カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

子供より親に衝撃

2008-08-02 | 散歩

 花火大会ということで、出かけなくてはならなくなった。家族とではなく一人で。なんだか例年とずいぶん勝手が違って、準備や交通整備とか警備なんかをしなくていいのだけれど、補導見回りをしなくてはならなくなったのだ。結論からいうと、抑止力と(動員の)出席確認のために行かなくてはならないということであると認識している。まあ皮肉を言っても始まらないが、たいして意味のないことだけは間違いはなかろう。
 しかしながら見回りということで少しばかりは散歩の足しにはなるのだろうと、一応は前向き思考で参加する。集合場所では何やら人は集まっているが知った人はいない。早く来すぎて気まずい空気だ。ぼちぼち集まる中に知った顔も出てきて、ちょっとホッとするが、いきなり点呼が始まって、僕の名前が呼ばれたので返事しようとするより先に同じ名字の人が元気よく返事をして何事もなかったような空気があって余計にたじろいでいたら、再度名前を呼ばれて確かにそれが自分らしかった。
 見回りは子供の頃に釣りに行ったような記憶のある馬場先というところらしい。ああ、あそこなら花火はよく見えるだろうと納得して集団で散歩に出た。そういえば懐中電灯を持ってこいということだったのか、みんな手に懐中電灯を持っているのだが、僕は集まるときにもらった団扇だけ持って歩いた。みんな持っているのだからまあいいだろう。学校ごとに腕章を持ってきているようで、なんとなく皆は様になっているというか、補導見回り的ないでたちになっている(ジャージ姿は体育の先生だろう)なかで、僕は完全に浮いているのが自覚できた。まあやる気のなさがにじみ出ているというか。
 そうやって行進して現場に着くと、さっそく花火が打ちあがる。一番奥の防波堤のところから見回ろうかというような事を誰かが言って、ぞろぞろ奥へ進む。車がたくさん止まっていて、終わったら大渋滞になるだろうなあと思いながら奥へ進むと、改造自転車がたくさん駐車していて、なかなか期待に沿う集団がいそうな雰囲気になっていった。それにしてもヤンキーのセンスというのは時代が変わっても愚劣さは変わらなくて、よくもまあ恥ずかしい格好を好き好んでできるものである。この自転車に乗るくらいなら三輪車の方がずっとカッコいいと思うような見事なチョッパーの自転車ばかりになった奥に、中学生の集団がいるらしかった。歓声も聞こえて、先頭に立った先生らしき二人がその奥の方へズンズンと進んでいったのだが、後から付いて行っているはずだった僕らは途中で居残って花火の方を眺めているのだった。二人行ったしいいだろう、的な空気がいきなり醸造されて複雑に驚いてしまったが、僕も結局防波堤の上に座って一緒に花火を眺めたのだから,まったくの卑怯者の一人には違いない。
 そうこうするうち花火は終わり、中学生の集団もワイワイこっちにやってきて各自自作チョッパー自転車にまたがって無灯火で帰って行った。補導集団は懐中電灯を持っていたから、明るく先を照らしてやるのだった。
 さて、残った連中がいないかウロウロすると、いかにもヤンキーというような五人組が材木の上にたむろして座っている。先ほどの威勢のいい先生らしき二人が「高校生?中学生?」と話しかけると、「大学生」と答えていた。「ああそうですか」ということでその場を離れたのだが、本当だったかどうなのかは僕には分からなかった。
 途中で気付いたのだが、花火の途中なのにゾロゾロ帰っていく子供の集団があったのだった。後でつれあいに聞くと10時までに家に帰りつくように指導があっていたらしい。そのためなのか、子供らしい気配がほとんど無くて、花火が始まったのが9時20分だったから、花火が終わった頃にはほとんど補導の対象者などはいないのだった。まったくいないとは言えないのだろうけれど、暗い海岸線の寂すぎる道路を見回って歩いている集団意外に、人なんて歩いていないのだった。
 またかなり衝撃的に驚いたのだが、一緒に補導に来ている人の話では、高校などはこの時期に学習合宿をしたりして、夏越まつりには参加できないようにしているのだという。また(何のかは知らないが)試験なども明日実施するところが多く、祭りどころの状況ではない環境になって防衛しているので、普通の子は非行に走らないのだというのだ。なんという狡猾な親たちよ。子供が悪いというが、こんなにも世の親たちは狡賢く悪い連中ばかりなのかと呆れて声も出なくなった。これで子供の信頼がどうだなどとよくもまあ日頃口に出して言えたものである。それに長年祭に携わってきた人間からすると、基本的には多くの地元の子供たちに、末永く地域を愛してもらえるように、楽しい思い出になるような祭にしていきたいということで、汗だくになって頑張ってきたのである。こんな形で仕打ちを受けていたなんて、夢にも考えたことがなかった。いったい僕らは、何を守ろうとしてきたのだろうか。
 そういうことを聞きながら見回っていた訳だが、僕らの横を原チャリ二人乗りノーヘル・カップルが追い越してゆくのを力なく見守って、補導は各自解散と言われた。花火大会が始まるのが遅すぎるから、物好きしか集まらないんだよね、という声を聞きながら、お疲れ様と挨拶してその場を後にした。万歩計の歩数は伸びていて、それだけが心の支えになっていた。
コメント (3)
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