この世界に残されて/マルナバーシュ・トート監督
言語がよく分からず、これはドイツ近辺のどこの国だろう? と思いながら観ていた。答えはハンガリー。最初から知っていた方が、都合がいいと思う。少なくとも僕のような無知な混乱に捉われる必要がなくなる。
先の大戦終了後少しだけ時間が過ぎている。ホロコーストなどの虐殺から生き延びた14歳のクララは、頭はいいが気難しい。体調も不良で婦人科の診断を受けると、そこの医師が42歳のアルドで、彼もまた家族を失いながら生き残ったユダヤ人だった。クララはアルドに近づき、亡くした家族や父の匂いなど、さまざまなものを求めるようになる。引き取ってもらった叔母とも自分の我の強さのためか、生活が上手くいっておらず、もちろん学校の先生とも険悪である。最初はアルドも戸惑いの方が大きかったのだが、問題は多いが一途に慕って来るクララのことが気にかかり、共同生活というか、事実上の同棲生活を始めることになった。もっとも歳の違いもあるし、倫理的な分別が取れるという確信を持ってのことだった。しかしながらセックスなしではあるものの、一緒に傷を温めあうようにしてベッドを共にして寝ている訳で、最初は疑似親子の間を埋めあうような感覚であったものが、クララの成長とともに、何かが変化していく。そうして時代も共産主義的な締め付けが強くなっていき、クララとアルドのような微妙な人間関係が、社会的に許されなくなっていく空気が漂い出すのだった。
後半はやや唐突に物語は進んでしまうので、ちょっと面食らってしまうところはあるし、整理するのは結構難しいものかもしれない。しかしながらそれまでがそれなりに丁寧に描かれているので、静かながらもその心の底にあるのだろう葛藤が、見事な余韻として残る作品だ。僕はショックを受けて、翌朝まで心のモヤモヤが晴れなかった。なんという人の一生だろうか。そうして純愛というのは何なのだろうか。ましてや年の差というのは何なのだろうか。
もちろん、食事やアイロンがけのような日常の様々な場面で、どんどん二人は危うくなっていくのだが、それはそれで自然だし、そういう方向は必然でもあるような感じだった。廻りの目があろうと、現代社会なら平気だという感じにはなるだろう。むしろ多少イタイ感じもするかもしれないが。
しかしこの映画そうならないからこそ、深いこころの傷が、結果的には残るのである。激動の時代が無ければ二人は出会うことも無かったかもしれない。その限られた条件下で、二人は激しく燃え上がるものを感じていたのだ。そうしてそれはやはり、その時代や個人には許されることでは無かったのだ。
残酷だが見事に美しい映画である。そしてひとは嘘つきなのである。