カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

梅の不作

2024-07-14 | Science & nature

 ニュースをみていると、梅の産地である和歌山では、記録的な不作なのだという。今年の冬は暖冬で、花が早く咲いて、雌しべが短くなるなどして受粉がうまく行かなかった。さらに春先に雹の降る被害もあり、未熟な実が落ちただけでなく、傷もついた。数も少ない上に、実のきれいなものも少なくなり、例年より高値になっているという。
 別段梅を漬ける家庭では無いので、今のところ実害は無さそうではあるのだが、先に梅干し自体が高値になるという事でもあろうし、数自体が希少になっていくかもしれない。よく知らないが、何年も在庫で漬けているようなところは、商売のチャンスかもしれない。
 実は梅が不作では無いかというよりも、自宅の梅がほとんど実をつけていないことには気づいていた。梅はずいぶん寒い時期には既に花をつけるもので、確かに暖冬というのもあったかもしれないが、ふつうに2月ころには咲いていた。以前からこんな早くに咲くのであるから、春の昆虫以外でも需要があるのかもしれないとは考えていた。梅の樹には鳥が結構やって来るので、そういう動物なんかも、受粉と関係があるはずである。雌しべの長さを気にしてなかったけど、それらの鳥の行動に合わない花の咲き方をしたということなのかもしれない。僕はてっきり何か害虫的な虫が付く時期があったのかもと疑っていた訳で、これが全国的なこととは思ってなかった。また庭の梅の木は、選定などの手入れはまったくしてない。母がまだ若い頃に植えた木だと思うので、梅の木自体が弱ってしまったのかもしれないとも思っていた。梅の実がたくさん生っているのは、風物詩ではあろうけれど、放っているのですべて落ちてしまう。なんとなく無駄にしているようで、心が痛まないではない感じでもあった。地面に落ちた梅は黄色から赤っぽい色に変色し、だんだんと腐ってしぼんでいく。そうなるともう近寄りもしないので、終わったな、と思うと梅雨も明ける、という感じだったろうか。これを書いている時期は、まだ梅雨入りさえしてないのだけれど……。
 子供のころには、この梅をたくさん漬けて、時折ザルに干していた。実際梅干はそうやって干すのである。最初に漬け込む作業は母がやっていたのでよく覚えていないが、干す作業は手伝っていたように思う。時期的に雨が多くなるころだから、雨が降りそうになると部屋に干した梅を取り込まなければならない。さあ降ってきた、となると、ワーッと言って梅を干したザルを運ぶ。なんだかそんなことが楽しかったような……。あとは大きな瓶に詰めた梅が、シソの赤色に染まっていくのをときどき眺めに行く。梅干は酸っぱい訳だが、眺めているだけで、なんだか口の中が酸っぱくなっていくような気分になったものである。塩分の加減の所為なのか、自家製の梅は、買って来るものより特に酸っぱいのであった。
 朝ごはんの締めには、一粒の梅干を食べている。高騰したら食べられなくなるのだろうか。代替品が出回るのだろうか。まだわからないが、やはりありがたいものなのかもしれない。
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