カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

流れる星は生きている

2008-08-08 | 読書
流れる星は生きている/藤原てい著(中公文庫)

 なぜか本棚にあって(買っていたのだろうから当然だが)手に取ったら止まらなくなった本である。面白いというのではなく引き込まれるという感じかもしれない。書いている本人は生きているので記録が残せたはずだから、結果的には引き揚げてきたということが分かっているにせよ、いったいどうなるのか予断を許さない展開というか、絶望の世界にあってどうなってしまうのだろうということが気になってページを置くことがなかなかできない。夫の新田次郎は読んだことがないが、夫があってこの文章が世に出たのだろうことは想像できるが、やはり書かれるべくして、世に出るべくして生まれた本であることは間違いがない。後に息子も有名になるが、このような体験を経たのちにあのようなユニークなキャラクターになったのだと思うと、人間というものは分からないものだなと改めて思うのだった。
 僕の住んでいるところは長崎県の小さな町だが、長崎県の特徴として原爆教育がある。ほとんどの小中学校は9日は登校日になっているだろうし、子供の頃にはこの日は戦争の話を聞くということが当たり前だった。ずっと後になって他県の友人に長崎は変わってるんだねと聞かされて、初めて他所では特にそのような戦争についての教育があまりないことにかえって驚いたことがある。おそらく広島や長崎以外のところでは、このように熱心に繰り返し戦争の体験記などを聞かされる機会は少ないのかもしれない。それでどうだという気はさらさらないが、僕自身は長崎にたまたま生まれたことは個人的にいいことだったのかもしれないとは思っている。
 いまさら戦争の体験を進んでするわけにはいかないのだが、戦争体験のない人たちが多数になってしまった世の中では、本当の戦争について分からなくなるのではないかという不安がないではない。知らないというのは愛の反対だそうだから、愛のない世界に近づきつつあるということなのか。しかし、本当の生の声は聞こえないにしろ、多くの戦争の記録は残っている。本というのは手に取る人次第の体験である。戦争を知らないまま生きていくことの困難を思うと、やはり多くの人に手に取ってもらいたい本ということになるだろう。
 もちろんベストセラーにもなったというから、多くの人が既に読んだはずの本である。戦闘の悲惨ということを記録してある戦争の話ではないが、戦時下にあって人はどのように翻弄され、どのような考え方をするのかということが、克明に描かれてある。将来に希望があるわけではないが、何とかして生きなければならない。乳飲み子を含め子供を抱えたままどのような思いで本土の土を踏もうとするのか。極限状態での女の強さと弱さ、まわりの人間のどのような内面が現れるのかという残酷さ。異常な世界にあって人間という生き物がどのような行動をとるのかということは、同じ人間として知っておいた方がいいと思う。誰が悪いということではなく、このような環境に人間を巻き込んでしまう戦争というものを、嫌というほど考えることになるだろう。
 今年の夏も暑いが、外には夾竹桃の花が実に見事に鮮やかに咲いている。そしてこのような暑い夏に戦争は終わった。しかし、戦争が終わった後にも、人間の地獄の世界は続いていた。暑い夏が過ぎてすべてを凍らせる季節になっても、本当には戦争は終わっていなかったのである。終わりの見えない残酷な拷問を強いるのが、戦争というものの正体である。このことは正義を語る前に知っておくべき体験の世界なのだと思う。
コメント
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