべだけのものにすぎない。いや、映画会社に監督の意図とは別の売るための思惑がこの映画のメッセージを歪ませてしまったのかもしれない。大傑作とまでは手放しで言えないにしろ、戦争映画としてなかなかの佳作であると思ったのであった。
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