カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

親子関係は殺さなければ逃げられない   母という呪縛 娘という牢獄

2024-03-19 | 読書

母という呪縛 娘という牢獄/齋藤彩著(講談社)

 河川敷に両手両足頭部の切断された、胴体のみの腐敗した遺体が発見される。すぐに近くに住む31歳の女が疑われ逮捕される。彼女は母娘二人暮らしのはずだったが、母親の行方が分からない上に、DNA鑑定で母の遺体であることが断定された。死体遺棄は認めたもののの、当初殺人は否定、その後発言を覆し殺人をも認め、二審にて懲役10年の判決を受け服役することになった。娘は既に31歳になっていたが、医学校合格を目指し9年の浪人生活後に看護科に学び、既に働きだしたばかりだった。娘が母を殺した動機は、激しい受験に絡む母娘関係の葛藤があった。その地獄のような日々の記録が、克明に明かされるのが本書である。
 いわゆる教育ママの行き過ぎた家庭生活の話なのだが、母娘関係の奇妙な深いつながりがあって、娘は従わざるを得ない牢獄と地獄の生活を強いられることになる。父親は仕事の関係もあるが、母親とはほとんど関係を断絶し、20年も別居しており不在だった。娘も高校生の後半ごろには多少の反抗も見せ、家出なども数回実施するが、その都度母の雇った探偵などの手段により連れ戻されることになった。母親の管理はまさに軌道を逸しており、激しい叱責や虐待が見られた。また、祖父母から支援や受験のための資金を得るために、奇妙な嘘を共同でついたりしていた。携帯電話などを通じたlineの文章のやり取りや、刑務所内から本人の手紙のやり取りなどから、その親子関係の激しい言葉の記録が明かされる。ちょっと現実のものとは思えないような地獄の日々でありながら、何故この関係が続いていかなければならなかったのか、考えさせられることになる。
 逃げられなかったのは、母娘関係だったからだろうか。娘は母からの長時間にわたる叱責に耐えながら、なにか精神に異常をきたしていたのではないか。成績の悪かったテスト用紙の改竄や、バスの回数券に偽造など、後にバレてしまうにもかかわらず(しかも犯罪が含まれている)、実に安易と言わざるを得ない偽装を、娘は繰り返す。これだけの苦しみがあるので、致し方ないとも思えるのだが、それにしてもあまりに計画性が薄い。母親を殺したことすら仕方がないような気もするのだが、バラバラにして遺棄して見つからなくする方法は正しい(あえてそういう方法があるのであれば、という意味である)とは思うが、肝心の胴体は、ちゃんと見つからないように埋めるべきだったはずだ。手足や頭は、ちゃんと業者が燃えるごみとして引き取り、処理されていた現実を見ると、なんとも中途半端である。母のラインの文面をまねて返事を書き、母の友達とやり取りをして、居なくなった後も偽装して分からなくなっていた(それが捜査上の証拠として、逮捕につながっていたわけではない)ことを考えても、やることがどこかちぐはぐである。見つかるべき事件として、露見したに過ぎない感じである。
 事件の猟奇性も相まって、非常に悲しいケースだが、ここまでの結末に至る経緯は、あるいは一般性があることなのではないか。いや、異常には違いなく、ここまではさすがにない話だろうとは考えられるものの、家庭内の虐待というのは、このような異常性を内包しているものが、結構あるのではないか。親子の関係というのは、残念ながら簡単には切れはしない。そのことが、この事件の原因の最大の問題点では無いのだろうか。
 恐ろしいドキュメンタリーだが、この問題は、まだどこかに隠れていることは間違いないと思う。そういうことを思うことが、また更に恐ろしいことなのである。
コメント
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