カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

反省しない方が健康だ

2008-08-22 | 時事

 たまたま職場のテレビで沢尻エリカが出ていた(というか報道されている?)ので、パッチギの時は彼女は可憐だったなあ、と呟いたら、まわりにいた女性陣が一斉に「でもねえ」という。ああ、エリカ様のことかと思って、あれぐらいは性格の問題だからいいんじゃないのというと、それなら最初から謝らなければいいのに、と更に冷ややかな声もでた。そういえば今(テレビに)映っている報道も批判的みたいだ。不機嫌なところはなかなか面白くてみんな楽しんだくせに可哀そうだなあと思うが、すっかり悪役キャラクターになったのだろうか。そういえば山本モナ(実は顔が分からないが)なんかも、僕には非常に好感が持てる人なのだが、この人の話の時も「でも不倫はよくない」と猛烈な非難を浴びたのだった。いや、そういう意味じゃなくてさ、懲りないところが人間的というかさ、なんだかいい人だなあと僕は感じたのだけれど、やはりそうは感じてもらえない人みたいだ。
 テレビに出ているタレントさんというのは、私生活でもいい人を演じなければならないのだろうか、と僕は思っている。そりゃいい人にこしたことはないんだろうけど、幻想を売り物として提供している立場の人なんだから、それなりの変人であったほうが、せっかくの自由人として生きていく上でいい見本になるんじゃなかろうか、と思うのである。外国(おもに米国)の芸能界スキャンダルなんかから漏れ伝わるところで感じていたのは、その絶大なる異常ぶりや破天荒なパワーの大きさだ。人間が欲望のままに生きると、これだけ変なことができるんだということで、僕は不思議な活力がわいてきて愉快なんだけど、そのために芸能スキャンダルにみんな群がっていると思ってたんだけど、違うんかいな。逆に最近の日本のメディアの報道ぶりというのは妙に潔癖で、なんだか気持が悪いのである。だから僕は基本的に日本のバラエティは見ない。不機嫌になるために情報を得ても仕方がない。しかし、職場の狭い範囲の空気から読んでいくと、やはりこれは世論の要望なのかもしれないとも思う。なんでそんな要望があるのかはまったく僕には理解不能だが、ひょっとすると、思いきりみんなで誰かをいじめる快感のようなものがあるんじゃなかろうか。まあ確かに政治に愚痴を言うようなものも似たようなところがあるようで、立場によっては誰かの利益は誰かの不利益の上に成り立っているわけで、あいつらは馬鹿だと公然と言えるのは、鬱憤晴らしといえなくはない。いやしかし、芸能人は人気商売なのだから(政治家もそうかも)客の好感を得ていなければならないという意見もあろう。まあ、ごもっともだけど、いじめて面白い対象とは思えないだけの話かもしれない。少なくとも僕は芸能人だから公然といじめの対象になっていいとは思わない。そういうものに負けないように異常なところへ暴走させているのかもしれないとさえ思う。負けてしまうとどのようになってしまうのかというのは、言わなくてもわかるだろう。まあしかし、人間というのはもともと残酷な性分があるのは仕方のないことで、お互いにガス抜きの存在を必要としているということなのだろうか。沢尻エリカと山本モナには、すでにこの世界でなければ生きられないのではないかとも思われ、世間の風にも負けずに頑張ってもらいたいものである。僕が味方になったところで、何にも力になれないのは残念だけどね。
コメント (3)
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