カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

才能がぶつかる顛末を綴った苦悩の書   少年の名はジルベール

2024-03-03 | 読書

少年の名はジルベール/竹宮惠子著(小学館文庫)

 有名な自伝だが、どういう訳か今になって読んだ。僕は萩尾望都のおそらくファンで、だからであるからか、「大泉サロン」(女性版トキワ荘ともいわれている)の存在は知っていた。知っていたというか、だいぶ後、つまりだいぶ最近になって知ったのだったが。おそらくだが、ふつうに少女漫画を読んでいた人々は、誰でも知っていることなのだろうと思われる。そうした顛末への興味もあってだろう、この本は売れたという。そうしてこの本を解説する人々は、たくさん出てきた。要するにそういう文に触れて、僕は買ったのだと思うのである。
 著者の竹宮惠子を知らない人は少数だと思うが、日本を代表する漫画家だが、同時にいわゆる腐女子と言われる人々にとっては神的な存在であろうし、現在のボーイズラブと言われる漫画の一分野の始祖者ともいわれている人である。その彼女が、どうしてそのような漫画を描くようになったのか。実際には、大変な苦労があって、世に出てきた分野であったということが書いてある。世の中というのは一筋縄ではいかないものであって、絵の上手な人間だからと言って、たとえそれだけでは、生きてはいけないものらしいのである。
 徳島出身で、地元大学生の時には既に漫画家としてデビューしており、連載も抱えていたために〆切を守れないほどになってしまい、上京せざるを得ない状況のまま本格的に漫画家として食べていく道に入っていく。その過程において、同世代の若い作家との交流がきっかけになって、萩尾望都とその友人である増山法恵と出会い。増山宅の向かいにある二軒長屋の片方に萩尾と共同で住むことになる。ここに様々な人々が集まるようになって、いわばサロン化する中で、少女漫画の創成期に様々な試行錯誤が生まれるということになったようだ。
 自伝なので、自分のことは多少割り引くというか、謙遜もあって描かれているのだと思うが、とにかくずっと週間連載を持つ超売れっ子と言っていい立場であり、読者はもちろん、編集者も一目以上に置いている大作家であっただろうことは見て取れる。しかし時代背景もあり、編集者という会社組織の事業の方針もある。漫画を描いているのは確かに作家自身であるが、それを売る媒体の出版社との関係において、それなりの拘束や条件がある訳だ。作家として本当に自由に描きたい分野があったとしても、それを自由に受け入れるだけの器量が、会社側にもなかったし、おそらく時代の許容が分からない時期でもあったのかもしれない。少女というか、女性のあるべき立場のようなものとか、その女性自身が求めている漫画という娯楽への要望というものが、才能ある作家の考えと合致するものかどうかの見極めが、非常に難しかっただろうことが見て取れる。さらに大泉サロンで一緒に漫画を描いているもう一人の突出した才能のある、親友でありながら最大のライバルである萩尾望都の存在が、自分の中で膨らみすぎていく。そうしてそもそも若い女性でもある竹宮の精神や才能を、押しつぶしていくように感じさせられていくのである。その苦しさの心情を、ある意味で吐露したところに、この自伝の大きな流れがある。
 これを読んでさらにいくつか調べてみると、その後萩尾望都も自伝を書き、いわばこの本の返答をしているようなものである。結果的に二人は現在も和解していない様子だ。大泉サロンを解散させたのは、確かに竹宮の方だったが、しかしそのことで完全に心を閉じてしまったのは、萩尾なのかもしれない。それほど二人は、その頃の青春の影響が大きく、深い傷を負ってしまったということだろう。しかし、さまざまなタブーを打ち破って、少女漫画だけでなく、日本の社会を変えてしまうような偉大な作品を生み続けた。二人が強く共鳴していたモチーフのようなものの共有は、お互いにとって大切だからこそ、むつかしいものだったのかもしれない。人間の関係性のむつかしさを思い知るような、そんな告白の書だと言えることだろう。
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