カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

石鹸買いますか?

2008-08-14 | 雑記

 筒井康隆の小説を読んでいると、老人の家には石鹸がたくさん溜まっていて上等のやつから惜しみなく使っても恐らく死ぬまでには使い切れないだろうというようなことが書いてあった。なるほどそんなものかもしれないな、と思っていたのだが、母に聞くと石鹸は買わなければとても足りないし、実際に時々は買うのだということだった。老人でも男と女は違うのだろうかとも思ったが、確かに母の言うことの方が本当らしく、今は石鹸の時代でさえないのかもしれない。
 先日職場での中元の分捕り会があって、ありがたくいただいた中元の品を分配した。その中には確かに石鹸がひとつもなかった。どれぐらい以前だったか確かな記憶はないが、いつからこのようなことになったのだろう。
 つれあいに聞くと、だいたい今の子供は石鹸を使いたがらないのだということだった。あれはなんという方式なのか知らないが、ポンプ式の泡が出たり石鹸水のようなものが出たりするようなものが主流になっており、石鹸だと申し訳程度にしかこすらないのでかえって不衛生なのではないかということだった。すぐに泡が出ないと子供は諦めてしまうのだろうか。
 だから石鹸に復権を、と言いたいわけではない。僕はいまだに体を洗うにも洗顔(あんまりしないが)にも石鹸を使うことのほうが普通だ。時代の流れにまったく気づかなかったといっていい。そういえば忙しくて家に帰らないような日々が続くと、石鹸の消費が減っていないようにも感じたし、逆に石鹸が切れても補充されるのに時間がかかっていたように思い当たった。家庭内でも僕ぐらいしか石鹸の消費をしていなかったのかもしれない。さすがに今はシャンプーを使うことが当たり前になって久しいが、以前は髪も石鹸で洗っていたぐらいの石鹸派だったのだけれど、いつの間にか僕も消費について不熱心になってきており、出張先では洗顔フォームを使うこともあるし、髭剃りにもシェービングクリームなどを使っている。化粧は仮装大会のときやパンクライブの時はやっていたけど、このように石鹸を使っていたものを多様化して別のものを使うという行為は、ある意味で日常の化粧化現象のように思われないではない。消費の多様化というのは、知らないうちに進んでしまうものだということなのだろう。石鹸という一見閉鎖的に思えるような商品の世界にも、既に大きなイノベーションが起こってしまっていたのだということに、まったく気づいていなかった。
 ためしに家にあるボディソープで体を洗ってみると、たくさん泡が出てなかなか気分がいい。これだけの泡を楽しむには、石鹸をタオルに何度ゴシゴシ押し付けなければならなかっただろうか。僕は素直に石鹸に別れを告げて、イノベーションに身を任せることにしようと思ったのだった。
コメント
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