カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

差別的な国日本を変えよう   ジェンダー格差

2024-03-01 | 読書

ジェンダー格差/牧野百恵著(中公新書)

 副題「実証経済学は何を語るか」。男女による能力の差というものは何だろうか。役割としてふさわしいことはあるのか。向き不向きについて性別で判断できるのか。結果的に生じている賃金の格差など、差別的なのではないか。政治家など、極端に男女の比率が偏っている仕事に問題は無いのか。そのような疑問に、統計的な根拠をもって答えることは可能なのだろうか。本書では、実際にそのような男女差のある例を、統計学の手法を使って解き明かす方法で論じている。要するに何を言いたいかというと、ちゃんとした統計の方法で男女の格差に関する根拠をもって政策を講じることで、格差解消は可能であるということなのである。もっとも男女格差をなくすためにとられている政策であっても、うまくそれが機能しない日本のような国もあって、それはおそらく日本の文化的な土壌にあって、いまだに思い込みに捉われている男女がたくさんいることによって、有効な政策を使う以前の偏見にあふれていることも、示唆されている。統計を取るまでもなく男女間の能力の格差というのは、男女の違いをもってあるのではなく、男女関係なく個人差にある、ということかもしれない。
 しかしながらそのような偏見は、実は実感をもって個人が持っているものでもある。自分は女性だから数学が苦手だ、と思っている人はあんがい多いのではないか。そのような偏見を持った大人(特に教師)から教育を受けなければ、男女で数学の成績に、そもそも大した差は出ない。女子高などでは比較する男子がいないので、ふつうに数学な得意な女子は存在し、その子はその成績も伸びる。そもそも数学が得意すぎるのがたまたま男子だったりすると、そのような傾向に引っ張られて、男子全体が数学が得意なような気がしてしまうだけのことなのかもしれない。結果的に理系の学問を収める男性が増え、その後就職先として比較的収入の多い仕事に就ける可能性も上がる。そういったことも男女間の賃金格差にはあるようで、更に途中で出産などでキャリアが中断し、パートの仕事につかざるを得ない優秀な人材を活かせず、そのまま男女間の賃金格差が広がっていく。それはある意味でその国の経済成長を止めている原因にもなっていて、ジェンダー格差のある国だからこそ、将来の成長が望めなくなっている日本の姿、というものも見えてくるのである。女性を正当に認めることのできない国が少なからずあり、それはさらに国の格差として、人の生き方としても、停滞させる要因になっていくのかもしれない。
 ジェンダー格差(ギャップ)という言葉そのものから、なんだかめんどくさいフェミニストの説教だと勘違いする人がいるとすると、たいへんに残念なことになるかもしれない。当たり前のことは、当たり前の根拠をもって論じられるべきで、そのことによって、偏見のない正直な政策提言がなされるべきなのである。学歴の高く能力の高い女性で、しっかりしたキャリアを積める環境にいる人ほど、実は出産に対しても前向きであることも明らかにされている。男女間の格差を解消する手立てを打てることで、長年苦しんできた日本の出生率の低下に、何らかの歯止めをかけることも可能なのである。まずはやはり政治家には女性を無理にでも増やして、全体的な生産性や能力を上げる必要があるのだろう。

※追伸: 韓国の著しい出生率の低下がニュースになっている。日本も非常に低いが、韓国のそれはさらに深刻だ。日本と韓国は親戚と言っていいほど、似通った社会や風俗・考え方を持っている。まさにひとごとではないのである。そうしてそれは、ジェンダー格差に見られる現実の姿だと言わざるを得ない。お互いに国家が消滅の危機に陥っている状態で、変えるのは自らでなければならないはずだ。まさに今、これらの本は読まれるべき状況なのではなかろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする