カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

活字狂想曲

2008-08-12 | 読書
活字狂想曲/倉阪鬼一郎著(共同通信社)

 会社勤めに向かない人は多いのだろうとは思う。本人にとっても不幸なことには違いないが、それはそういう人に勤められた会社にとっても不幸なことだ。書いている本人もそのことには自覚的で、しかし分かっているにせよ、自分の性格は早々直せるものではないらしく、最小限の譲歩はしているようだけれど、極めてわが道を行くことは守りぬいているように見える。まあ、後に作家になることを割り引いても、こんなことは長くは続かないことは、重々理解した上での日常だったのではあるまいか。もしくはそのまま勤め続けていたとしても、何か大きな犯罪への引き金になってしてしまったかもしれないというような、非常にアンバランスな均衡の上に何とかふらふらなりに立っていたというような危なっかしい面白さがユーモアたっぷりに描かれていて、正直言ってかなり笑える物語である。ちょっと爆笑し過ぎて人前で読んだりするには苦労しそうな気もするが、それぐらいの苦労は楽しみの前に仕方のないことだろう。怪訝に思われても素直に笑うより仕方がないだろう。
 それにしてもその屈折ぶりには呆れてしまうのだが、しかし不思議と大いなる共感に満ちた気持ちになるのが不思議である。いや、日本社会の縮図というか、会社という組織の不条理な世界において、人々はいかに屈折を強いられながら生きていかなければならないことか。そういう実は不条理に対して真っ正直に戦っているようにも見える主人公(著者)に対して、このまま頑張ってほしいというような不思議な感情が湧いてくるのである。主人公も変なエリート意識が過剰で協調性のかけらもない問題の多い性格であることは間違いなく、そのこと自体がかなり可笑しいのだけれど、しかしその彼に対する会社側の腫れものに障るような緊張感が何ともいえず面白い。お互い困ったことになっているが、主人公自体は全く仕事ができないというわけでもなく、時には至極まっとうなことをしているだけなので、なんとなくというか、事件は起きるがそれなりにおさまってしまう。むしろ会社の中には彼以上に変な人間はたくさんおり、変でありながらやはり変なバランスをとるような流れが生まれ、あるものは潰され葬られることもあるにせよ、それで何とか成り立っている社会が会社という場所なのかもしれない。それにしても時には傲慢で慣習的な横並び社会と、不条理な縦社会倫理のまかり通った非情で馬鹿げた閉塞感の漂うエピソードの数々が、心の隙間を寒くするようなことも多く、日本人が生きていくということの痛切な批判になっているのは見事という気もする。このような社会の中で生きていかざるを得ない日本人は、極めて運命的に不幸を背負わされているというようなことも言えるのかもしれない。
 結果的にはじき出されるよりなかった変な人間の方が、実は人間的な正直な姿なのではなかったかという感想さえ持ってしまって、しかしそれではやはり困ってしまうのは自分自身(読者)という不幸にならないように注意されたい。(080812)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする