カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

欲望は思うようにならない

2014-12-28 | net & 社会

 ちょっと前に東京駅100周年限定suica事件というのがあった。テレビのニュースで見たときは、とにかくJRの対応がけしからんという一点に収斂された報道姿勢で、多くの人々の不満や怒りをそのまま流していた。結局JRは考えも甘いばかりか対応も何もひどい会社だという印象を植え付けるためにやっているように見えた。
 後日普通にネットでニュースを見ていると、このsuicaを買い求めて苦情を言っている人にプロ市民的というかテレビ局のヤラセ・タレント的な人がいるという話題に変わっていた。相変わらずテレビは胡散臭いぜ、ということのようだ。背景にはテレビのコメントで不特定の人を放送することが難しくなっているということがあるという。さらに言うと、テレビの都合で話してくれる人を探すより、ヤラセをした方がそれらしいということに過ぎないと思われるのだが、そもそも多数の声を拾っているように見せかけて、一定の意見を言わせたいというヤラセ構造なのだから、要するにそういうことに行きつくより無かったということではないか。街頭の声を放送で流す必要性は、テレビの製作者の意図以外では必要性など何もないのだ。彼らに少しでも勇気や信念があれば、自分たちの声をそのまま流せばいいだけの事ではなかろうか。
 そういう具合に経緯が流れていると思っていたら、JRがsuica購入希望者には、全員が買える処置をとることにしたという発表があった。限定発売だったからダフ屋やオークションで高騰していたそうで、それは既に知っていたが、今度はそういうところから買った人から払い戻し言動の行き過ぎということがネットで話題になっていった。安易に行動した馬鹿が騒いでいるという揶揄である。
 限定商品に並んでいた人がすべてそうだとは思えないが、やはり欲しいというマニアのような人が多かったというより、投機目的で購入に走っている人が一定以上いたことは間違いなかろう。さらに騒ぎが大きくなったので、一時的に大きなバブルに成長した。売り抜けた人は利ザヤが大きくなったが、一転してことの大きさに限定発売という枠まではじけてしまった。最初にあったルールが変わったために戦いが変わってしまった。そうすると、現実には純粋に欲しい人には一定の恩恵であるはずの判断が、実は多くの人の失望となる最悪の結果を招いてしまったということになる。
 人間の欲望とそのことが招く幸不幸の縮図の、コントラストのはっきりした事件だと思いました。
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