カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

外国人力士が悪いのか

2006-09-24 | 雑記
 最近は外国人力士が増えた。最近と言わず、もうずいぶん前からそうなのだけれど、特に最近は、という物言いをする人が多い。確かに東欧の力士などもおり、一時のハワイ、モンゴルとは限らなくなった。だから最近の外国人が増えたという印象は、勝手にそういう外国人の多様性の意味だと解釈している。
 しかしながら、だから相撲が面白くなくなった、という論調には、同調できない。国技に日本人が勝てないなんてと嘆く必要がどこにあるのだろう。日本人だけがやらなくてはならない競技なんて、単なる井の中の蛙ショーである。ましてやプロレスじゃないんだから、外国人が悪役と思い込んではならない。こういう多様性こそ、本当に国技を高めている要因なのではあるまいか。
 よく実際の取り組みを見てみるとすぐにわかると思うが、一時期の大型化一辺倒の時代より、技の切れもあり、スピードとパワーも混ざり合い、なかなか面白い。相撲中継は夕方(BSだと朝からやっていたりするが)なので仕事に差し支えるため、泣く泣く見ないようにしているけれど、ちょっと見だすとなかなかやめられない面白さである。ミーハーなだけのファンも減って、コアに相撲を楽しむ姿勢でのめりこむファンもいるのではないかと思う。それぐらい今の大相撲は、格闘技として充実しているのではないだろうか。特に強すぎて憎らしいぐらいの朝青龍であるが、力もスピードも技も、実にすばらしい充実ぶりである。これぐらい強い人を同時代で見ることができるというのは、幸せなことなのではないだろうか。
 僕が外国人力士に好感を持っていることは、そういうことだけではない。何より彼らは日本語を話すということだ。たとえば野球などでは日本で長くプレーした外国人助っ人なども大勢いるが(こちらのほうが歴史が長い)、日本語だけでインタビューに答えている姿を見た記憶がない。一方で力士のインタビューなどを見ていても、力士というのはあんまり雄弁ではないにしろ、ちゃんと日本語で受け答えしている姿に思わず胸を打たれてしまう。なんと真摯な姿勢なのだろう。こういうまじめでひたむきな態度の人たちを前にして、外国人力士と一緒くたに断罪している日本人は恥ずかしくないのだろうかとさえ思っている。ただでさえちょっとした言動にも排斥されやすい立場でありながら、黙々と毎日稽古を重ねながら実力で力をつけている力士達を、外国人だからという理由だけで軽々しく叱責する姿勢は卑怯である。
 外国人が増えて面白くないと思っている人は、もう少しまじめに相撲そのものを見たほうがいいと思う。印象や偏見を取り除くのは、まずそのものを見る姿勢にあると僕は思う。その上で、相撲という競技自体が面白くなくなっているとしたら、相撲の将来は暗いであろう。同じく、日本人自体が面白くなくなっているとしたら、日本の将来は暗いということと同じなのではないか。嘆いている人たちの多くは、逆説的にちょっとやばいんじゃないかと心配である。

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