カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

リア充定義変遷

2014-12-29 | ことば

 リア充という言葉は古いものではないが、しかしそれなりに新しい言葉としては、十分に定着しているような印象を持っている。しかし、意味というのはあんがい広くなっているような感じである。もともとは恋人の有る無しから始まり、その恋人なりパートナーなりとの恋愛の出来事の多寡や生活の質のようなことを含んでいるようだった。恋人がいなければリア充でないという分かりやすい人は、むしろ最初のふるいで脱落してそのまま分類上登場しないものだと思っていた。その先の充実度の話においては様々なものがあるから、それが本当かどうかというのはともかく、要するにラブラブ度のような情熱度が高ければそれで上位の人という単純性があったようにも思う。しかしながらそのような人がわざわざリア充の下位の人と付き合えるほど暇であれば、自慢だけの疑わしい存在となる。リア充の人は、遠くにありて思うもの、というのがつまるところ正しい解釈のようにも感じる。まあ、そういうのはある程度の若い人限定のことだろうが…。
 ところが、というのが、現在のリア充というのは、単に恋人との関係性を以っていうものではないらしいと最近聞いた。それというのも野外活動の有無でこれを語っているらしい人が少なからずいるのだ。要するにひきこもりで無いか否かというのが一つの基準らしい。バイクで仲間とツーリングするのも良いし、バイクでなくとも旅行なんかは普通に含まれそうだ。夏フェスなんかを挙げる人もいるし(マイタウンでは少数派だろうけど)、夏のバーベキュー、キャンプや花火もそれらしい。冬の今からなら忘年会なんかも指しそうだし、要するに一人きりにならないで、寂しくないで、仲間とウェーイ!というのがリア充の定義になっているらしい。もちろん前からそういうことを指していた可能性もあるが、僕は単純にこの中に異性の含まれた青春の息吹が無ければならないと勝手に思っていた。たとえば男同士で鍋を囲んでもウェーイ!とはなるだろうけど、リア充とは言えないような偏見を持っていた。ところがこれは完全にリア充上位に今はある可能性がありそうだ。正確な言葉の意味なんて、特に新語にはブレがあって当然だが、ちょっと不思議な感じすらする。
 ところでそういうことは正当なリア充には違いないながら、実は一人でも狭義ではリア充になっている場合もあるらしいのだ。確かに一人で釣りに行ってもウェーイ!だろうし、プラモデルが完成してもウェーイ!なのではある。茶店でまったりしても、気分のいい人もいるかもしれない。ということで、一人でもリア充に入れていいという声があるんだが、しかしそれはあえて入れない方がいいのじゃないかとも思う。別に少子化を憂いて言っているわけではなく、あまりに定義の範囲が広くなりそうで意味が無いような気がするからだろう。雰囲気として用いているウェーイ!の感じも偏見かもしれないが、男同士ならそれも楽しいが、さらに一人というのは、やはりどうもそういう感じとは違う充実を指しているのではないか。楽しいが少しそういうこととは別の個人体験であって、外してやった方がいい。さらに楽しいけれどよく考えてみるとやっぱり少し悲しい方が、僕には感覚として好ましい。
 以前公園で一人でサンドイッチを食べていたら、いきなり男女の集団が集まって、キャッチボールを始めて、そうしてがやがやとソフトボールをやっている風景にぶつかったことがある。あれは学生のサークル仲間か何かなのかとも思うが、なんだかいいな、と思ったことだ。ああいうのをできない人もいるとは思うのだけど、リア充上位としては、まさに見本のような眩しさだった。でもまあ、僕は見ているだけでいいんだけどね。
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